イスラーム教の成立 ─ 特徴・聖典・聖地・開祖・創始者・ヒジュラ・ウンマ・ムハンマド・【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イスラーム教の成立について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・メッカ
・預言者
・ヒジュラ
・メディナ
・ウンマ
・カーバー
・アッラー
・『コーラン』
・六信五行
重要人物
ムハンマド
ポイント
・クライシュ族のムハンマドはイスラームを成立させ、ムスリムは唯一神アッラーを信仰の対象とした

この記事では、つぎの本を参考にしました。

イスラーム教の成立① ─ 誕生の背景

キャラバン

イスラームが生まれるまえの西アジアでは、「絹の道」を中心に交易がさかんにおこなわれていました。

しかし当時その地域をおさめていた[ビザンツ帝国 vs ササン朝ペルシャ]の対立が激しくなると、シルクロード交易がだんたんと衰退していきます。

代わって活発になったのがアラビア半島の西海岸をルートでした。そのさい都市メッカは交易の中継地となり、街全体がさかえるようになります。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

交易の担い手はアラブ人で、もともとかれらはアラビア半島に点在するオアシス都市をむすびながら、隊商貿易(キャラバン貿易)を活発におこなっていました。

ムハンマドもまたメッカ出身の商人で、イスラームはこのような商業都市のなから誕生しました。

イスラーム教の成立② ─ ムハンマドの啓示

ムハンマドの啓示

ムハンマドはクライシュ族のハーシム家出身です。

クライシュ族はもともと商業でさかえ、ムハンマドも幼いころから隊商貿易にはげんでいました。

しかし40歳を過ぎるころ、ふだんどおり瞑想していると、とつぜん唯一神アッラーから啓示をうけます。

神のお告げに恐れをなしたムハンマドは、しばらくのあいだ戸惑いを隠せなかったものの、だんたんと自分が預言者であることを自覚します。

その後、妻や友人をはじめ、メッカの人びとに布教運動を始めていきました。さいしょのうちは目立たず、小さい規模で宣教をおこなっていたので、まわりの住民たちは気にもとめていませんでした。

しかしだんたんと信者が増え、メッカ伝統の宗教がおびやかされると、イスラーム教徒たちは弾圧をうけることになります。

居場所がなくなったムハンマドたちは、メッカからの追放を余儀なくされます。

イスラーム教の成立③ ─ ヒジュラ

ムハンマドを迎える人びと

行き場のないムハンマドたちでしたが、メッカ北部にある町メディナから移住の誘いをうけます。

メディナ側のねらいは、地元勢力の争いがたえず、新しい宗教をひらいたムハンマドに両者の調停役をになってもらうためでした。

ようやく腰をおちつける場所をみつけたムハンマド一行は、メディナに移り住むことを決意します。

イスラーム教では、このときの移動を重要視しています。移住を「ヒジュラ(聖遷)」とよんだうえで、このときからイスラーム暦が始まる、としています(西暦622年=イスラーム元年)。

またメディナ移住後にイスラーム教団が本格的に組織され、メンバーの結束もつよくなっていきます。

イスラームでは、このときに形づくられた組織を「ウンマ(イスラーム共同体)」とよび、以後、ウンマの中枢メンバーが中東一帯に拡大したイスラーム世界を導いていくことになります。

ムハンマドが安定した活動基盤を築いたのは〔略〕622年に、少数の信者とともに、ヤスリブ(メディナ)に移住し、イスラーム教徒(ムスリム)の共同体(ウンマ)を建設してからのことであった。この移住を「ヒジュラ」という。(p.130)

─ 『詳説 世界史研究』

イスラーム教の成立④ ─ メッカ征服

カーバー神殿(1746年ごろ)

メディナでの布教活動からイスラームはますます信徒を増やし、ついにムハンマドは故郷のメッカ征服を決意します。

メッカにむかう隊商(キャラバン)を襲い、抗争のきっかけをつくったうえで、2度の戦争をおこします。結果、2つの戦いとも相手をうちまかし、勝利をおさめます。

どちら戦いも小さな争いでしたが、できたばかりのイスラーム教団からすれば、貴重な成功体感であり、大きな一歩でした。

戦いに勝ったのち、ムハンマド一行はメッカに足をすすめ、その郊外でメッカの代表者と交渉にのぞみます。長期間の話し合いのあと、ムハンマドたちは、ようやく街中へ入ることがゆるされます。

