【世界史】古代ローマの歴史&流れ ─ 簡単なまとめ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・古代ローマ史の流れを知りたい
・おさえるポイントは?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

流れ
① 王政の成立
② 共和政の確立
③ 帝政の確立
④ 専制君主政へ移行
キーワード
・コンスル/パトリキ/プレプス
・ポエニ戦争
・三頭政治
・五賢帝
・軍人皇帝時代
・テトラルキア
重要人物
・カルミス
・グラックス兄弟
・カエサル
・アウグストゥス
・ディオクレティアヌス
・コンスタンティヌス

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次にそって、みていきます。

古代ローマの歴史① ─ 王政の成立

サビニ女の略奪(出典:wiki

さいしょ、ローマは「王政」をとっていました。君主は、ローマ人ではなく、近隣のエトルリア人でした。

しかし暴政により、ローマ人たちが反発 ─ 。王を追放し、共和政へと移行します。(BC.509年)

建国神話

神話では、トロイヤ戦争で活躍した武将「アエネアス」がローマ人のご先祖さまとされています。

トロイヤ戦争で敗れたアエネアスは、イタリアのラティウム地方に逃げのび、ローマにつづく国をつくりました。

その約400年後に、かつて王女であった巫女と、軍神「マルス」が結ばれます。

二人のあいだに生まれたのが、双子の「ロムルス」&「レムス」でした。

しかし、王位を奪われることを恐れた、王女の叔父である国王は、二人を捨てるように命じる。

川に投げ込まれるものの、たまたま川辺に住んでいたオオカミに助けられ、双子は、そのまま育てられます。

やがて二人は旅立ち、自分たちの国を作ろうとする。けれど対立が起こり、ロムルスはレムスを殺してしまう。

こうして、ロムルスは王となり、かれの名前から「ローマ」が誕生しました。

その後、「元老院」「民会」のしくみをつくり、国家運営にあたります。

サビニ女の略奪

ロムルスは、領土拡大をはかります。

けれど、男性の数が多くなってしまい、女性の数が足りなくなります。

そこで近隣に住む「サビニ人」から、未婚の女性を略奪することを決めることになります。

奪われた女性は、ローマ人の結婚 ─ 。

しかし良く思わないサビニ人たちは、女性の返還を求めます。従わないローマ人は、サビニ人と争うことに。

けれど、サビニ人である父と、ローマ人である夫に板挟みになった、サビニの女性が、戦いの止めに入る。

こうして協定が結ばれ、お互いの部族を共同で統治することになりました。

ルクレティアの陵辱

その後、約200年間、「王政」がつづき、国としてのかたちもできあがってきます。

しかし、7代目の「タルキニウス」のときに転機がおとずれます。

かれは、王の立場を利用して〝やりたい放題〟でした。

「元老院」にも「民会」にも意見をきかず、すべて一人で決めていきます。

公共工事には、貧しい労働者をかりだし、酷使させます。

民衆の不満が高まるなか、王のむすこ「セクストゥス」が、人妻を強姦し、相手を自殺に追い込む、という事件が起きます。

怒りに駆られた人びとは、王家一族をローマから追放することに。

くわえて、二度と独裁者が現れないように、王の立場を廃止し、任期付きの執政官二人で政治をおこなっていくことを決めます。

こうして、ローマは「王政」から「共和政」へと移っていきます。

古代ローマの歴史② ─ 共和政の確立

ハンニバルの侵攻(出典:wiki

もともと、ローマは「王政」でした。

けれど、しばらくして「共和政」へと移行していきます。(BC.500年頃〜)

