【書評】君塚直隆『物語 イギリスの歴史』感想&レビューです。

どうも、りきぞうです。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、[予備校講師 → ウェブディレクター → ライター]と、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、[契約社員 → 正社員 → フリーランス]と、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・できるなぁ
・発想がすごいなぁ

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

とくに、世界史をまなぶうえで、イギリスの歴史は、必須です。

産業革命以降、イギリスの覇権によって、世界はうごいてきたからです。

地球全体に近代化をもたらしたのは、大英帝国といっても、過言ではないはず。

そんなとき、つぎの本をみつめました。

上下2巻です。

わたしは、Kindle 版で読みました。

以下、引用番号は、こちらの本によります。

著者は、イギリス政治史の第一人者 ─ 。

[イングランドの成立〜ブレア政権]までのながれをたどっていきます。

構成もスッキリしていて、文体もカンケツ ─ 。

イギリス史を知るには、もってこい本です。

また本書は、『物語 ◯◯の歴史』シリーズの1冊です。

タイトルどおり物語調で語られる、ストーリーを読むように、すいすいアタマにはいってきます。

イギリスのほか、エリア別に、30冊以上が出ています。

歴史初心者には、おすすめのシリーズです。

君塚直隆『物語 イギリスの歴史』の概要

まずは、目次です。

上巻は、こんなかんじです。

第01章 古代のブリテン島 ─ 先史時代~11世紀
第02章 ノルマン王朝のイングランド ─ 11~12世紀
第03章 アンジュー帝国の光と影 ─ 消えないフランスへの野心
第04章 イングランド議会政治の確立 ─ 13~14世紀
第05章 百年戦争からバラ戦争へ ─ フランスと王位をめぐって
第06章 テューダー王朝と近代の夜明け ─ 国家疲弊下の宗教対立

紀元前から、近世初期までをあつかいます。

つづいて、下巻です。

第07章 清教徒・名誉革命の時代 ─ 17世紀の変化
第08章 ハノーヴァー王朝下の議院内閣制確立 ─ 長い18世紀
第09章 イギリス帝国の黄金時代 ─ 19世紀の膨張
第10章 第一次世界大戦 ─ いとこたちの戦争と貴族たちの黄昏
第11章 第二次世界大戦と帝国の溶解
第12章 エリザベス2世の時代 ─ 「英国病」からの蘇生

近代国家が成立する17世紀から、さいきんのブレア政権まであつかいます。

キホン物語調になっているので、順々で読んでいくのが、おすすめです。

もちろん、気になる年代 or 人物から、チェックするのも、オーケーです。

君塚直隆『物語 イギリスの歴史』の詳細

以下、上下巻とおして、気になるトコをあげていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • イングランドの立ち位置
  • 貴族院 / 庶民院の成り立ち
  • 外交による制海権の維持
  • イギリスで「絶対王政」が成立しない背景
  • 海軍が強くなった理由
  • 総力戦が、民衆の平等化をおしすすめる

以下、ひとつひとつ、みていきます。

イングランドの立ち位置

イングランドといえば、ヨーロッパでは、権威のある国といったイメージがあります。

けれど古代では、大陸側からすれば辺境にすぎませんでした。

英語はあったものの使用されず、上流貴族は、フランス語をつかっていました。

これ以後、イングランドの貴族社会の共通語はフランス語に改められ、政治や司法の公式文書もすべてラテン語と並んでフランス語で記されるようになる。アングロ・サクソンの言語(英語) は被支配階級や農民の言語として「非公式」なものとされた。(no.570)

イングランドにとっての中心地は、海をはさんだ「ノルマンディー地方」でした。

半島は、属領地にすぎなかったわけです。

とはいえ、ウィリアム1世にしても、彼と一緒に大陸から渡来してイングランドに土地を与えられた諸侯にとっても、「本国」はあくまでもノルマンディであった。王と諸侯がイングランドで得た富は、すべてノルマンディ防衛のために使われ、その意味でイングランドは「属領」的な立場に置かれていた。(no.597)

