【書評】寺田隆信『物語 中国の歴史』感想&レビューです。

どうも、りきぞうです。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、[予備校講師 → ウェブディレクター → ライター]と、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、[契約社員 → 正社員 → フリーランス]と、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・できるなぁ
・発想がすごいなぁ

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

とくに、世界覇権をにぎる中国の歴史を知っておくのは、必須といえます。

そんなとき、つぎの本をみつめました。

著者は、中国史研究の第一人者です。

タイトルどおり、物語調で、[古代文明〜清王朝]までのながれをたどっていきます。

構成もスッキリしていて、文体もカンケツ ─ 。

中国史を知るには、もってこいの1冊です。

寺田隆信『物語 中国の歴史』の概要

まずは、目次。

こんなかんじです。

第1話 伝説と歴史の間
第2話 文明のかたち
第3話 偉大な皇帝たち
第4話 古代から中世へ
第5話 索虜と島夷と
第6話 長安の春夏秋冬
第7話 近世とよぶ時代
第8話 草原に吹く嵐
第9話 紫禁城の光と影
第10話 王朝体制の終焉

ストーリーにのせてかたるため、「第◯話」になってますね。

きほん、教科書どおり、

古代文明

・殷・周

・秦

・前漢/後漢

・南北朝時代

・随

・唐

・宋

・元

・明

・清

のながれをとっています。

ストーリーにのり、順々で読んでいくのも、よし。

すきな時代 or 王朝から目をとおすのも、オーケーです。

おこのみの読み方で、大丈夫です。

寺田隆信『物語 中国の歴史』の詳細

くわしくのべていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  • 南北朝時代の意義
  • 宋時代の特徴
  • 明時代の発展

以下、ひとつひとつ、みていきます。

南北朝時代の特徴

遊牧国家から脱却する北魏

南北朝時代で、勢力をのばしたのは、北魏でした。

もともとは遊牧民族であり、正統性を自負する中国の人びとにとっては、認めがたいことでした。

その反抗をうけて、北魏自体もまた、みずからのあり方をかえていきます。

おもな事業が、「洛陽」への遷都でした。

北魏は全盛時代を迎え、堰を切ったような勢いで華風による国家改造が進められる。その最大の計画が遷都であり、幾つかあった候補地のなかから洛陽が選ばれた。(no.1710)

組織を改造することで、伝統のなかに、みずからを位置づけようとしました。

こうして正統性を確かにして、国家の基盤をかためていきました。

〔……〕後漢から魏晋にかけて、天下の中心であった由緒ある地に国都を定めたことは、北魏が遊牧民族の国家から、中国的伝統を継ぐ天下国家へと飛躍したことを意味する。(no.1750)

南北朝時代の意味

教科書などでは、漢滅亡〜南北朝までの時代は、乱世とよばれます。

とはいえ、みかたをかえれば、人びとの熱量が高く、さまざまな政治体制をもさくした時期ともいえます。

魏晋から南北朝にかけての約350年間は、確かに乱世であり、激動の時代であったが、一面では人々のエネルギーが沸騰した時代でもあった。(no.1803)

ひとつの理念による統制をこばみ、多様性を重んじる。

さきがみえず、人びとのくらしは、乱れたのはたしかです。

とはいえ、分裂がおきたからこそ、文明上の発展もみせました。

その意味では、改善・改良のためには、すこしばかりの摩擦はしかたないのかもしれません。

一つの理念によって統一されることを、人々は必ずしも要求せず、その姿勢を反映して、人生と文明はより多彩な展開をとげた。推論の域を出ないけれども、中世の政治的分裂もまた、その一形態であったかも知れない。(no.1856)

宋時代の特徴

財政国家

唐の時代に、中国は繁栄をむかえます。

同じく、宋の時代にも、国は豊かになります。

けれど繁栄の成り立ちには、ちがいがあります。

唐では、どちらかといえば、〝上から〟の繁栄でした。

つまり、つよい統治機構があり、官僚組織でもって国を豊かにしていきました。

いっぽう、宋時代は、〝下から〟の繁栄でした。

民衆のあいだで、経済が発展 ─ 。

結果、国全体が豊かになっていったイメージです。

じじつ、初期の宗王朝は、財政的にはわりと質素でした。

そのために財源にも余裕がありました。

宋は唐末以来の趨勢をうけて、経済をすべてに優先させる財政国家であった。遼や西夏に金品を与えて平和を購ったのも、その実例といえよう。国初にあっては、政府機構は簡素であり、兵員も少なかったから、財政には充分の余裕があった。(no.2529)

