どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・12世紀ルネサンス
・スコラ学
・ロマネスク様式
・ゴシック様式
・騎士道物語
・吟遊詩人
・アベラール
・トマス=アクィナス
・ウィリアム=オブ=オッカム
・ロジャー=ベーコン
・中世ヨーロッパの建築は、荘厳なロマネスク様式から、ステンドグラスを駆使したゴシック様式へと変化していった
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
中世ヨーロッパ文化の特徴

さきに、中世ヨーロッパ文化の大まかな特徴をあげていきます。
この時期のヨーロッパ文化は、つぎの3要素から成り立っています。
- キリスト教
- ラテン語
- イスラーム文化
それぞれ、かんたんにみていきます。
キリスト教
中世ヨーロッパでは、キリスト教がたいへん大きな影響をあたえました。
文化にかぎらず、政治・経済・信仰・日常生活など、ありとあらゆるところにキリスト教の考えは、しみわたっています。
ラテン語
またラテン語も大きく影響をあたえています。
ふつうの人びとのあいだでは死語となりましたが、教会用語&学術用語としては、ラテン語は共通語となりました。
ある意味で、ラテン語が中世ヨーロッパ文化の普遍性を支えた、といえます。
じっさいラテン語がつかわれた教会&修道院が、中世文化の保存と継承の場所となりました。
イスラーム文化
意外かもですが、イスラーム文化も、中世ヨーロッパ文化に、たいへん影響をあたえました。
西ローマ帝国が崩壊したあと、古代ギリシャやローマの文化は、時代がくだるごとに下火になり、キリスト教の教義が、芸術も学問も牛耳っていました。
しかし12世紀ごろから、イベリア半島の都市トレドや、シチリア島の都市パレルモから、アラビア語で表記された、ギリシャ&ローマの文献がヨーロッパ世界に入ってきます。
じつは、イスラームの人たちは、ローマ帝国崩壊後に散らばった、ギリシャやローマの書物をアラビア語に翻訳していました。
それら文献が、ムスリム商人との交易ルートにのって、ヨーロッパに流入してきたのでした。
遠い祖先の学問にふれたヨーロッパの人たちは、アラビア語(一部はギリシャ語)で書かれた文献を、あわててラテン語に翻訳します。
なかでもアリストテレス哲学は、神学や大学教育に影響をあたえ、文化勃興のきっかけとなりました。
学術上、このできごとを「12世紀ルネサンス」とよびます。
…
以上のように、
ラテン語
イスラーム文化
が折り重なり、中世ヨーロッパ文化が形成されていきました。
中世ヨーロッパ文化の作者&作品

