どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・ベンガル分割令
・スワデーシ
・スワラージ
・全インド=ムスリム同盟
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
インドの民族運動① ─ ナショナリズムの高揚

それまでのインドは、イギリスがインド帝国としておさめていました。
イギリスは都心部では鉄道や電信をつくりあげ、近代的な社会を構築していきます。地方では、コーヒーを綿花などの体の情景(プランテーションを発展させます。
これによりイギリス本国の経済は大いにさかえることになります。
しかし、インドの各地方では大規模な飢饉がたびたび発生します。
そんなインド国内の弊害をうけて、イギリスの近代化政策によって成長した、インド民族の資本家や知識人が不満の声を高めて行きます。
これにより民族意識もまた高揚し、ナショナリズムの運動がだんたんともりあがっていきます。
インドの民族運動② ─ インド国民会議

民族意識の高まりに、イギリスも何らかの対策を取る必要がありました。
そこでインド人の不満をそらすため、イギリス政府は、知識人を集めた諮問会議を開催します。
これがインド国民会議です。
当初イギリスとしては、この会議をガス抜きの場くらいにしか思っていませんでした。
しかしティラクをはじめとした急進派の勢いが思いのほかつよくなり、じょじょに反イギリスの動きが活発になっていきます。
革命を恐れたイギリスは、インドの統一反乱を避けるため「ベンガル分割令」とよばれる分割策に打ちだします。
これは、
でした。
しかしティラクたち急進派は、イギリスの分割策にひっかかることなく、カルカッタ大会を開いたうえで、
・スワデーシ(国産品愛用)
・スワラージ(自治獲得)
・民族教育
の四大綱領を採択します。
これにより、反英にもとづくインドの統一をおしすすめていきます。
けっきょくベンガル分割令は失敗におわり、ティラクたちは廃止にまで追いこみます。
それでもあきらめないイギリスは全インド=ムスリム連盟を結成させ、反英の国民議会派に対抗するため、ふたたび民族運動の分断をはかります。
その後インド国内では、イギリスが手をひいたあとの政治利権をめぐる、
vs
イスラーム教グループ
の対立が激しくなり、民族運動そのものも下火になっていきます。
おわりに
インドの民族運動をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ベンガル分割令
・スワデーシ
・スワラージ
・全インド=ムスリム同盟
この記事が、インドの民族運動を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。
 
                