イギリスとして地位があがるのは、産業革命期、制海権を獲得してからです。

貴族院 / 庶民院の成り立ち

イギリス議会の成り立ちは、「諸侯大会議」がもともとです。

そこでは、聖職諸侯(大司教・司教・大小修道院長)・世俗諸侯(伯・諸侯) が出席していました。

くわえて、騎士や都市市民も恒常的に出席するようになります。

しかし、聖職諸侯・世俗諸侯 / 騎士・市民のあいだでは、地位・財産の大きさやそれに伴う視野の大きさとが異なります。

結果、騎士・市民たちは、請願を出す立場に、諸侯は、それらを受ける立場になります。

それぞれ、

・聖職諸侯&世俗諸侯 → 貴族院
・騎士&都市市民 → 庶民院

へとつながっていきます。

二代前のエドワード1世の時代までには、イングランド全土から寄せられる「請願」の数も上昇し、聖俗諸侯はそのような請願や訴訟に採決を与える立場に、騎士や市民は請願を出す側の代表にそれぞれ分かれていった。 (no.1647)

14世紀なかば頃から、諸侯たちの集まりと騎士・市民らの集まりは別々に開かれるようになった。前者はやがて〔……〕「貴族院」と呼ばれ、後者はこれに対して「庶民院」と名付けられた。(no.1660)

じつは、議会のルールは、それほど厳密ではなかった。

階層・階級の経済状況にあわせて、議会のしくみが、できあがっていった。

イギリスの歴史を、じゅんじゅんにたどるとわかってくることですね。

外交による制海権の維持

スペインとの海戦で勝利したイギリス ─ 。

それ以降、ヨーロッパの海で勢力をのばしていきます。

けれどすぐさま、制海権をにぎったわけではありません。

周辺各国と、かけひきをくりかえしながら、じょじょに海上権利を獲得していきました。

そのさい活躍したのが、エリザベス女王でした。

かのじょは「手紙」を駆使しして、外交関係をきずきあげていきます。

「アルマダの戦い」でイングランドが制海権を獲得したわけではない。この後もヨーロッパ各国との微妙な駆け引きは続いた。もともとギリシャ・ラテン語の素養に富み、フランス語やイタリア語も修得していたエリザベスは「手紙魔」の女王でもあった。

やりとりした国家&人物は、つぎのとおり。

・フランス(ブルボン家・アンリ4世)
・スペイン(フェリーペ2世)
・ロシア(雷帝・イワン4世)
・オスマン帝国(ムラト3世)

みずからの政略結婚を〝カード〟に、ヨーロッパの覇権を手にいれていきます。

宿敵フェリーペ2世やフランスのカトリーヌ皇太后(ド・メディシス)、一五八九年からフランス王家となるブルボン家のアンリ4世、さらに交易の関係からロシアのイワン4世(雷帝) やオスマン帝国のムラト3世など、ヨーロッパ中の王侯たちに自筆の手紙を送り、 処女女王は各国との友好を訴えたのである。(no.2565)

外交とは、トップのウデしだいで決まる ─ それが、まざまざとわかるケースです。

彼女の何よりの功績は、メアリの時代に内乱寸前になりかけた国内の情勢を立て直し、ローマ教皇庁と完全に袂を分かった後もヨーロッパ国際政治のなかでイングランドの独立を維持し得たことだった。(no.2616)

イギリスで「絶対王政」が成立しない背景

17世紀以降、ライバル国のフランスでは、「絶対王朝」が成立します。

国王の立場が、いっきに高まります。

いっぽうのイギリスでは、絶対王政はとられませんでした。

なぜか。

それは、中央・地方ともに、地主である貴族階級の立場が、あまりにつよかったからです。

税だけなく、法分野の権限も、たいていにぎっていました。

そのため、国王の権利はかぎられ、権力の集中は困難でした。

そもそも強力な常備軍も持たずに、子飼いにできる有給の官僚ではなく、中央・地方ともに無給の地主貴族階級によって司法・立法・行政が担われていた一七世紀前半のイングランドの国王が「絶対君主」になることなど不可能だったのだ。(下巻・no.221)