以上、中世ヨーロッパ文化の特色をふまえたうえで、各ジャンルのなかみをみていきます。
あつかう分野は、つぎの3です。
- 神学
- 美術
- 文学
おもな作者&作品をあげながら、それぞれかんたんにふれていきます。
神学
神学ではアルクインが大きな影響をあたえました。
彼はアーヘンの宮廷につかえ、ラテン語の学術運動を展開しました。
いっぱんに「カロリング=ルネサンス」とよばれ、彼以後、キリストの教義を語るうえでも、ラテン語が必須となっていきます。
つづけて、神学の分野でおこったのがスコラ学です。
スコラ学は、ある特定のジャンルをさすのではなく、教会や修道院でひろまった学問スタイルのことです。
ひらたくいえば、キリスト教の教えを、哲学や論理学をつうじて、とらえなおす、といったかんじです。
中世ヨーロッパでは、キリスト教がなによりも強かったので神学者トマス=アクィナスなどは、
と表現するほどでした。
中世ヨーロッパでは、神学こそが最高の学問であり、そのほかの分野はすべてその下に属する、とみなしていました。
神学は、教父アウグスティヌスの思想をもとにきずかれ、アルクインが始めたラテン語運動により広まっていきました。
神学において、もっとも議論としてもりあがったのが普遍論争です。
これは、
という論題です。
かんたんにいえば、「普遍」という概念は、ほんとうに〝実在〟するのか、それとも、人が考える〝名まえ〟にすぎないのか、という問いかけです。
いまのわたしたちからすれば、どうでもいいようにみえますが、神を存在を信じるキリスト教徒からすれば、答え出さなくてはならない大問題でした。
というもの、神とは普遍の存在であり、普遍のある/なしを証明しないことには、神の存在も確証できないからです。
実在を支持する論者としてはアンセルムスが有名です。
彼は「理解するためには、信じる必要がある」と主張し、信仰重視の立場から、普遍の実在を支持しました。
いっぽう名目を支持する論者としてはアベラールが有名です。
彼は「信じるためには、理解する必要がある」と主張し、理性重視の立場から、唯名論を支持しました。
そのうえで、両者を意見をとりいれ、調和させたのが、さきにあげたトマス=アクィナスでした。
彼は理性による認識はたいせつだが、真理に到達するには、信仰の力が必要だとして、理性と信仰の共生をはかります。
彼は『神学大全』をあらわし、アリストテレス哲学にもとづくスコラ学を完成させました。
その後はウィリアム=オブ=オッカムが登場し、唯名論の立場から、信仰と理性を分離させる考えを示します。
神学/哲学を分けたことから、近代合理主義のさきがけとして、いまでは評価されています。
普遍論争とは関係ありませんが、オッカムよりまえにはロジャー=ベーコンがイスラーム科学にもとづいて、実験と観測による学問手法を確立しました。
彼もまた自然科学の草分けで、近代科学の先駆者、イギリス経験論の祖、とされています。
建築
美術では、さきにロマネスク様式が流行りました。
その特徴は、
・円天井
・小型窓
・重厚
・荘重
の5点です。
ピザの大聖堂や、クリュニー修道院などは、ロマネスク様式の典型です。
つづいて流行したのが、ゴシック様式です。その特徴は、
・ステンドグラス窓
の2点です。
ケルン大聖堂、アミアン大聖堂、ノートルダム大聖堂、ルトル大聖堂などが典型です。
文学
文学では、騎士道物語というジャンルが流行しました。
・『アーサー王物語』
・『ニーベルンゲンの歌』
の3点は、いまでも映画や舞台で、よく用いられています。
さらにこのころは、吟遊詩人が活躍し、宮廷での恋愛ばなしを題材に、叙情詩のかたちで、物語っていました。
中世ヨーロッパの大学

さいごに、大学にもふれておきます。
じつは中世ヨーロッパの時期に、いまも名門とされる大学がたくさんつくられています。
大学は、修道院や教会附属の学校がベースとなって、形づくられました。
そのなかみは、教師と学生によるギルド共同体で、自治権も有していました。
自治権といっても、きほん教会に属していたので、近代以降の学問&思想の自由があったわけではありません。
あくまでキリスト教の教義が、学問のお手本です。
大学のカリキュラムは、
・7自由学科(文法・修辞・弁証法・算術・幾何・天文・音楽)
から構成されていました。
また、それぞれの大学には、得意とする学問分野がありました。
一覧をあげると、つぎのようになります。
→ ボローニャ大学(イタリア)
・医学
→ サレルノ大学(イタリア)
・神学
→ パリ大学・オクスフォード大学・ケンブリッジ大学・プラハ大学
いまのところ、イタリアのボローニャ大学が、ヨーロッパ最古の大学とされています。
おわりに
中世ヨーロッパ文化についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・12世紀ルネサンス
・スコラ学
・ロマネスク様式
・ゴシック様式
・騎士道物語
・吟遊詩人
・アベラール
・トマス=アクィナス
・ウィリアム=オブ=オッカム
・ロジャー=ベーコン
・中世ヨーロッパの建築は、荘厳なロマネスク様式から、ステンドグラスを駆使したゴシック様式へと変化していった
この記事が、中世ヨーロッパ文化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




