イベリア半島の統一 ─ 特徴・国土回復運動・スペイン王国・最後のイスラーム王朝・【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イベリア半島の統一について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・国土回復運動
・ナスル朝
・グラナダ陥落
重要人物
・フェルナンド
・イザベル
・ジョアン2世
ポイント
・アラゴン王国&カスティリャ王国の統合によりできたスペイン王国は、11世紀以来つづいていた国土回復運動を完成させる

この記事では、つぎの本を参考にしました。

イベリア半島の統一① ─ 統合まえのようす

都コルトバ

さきにイベリア半島が統一されるまえの状況をたどっていきましょう。

イベリアは、古くからカルタゴやローマ帝国の植民地でした。

ゲルマン人の移動後は、西ゴート人が進出し、国をたてます。西ゴート王国は、トレドに都をおきます。

しかしアラブでおきたイスラーム勢力(ウマイヤ朝)の侵攻に合い、滅亡することになります(711年)。

その後、後ウマイヤ朝がきずかれ、都市コルドバがさかえます。

イスラーム勢力は、後ウマイヤ朝のあとは、[ムラービト朝 → ムワッヒド朝]とつづきます。

そんなかれらを相手に、ヨーロッパ側も対抗しはじめます。この動きを「国土回復運動(レコンキスタ)」とよび、11世紀以降、活発になっていきます。

12世紀のあいだに、イベリア半島の北部はキリスト教圏に入り、

・アラゴン王国
・カスティリャ王国
・ポルトガル王国

の3国が並存するかたちとなります。

いっぽうイベリア半島の南部は、イスラーム系のナスル朝が成立し、都をグラダナにおきます。

イベリア半島の統一② ─ スペイン王国の成立

都グラナダの陥落(出典:wiki

しばらく各国の共存がつづいたあと、1479年に、

・アラゴン王子 フェルナンド
・カスティリャ王女 イザベル

が結婚します。

これにより、アラゴン王国カスティリャ王国が合わさり、スペイン王国が成立します。都はマドリードにおかれました。

また、ふたりは「カトリック両王」の称号をうけ、以後、ローマ教皇とのつながりがつよくなっていきます。

さらにスペイン王国は、国土回復運動を積極的におこない、ついには、都市グラナダを陥落し、ナスル朝を滅亡させます。

イベリア半島をほぼ統一した王国は、海に乗りだし、つづく大航海時代の主役となっていきます。

イベリア半島の統一③ ─ ポルトガル王国の台頭

ポルトガル王ジョアン2世(出典:wiki

スペイン王国と並行して勢力をのばしたのが、ポルトガル王国です。

かれらはもともとカスティリャ王国に属していたものの、そこから独立します。

都はリスボンにおきました。

スペイン王国よりも早くに海洋交易に乗りだし、15世紀の中ごろには、アフリカ大陸にむけて航海をおこなっています。

なかでも「航海王子」とよばれたエンリケは、船の冒険に熱心で、アフリカ西岸に何度も探検隊をおくります。

つづくジョアン2世は、ポルトガル国内の中央主権化をはたし、国の基盤をばんじゃくなものとします。

そのうえで、エンリケ王子と同じく、熱心に航海をおこない、ついには、インド航路の発見&開拓にいたります。

スペイン同様、ポルトガルも大航海時代の主役となっていきます。

おわりに

イベリア半島の統一についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・国土回復運動
・ナスル朝
・グラナダ陥落
重要人物
・フェルナンド
・イザベル
・ジョアン2世
ポイント
・アラゴン王国&カスティリャ王国の統合によりできたスペイン王国は、11世紀以来つづいていた国土回復運動を完成させる

この記事が、イベリア半島の統一を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。