結果、フランスとはことなり、絶対王政は成立しませんでした。

そのかわりに、のちのフランス革命のように、すべての国民をまきこむ暴動は、おきずにすまます。

ゆるやかに貴族の権限のそぎおとし、民衆の権利をふやしたことで、民主制を実現していきました。

同じ民主主義でも、これだけのちがいがありました。

イギリスの歴史をしれればこそ、わかることです。

海軍が強くなった理由

イギリスといえば海軍です。

けれど、なぜ陸軍ではなく、海軍なのか。

もちろん、イギリスが島国という理由もあります。

しかしそれ以上に、陸軍にたいする民衆・議員の不満がありました。

陸軍はそれまで、国王の権利をカサに、横暴をくりかえしていました。

うんざりした民衆の代表者たちは、陸軍の権限の減らしていきます。

革命中から共和政期にかけて専横の限りを尽くした軍隊であった。革命中には一五万人(イングランドの成人男子の八人に一人) が従軍していたが、王政復古とともに軍の規模は大幅に縮小された。 (下巻・no.380)

かわりに、交易・商業面での権利をまもるため、海軍に資源をそそいでいきます。

結果、イギリス海軍が発達していく要因となります。

議員たちが抱いた軍隊へのアレルギーは、こののちイングランド陸軍の慢性的な弱体化につながる。これに対して海軍のほうは、世界大に拡がるイングランドの商業的権益を守る意味からも、世界最強の「イギリス海軍」へと成長を遂げていくことになる。(no.401)

このような事態は、イギリスの内政をしると、ふかくわかってくることですよね。

総力戦が、民衆の平等化をおしすすめる

イギリスは、世界でのいちはやく民主主義を実現したイメージがあります。

とはいえ、国民全員が、いきなり政治上の権利を獲得したわけではありません。

じつは、イチバンのキッカケは、第一次大戦でした。

この戦争は、総力戦でした。

そのため、上流階級にもかかわらず、かれらの資産も徴収され、国防費・軍事費にあてられます。

お金だけでなく、子孫となるはずの子どもたちまても軍隊にかりだされます。

そのため、貴族の特権は、じょじょに失われていきます。

総力戦はそれまでのイギリスの社会構造を大きく変えた。これまでのイギリスの政治・経済・社会・文化を主導してきた 地主貴族階級は、この戦争で影響力を大きく減退させた。彼らは中世以来の騎士道精神に基づいた「 高貴なる者の責務」に則り、戦争勃発とともにいち早く戦場に駆けつけた。その大半が機関銃の 餌食 となった。1914年だけで貴族とその子弟(50歳以下の成年男子) の 19% 近くが戦死したという記録もある。(下巻・no.1694)

いっぽうで終戦後は、貴族 / 民衆とのあいだの格差は、解消 ─ 。

結果、経済面だけでなく、政治面での権限も、民衆は獲得していきます。

教科書では、ピューリタン革命 or 名誉革命でもって、イギリスの民主主義はできあがった、されます。

けれどじっさいは、第一次大戦により、貴族階層が没落 ─ 。

相対的に、市民・民衆の権利が、高まっていった、というのが実態のようです。

戦後に地主貴族たちを待ち受けていたのは、後継者の戦死だけではなく、「人民予算」以来高額化していた相続税や不動産にかかる諸税であった。大戦終結からの数年間(1918~1926年)だけで、大幅な土地所有者層の交代が見られた。それは11世紀のノルマン征服や16世紀の修道院解散にともなう土地所有者層の大変動にも匹敵すると言われたほどである。 いまや国を守るのは貴族だけではなく、「国民全体の責務」となっていた。(no.1699)

このあたりも、イギリスの歴史を、こまかくみると、わかることですね。

おわりに

本書は、イギリス史のながれを、コンパクトにまとめています。

物語調で、すらすらよめます。

ざっくりと、イギリスの歴史を知るには、役立つ1冊です。

よければ、チェックしてください。

ではまた〜。