しかししばらくすると、遼 or 西夏による外圧のため、軍事費が増大 ─ 。

結果、支出が多くなり、財政はひっぱくします。

遼や西夏との戦いがはじまると、この蓄積を使いはたしたばかりか、一旦膨張した支出は、戦争が終わっても容易に縮小せず、経済の好況はつづいていたけれども、財政は経常的に赤字を計上するにいたった。その原因はもっぱら軍事費と冗官冗兵にあった。(no.2534)

また、豊かさゆえに、中央官僚のモラルが低下 ─ 。

さいしょは質素倹約をこころがけた王朝も、ぜいたくになっていきます。

役人の数もふえつづけ、約200倍ちかくも増加することになりました。

官僚の数は増えつづけ、中央政府の人員は、国初に二百余人であったのが、仁宗の慶暦年間には一万人の大台を突破し、南宋末期、理宗の宝祐年間には三万八〇〇〇人に達したと推算されている。二七〇年間に一九〇倍も増えたわけである。国軍の基幹をなす禁軍も、太祖時代の一九万から、仁宗時代には八二万にもなっていた。(no.2570)

宋が滅亡するとき → 民衆の反応はひややか

そんな王朝にたいして、民衆の不満も、大いに高まってしました。

じじつ、宋が、モンゴル帝国の「元」に滅亡されたとき、人びとの反応は、冷やかでした。

滅んだことに動揺はなく、経済活動をそのままつづけていました。

亡国の時が到来したことを覚悟した謝太后は、モンゴル軍の総司令官「伯顔」に降ることを決めた。この時、使者として遣わされたのが文天祥である。拘留された彼は脱走し勤皇の義軍をおこして捕えられ、降伏を求められたが、これを拒否して刑死する。一二七六年三月、国都杭州臨安府は伯顔の手におち、恭宗と謝太后らは捕虜となったが、この大事件を目撃しながら、臨安の市民たちは平常どおりの生活をつづけ、動揺の色は全く見えなかったと伝えられる。(no.2746)

これは意外ですよね。

君主への期待がうすくなると、ここまで関心をもたれなくなる ─ 。

歴史の教訓といえそうです。

明時代の発展

[宋 → 元]とつづいて、こんどは、明王朝が中国をおさめます。

明時代は、よりいっそう経済が発展しました。

元時代に導入された「貨幣」も浸透し、産業も盛りあがります。

地方都市ごとに、オリジナルの商品(磁場生産品)がうまれ、多様な市場がつくられていきます。

貨幣経済の浸透と商品生産の発展は、農村の生活を一変させたばかりでなく、都市の在り方にも大きく影響した。かつて政治的乃至商業的性格の強かった都市のなかに、生産都市ともいうべき一群が出現してきたのである。

具体的には、都市&産業は、こちら。

・松江 → 棉布
・揚州 → 塩業
・景徳鎮 → 陶磁器
・蘇州・湖州・杭州・南京 → 生糸&絹織物

といったかんじです。

なかでも蘇州は、絹生産を軸に、商業都市として発展します。

中国のなかでも、一大手工業エリアとなります。

当時の人口で、100万人をこえるほどでした。

蘇州は宋代以来の繁栄を引き継いだ当代随一の商業都市であり、絹業を基幹とする手工業都市であって、人口は一〇〇万を超えたと認められる。(no.3418)

くわえて、農業もかわります。

それまで、南部中国が、農産業の主流でした。

温暖で、農水にめぐまれていたからです。

しかし貨幣経済の浸透により、南部では、農業以外の産業がうまれます。

結果、農業の主流は、北部へと移ります。

一五世紀の中頃、明の天順年間から前述の諺は次第に姿を消し、代って「湖広熟すれば天下足る」と喧伝されるようになった。かつて天下の穀倉と認められてきた長江下流の平野が、その地位を湖広(湖北と湖南)に譲ったということに他ならない。その理由は、銀を中心とする貨幣経済の発展にともない、産業構造が大きく変化したことにある。(no.3429)

具体的には、南部(江南)では、稲作業にかわり、

・養蚕
・製糸
・絹織

などの、手工業が発達 ─ 。

田畑は、手芸品・工芸品をつくるために利用されるようになります。

すなわち、水稲の主産地であった江南では、伝統的な養蚕、製糸、絹織業が一段と活況を呈し、さらに棉作が普及し棉織業が新たに勃興したのである。農地は水田から桑田や棉田に転換し、農民は家内手工業に主力を注ぐようになったから、湖広地方が代役を引きうけるにいたったということである。3429

このように、貨幣は、経済効率を高めるためではありません。

産業構造をかえてしまうほど、インパクトをあたえるものです。

歴史をみると、マネーの役割を、より広い視野でみることができます。

世界史をまなぶ意味は、ここですね。

おわりに

本書は、中国史のながれを、コンパクトにまとめています。

物語調で、すらすらよめます。

ざっくりと、中国の歴史を知るには、役立つ1冊です。

よければ、チェックしてください。

ではまた〜。