さらに、それまでメッカ住人たちの信仰対象だったカーバー偶像を破壊していきます。

こうしてムハンマドのイスラーム教は、正式に認められることになりました。

その後、イスラーム勢力はアラビア半島に影響力をおよぼし、ほぼすべての地方豪族を制圧することになります。

アラビア半島全域がその手におさまったのち、開祖ムハンマドは息をひきとります。

イスラーム教の成立⑤ ─ イスラームの教え

1286年ごろの『コーラン』

さいごに、ムハンマドがひらいたイスラームの教えをみていきましょう。

特徴としては、つぎの6つがあげられます。

  • 唯一神アッラー
  • ムハンマド=預言者
  • 偶像崇拝の否定
  • アラビア語による教典『コーラン』
  • 啓典の民
  • 六信五行による規定

それぞれ、かんたんにふれてみます。

唯一神アッラー

イスラーム教においては、アッラーのみを信仰の対象とします。アッラーは絶体神であり、ユダヤ教やキリスト教のヤハウェと同じ存在です。

イスラームとは「アッラーへの絶対的な帰依」を意味し、帰依した人を「ムスリム」とよびます。

ムハンマド=預言者

イスラーム教をひらいたのはムハンマドですが、彼は「神さま」ではありません。

あくまで唯一神アッラーの言葉をうけとり、神の言葉を人びとに伝える預言者です。

その意味で、ユダヤ教のモーセや、キリスト教のイエスと、同じ役まわりということになります。

ただし、ムハンマドは「最後にして、最大の預言者」であり、彼のあとは二度と同じ預言者が現れない点が、イスラーム教においてたいへん重要です。

偶像崇拝の否定

カーバーの偶像を破壊したことからも分かるとおり、イスラーム教では、偶像崇拝はタブーとされています。

さらに、聖職者の存在も認めません。すべての信徒は、神のまえでは全員が平等である、とされます。

教典『コーラン』

教典は『コーラン』です。

ムハンマドが生きていた時代ではありませんでしたが、のちの世代で編纂されました。

アラビア語で書かれ、すべてが神の言葉とされています。

内容については、ムハンマドが神の啓示をうけたときのエピソードなど、イスラーム教にまつわる話が、たくさん記されています。

啓典の民

同じ神を信じているところから、イスラーム教では、ユダヤ教徒もキリスト教徒も啓典の民とみなし、尊重しています。

統治のうえで、かれら信者を支配するにしても人頭税(シズヤ)を支払えばユダヤ教&キリスト教の信仰は認めます。

商業地区から生まれた宗教だけあって、イスラーム教は、たぶんに現実主義的な立場をとっていることが分かります。

六信五行による規定

イスラーム信者の信仰内容と行動規範は六信五行によって決められています。

六信とは「6つの信条」のことで、信仰すべき対象をさしています。

具体的には、

・アッラー
・天使
・啓示
・預言者
・来世
・宿命

の6つです。

いっぽう、五行とは「5つの行動義務」のことで、守るべき行いやふるまいをさします。

具体的には、

・信仰告白
・礼拝
・喜捨(財の施し)
・断食
・巡礼

の5つです。

イスラーム教の信仰と行為の内容を簡潔にまとめたものを六信五行という。六信とは、①神、②天使、③『コーラン』だけでなく『旧約聖書』と『新約聖書』をふくむ啓典、④モーセ、イエス、ムハンマドなどの預言者たち、⑤来世、⑥神の予定を信じることであり、五行とは、①信仰告白、②礼拝、③喜捨、④断食、⑤メッカ巡礼をおこなうことである。(p.131)

─ 『詳説 世界史研究』

おわりに

イスラーム教の成立についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・メッカ
・預言者
・ヒジュラ
・メディナ
・ウンマ
・カーバー
・アッラー
・『コーラン』
・六信五行
重要人物
ムハンマド
ポイント
・クライシュ族のムハンマドはイスラームを成立させ、ムスリムは唯一神アッラーを信仰の対象とした

この記事が、イスラームを理解したい人のヒントになれば、うれしいです。

では、また。