「二代目の経営者」について

どうも、りきぞうです。

きょうは、こちらのニュースをうけて、「二代目の経営者」について、考えてみました。

※ 本文の引用は、最下部の文献によります。

こちらのニュースで、『大戸屋』の経営問題を取りあげている。

経営権をめぐり争っているようで、かなりまえから続いている。

記事では、創業者の息子「智仁氏」が幹部に就任したことをうけて、衰退の危険性を指摘。

その要因として、智仁氏の

・祖業軽視
・机上論の展開(=値下げ路線)

をあげている。

つまり、〝ヘタな改革〟によって『大戸屋』が廃れる・潰れる、と述べている。

その証拠に、『大塚家具』のドタバタをあげる。

こちらも2代目の「久美子氏」が、初代が打ち出した高級路線から低価格路線へとシフトして、(いまのところ)苦境に立たされている。

改悪により、業績を落とした。

けれど、歴史をふりかえれば、そのままのやり方を続けたことで、衰退した国家・企業は、たくさんある。

たとえば、大きいところだと、17世紀のスペイン帝国 ─ 。

国王「カルロス1世」は、本国以外にも、ドイツをはじめ、幅広い領土を統治 ─ 「日の沈まない国」とよばれた。

そのあとを引き継いだ、息子の「フェリペ2世」だったが、支配する土地を維持するために、軍事や公共事業を強化 ─ 。

結果、国債を乱発し、財政をボロボロに。

さらには、イングランドとの「アルマダの海戦」に敗れ、軍事力の面でも、衰退の一途をたどった。

べつに世界史規模の国家を出さずとも、先代のやり方をそのまま引き継いだことで、廃れた事例はいくらでもある。

ここからわかるのは、先代のやり方を継承しようが、改革しようが、つぶれるものは、つぶれるというコト

つまり、継承/改革のどちら一方が「正解」というわけではなく、環境の変化に応じて、てきぎ使い分けるのが、大切なのだ

わたしは、それが影であろうと、実体であろうと、利用させてもらう。(no.2458)

─ モンテーニュ『エセー1』1巻20章




そもそも「2代目」だからといって、かならずしも「改悪」するわけではない。

むしろ、環境が変わったのに、先代のやり方をそのまま続けて、衰退したケースのほうが多い。

このあたりは、日本の大企業の慣行&規制をみれば、よくわかる。

また、名著『イノベーションのジレンマ』では、その事例がたくさん紹介されている。(インテル vs. マイクロソフト、アナログカメラ vs. スマホカメラなど)。

「2代目のワナ」とキャッチーなタイトルをつかうことで〝読者のひき〟を狙ったと思うが、べつに「2代目」じゃなくても、環境に適応できず、廃れる国家・企業は、多くみられる。

なので、わさわざ「2代目」とラベリングすることで、お家騒動を盛り上げなくていい。

問題は「2代目」とか、先代のやり方を捨てたとか、そういうトコではない。

国家間の争いにしろ、市場競争にしろ、環境に対応・適応しなければ、衰退する 。

くわえて、マーケットでは「価値」がすべてであり、ほかにはないサービス(希少性)を提示できれば、長期的には廃れることはない。

べつに、競争相手の武器 or 強みを、「自社も持とう」と思わずとも、やっていける。

自分が持っているものに胸を張る人びとなら、隣人のよいものを、気に病むということはないでしょうから。(p.130)

─ プルタルコス『心の平静について』13




では、はなしを『大戸屋』にもどして、今後どうなるか ─ 自分なりの意見・判断を述べてみる。

騒動のなかみをみると、いちばんの争点は、お店で提供する料理を、

工場/店内のどちらでつくるか?

というトコ。

工場(セントラルキッチン)なら、コストの削減ができて、より大きな利益が期待できる。

いっぽう店内なら、料理に手作り感を出すことで、良質なサービスを提供でき、結果的にそれが、利益につながる。

さてさて、それでは、どっちのほうが大きな利益をもたらすのか。

個人的には、後者(店内での手作り)のほうに軍配があがると思う。

というのも、今回の騒動をキッカケに、

大戸屋の価値=店内での手作り

が、告知&認知されたから。

ショージキ、(熱烈は大戸屋ファンは別にして)わたしのような一般利用者からすれば、「大戸屋の定食は、ほかのチェーン店にくらべて、ちょっとおいしいなぁ」と思う程度。

「店内での手作り」だから、大戸屋に行こうと思っているわけではない。

健康そうで、すこしばかりおいしいから、寄るだけ。

しかし皮肉なことに、騒動により(〝旧派〟が主張する)「店内での手作り」が、消費者に広く知られるようになった。

店内調理が、『大戸屋』の価値と、認知されるようになった。

じっさい、わたし自身も、『大戸屋』にいくときには、〝手作り感〟を意識して、料理を食べるようになっている。

いまでは「店内での手作り」が、『大戸屋』のいちばんの価値となった。

つまり、騒動による広告効果で『大戸屋』へのイメージが変わった。

広い意味で、市場環境が変わったのだ。

したがって、(だれが就こうと)トップ&幹部にとっては、「店内での手作り」に焦点をあわせた経営がもとめられる。

反対に、セントラルキッチンの採用(=コスト削減)によって利益を狙るのは、ややキビしい。

たしかに、合併によりグループ会社としては大きくなるだろう。

けれどはたして、その中の一部として『大戸屋』のパフォーマンスが高まるかといえば……。

親族だろうと、血のつながりのない経営者であろうと、このあたりの環境変化にビンカンにならないと、『大戸屋』の売れ行きは下がることになるだろう。

ビジネスでも環境変化への対応がカギを握る ─ このニュースで、あらためてこの点を考える機会となった。

では、お元気で。