カミルスの活躍

共和政を敷いてからの「約100年間」は、王政復古のきざしが見えながらも、それなりにうまくいきました。

しかし外政において、BC.4世紀ごろから、アルプス山脈を越えて、ガリア人(ケルト人)が、じょじょに侵入してきます。

当時、かれらにたいして、ローマ人が得意としていた、重装歩兵による「ファランクス戦法」は通用しませんでした。

結果、ローマの街は、ガリア人の手によって陥落することになります。

ローマ建国以来の危機でした。

賠償金の支払いに苦しみ、窮地におちいるローマは、かつて本国から追放した英雄「カミルス」を呼びもどすことにします。

忘恩をわびたうえで、独裁官として、軍の指揮を取ってほしいと依頼します。

寛容な性格のカミルスは、裏切りに故郷の人びとを許し、ガリア人の打倒に動きます。

結果、みごとにローマの街から、ガリア人を追い出し、ふたたび安定をとりもどします。

この危機を救ったことから、いまでもカミルスは「第二の建国者」とよばれています。

パトリキ/コンスル/プレプスの対立

しかし、共和政といっても、パトリキ(=貴族)が主導するものでした。

じっさいに政治を動かす、

・執政官(=コンスル)
・元老院の議員

などの地位も、貴族が独占していました。

こうした状況に、プレプス(=平民)は反発し、「参政権」を要求します。

というのも、この時代、「重装歩兵」としてローマをまもっていたは、平民だったからです。

BC.500~BC.370年にかけて、平民/貴族の〝権利争い〟はつづきました。

結果、「コンスルの1人は、平民から選出される」と、法律で決まります

この時点で、平民/貴族は、同じ政治権限をもちます。

「共和政」の成立です。

ポエニ戦争での勝利

ポエニ戦争とは、フェニキア人から成る、北アフリカ「カルタゴ」との争いのこと。

「シチリア島」の覇権をめぐり、計3回、衝突しました

それぞれの戦い&結果は、こんなかんじ。

・第1回・ポエニ戦争(BC.264年~)
→ ローマが勝利し、シチリア島を属州に

・第2回・ポエニ戦争(BC.218年~)
→ カルタゴ将軍「ハンニバル」が、ローマに侵攻
→ ローマ将軍「スキピオ」が、カルタゴ本国に反撃し、勝利

・第3回・ポエニ戦争(BC.149年~)
→ ローマがカルタゴを滅ぼす

勝利したローマは、「シチリア島」をゲットしただけではありません。

フェニキア人がにぎる「地中海貿易の権利」を手にします

これによりローマは、経済面でも発展します。

古代ローマの歴史③ ─ 帝政の成立

カエサル(出典:wiki

「シチリア島」を属州にしたローマ ─ 。

これをきっかけに、イタリア半島以外の領土(=海外領地)を治めていきます。

グラックス兄弟による改革

しかし、領地を広げるごとに、ローマ本国の市民/同盟国の市民とのあいだで「格差」が生じます。

これが要因となり、「共和政」の維持がムズかしくなってきます。

そこで、海外の護民官「グラックス兄弟」が、土地を分配するなどの優遇策をとります。

けれど、ムダでした。

ふたりは富裕層(=貴族)の抵抗に合って、殺害されます。

結果、「中小農民」は弱体化し、ほかの国から侵攻を受けるようになります。

内乱の1世紀

混乱をおさめようと、3人の有力者があらわれました。

・ポンペイウス
・クラッスス
・カエサル

です。

3人は協力して、おさめていました。

この統治のしくみを、「三頭政治」とよびます。

しかし軍人「カエサル」が、海外遠征(=ガリア遠征など)によって、勢力を拡大 ─

「ポンペイウス」を倒し、独裁政治をおこないます

事実上、「共和政」は崩壊します

その後、カエサルも、暗殺 ─ 。

しかし「共和政」にはもどらず、カエサルの甥「オクタウィアヌス」が、あとを引き継ぎます。

元老院から「アウグストゥス(尊厳者)」の称号をうけ、初代皇帝に即位 ─ 。

ここに、帝政ローマが成立します。(BC.27年)

パクス・ロマーナ

初代皇帝「アウグストゥス」は、

・広場の建設
・水道の整備
・都市行政区画の整備

など、都市開発を積極的におこないます。

かれ以降、約200年にわたって、政治は安定 ─ 。

経済も豊かになります。

『コロッセウム』などの「円形競技場」なども建てられて、大いに繁栄します。

この時期を、「パクス=ロマーナ(ローマの平和)」とよびます。

五賢帝による統治

「パクス=ロマーナ」の後半には、優秀な5人の皇帝(=五賢帝)があらわれます。

名まえは、つぎのとおり。

・ネルウァ
・トラヤヌス
・ハドリアヌス
・アントニヌス = ピウス
・マルクス=アウレリウス=アントニヌス

「トラヤヌス」の時代に、ダキア(=ルーマニア)を属州化し、帝国の領土は最大になりました。

また、「マルクス=アウレリウス=アントニヌス」は、哲学者でもありました。

プラトンが理想とした「哲人政治」を、はじめて実現することになります。

古代ローマの歴史④ ─ 専制君主政へ移行

コンスタンティノープル(出典:wiki

しかし、アウレリウス以降、ふたたび国内は乱れます。

外政でも、

・ゲルマン人
・ササン朝ペルシャ

による進出・侵攻が、激しくなってきます。

3世紀の危機

外圧にともない、各属州の軍団がチカラをつけていきます。

「皇帝」に名のりをあげ、それぞれ争います。

結果、約50年のあいだに、26人の「軍人皇帝」が即位することに

この時期を「軍人皇帝時代」(235年〜284年)とよびます。

ディオクレティアヌスによる「テトラルキア」

その後、情勢はさらに悪化 ─ 。

各属州の有力者が、勝手に「皇帝」を名のるようになります。

もはやすべて領土・領地を統治できなくなります。

そこで、当時のローマ皇帝「ディオクレティアヌス」は、帝国を2つに分け、それぞれに「正帝」「副帝」をおくことを決めます。

この制度を「テトラルキア(四帝分治制)」とよびます。

これにより、ローマ本国は、〝ひとつの都市〟に成り下がります。

また、当時の民衆に政治権限はありませんでした。

その意味では、ほぼ「専制君主政」でした。

コンスタンティヌスによる遷都

さらに、皇帝「コンスタンティヌス」が、東方の町「コンスタンティノープル」に、都を移します。

これで〝東西分裂〟は、決定的となります。

以後、ローマ帝国は統一を果たすことなく、じょじょに衰退していきます。

まとめ

流れ
① 共和政の確立
② 帝政の成立
③ パクス=ロマーナ
④ 専制君主政へ移行
キーワード
・コンスル/パトリキ/プレプス
・ポエニ戦争
・三頭政治
・五賢帝
・軍人皇帝時代
・テトラルキア
重要人物
・グラックス兄弟
・カエサル
・アウグストゥス
・ディオクレティアヌス
・コンスタンティヌス

この記事が、「古代ローマの歴史&流れを知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。