【書評】M.ピアード『SPQR ─ ローマ帝国史』感想&レビューです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・できるなぁ
・発想がすごいなぁ

と、思う人は、キホン、教養を身につけています。

なかでも、重要なのは「世界史」です。

ここ数年、ビジネスマンの必須知識として「世界史」が注目をあつめています。

ネット時代をむかえ、グローバル化が加速しているからです。

とくに、ヨーロッパ史の流れは、おさえておく必要があります。

グローバル経済は、ヨーロッパから始まったからです。

ヨーロッパの根っこには、古代ローマ文化が流れています。

とはいえ、ローマ史は、分量が多く、すべて知るのはたいへん。

そんなとき、つぎの本をみつけました。

著者は、イギリスで活躍する、ローマ史の専門家。

2016年に出版された本書は、新聞・雑誌の各紙に絶賛され、ベストセラーになりました。

これまでのローマ史の常識をくつがえす見解が豊富で、個人的にも〝目からウロコ〟でした。

ローマ史の流れをたどりたい人はもちろん、ある程度、ローマ帝国を理解している方でも、かなり満足できる内容です。

M.ピアード『SPQR』の概要

まずは目次から。

こんなかんじです。

プロローグ ローマの歴史
第1章 キケロの晴れ舞台
第2章 古代ローマの起源
第3章 王政ローマ
第4章 ローマの大躍進
第5章 より広い世界へ
第6章 新しい政治
第7章 帝国から皇帝へ

ローマの起源から「共和政」がおわる時代までを描きます。

人物でいえば、皇帝「カエサル」が即位するまでです。

つづいて、下巻。

第8章 歴史の舞台裏
第9章 アウグストゥスの変身
第10章 十四人の皇帝たち
第11章 持てる者と持たざる者
第12章 ローマの外のローマ
エピローグ 古代ローマ、前半の千年

帝政ローマ時代を描きます。

フツーの解説本では、「西ローマ帝国滅亡」(476年)まで書きます。

しかし、本書は「アントニヌス勅令」(212年)で終わります。

そのワケについて、著者は、

アントニウス(=カラカラ帝)の勅令によって、帝国内の住人に「市民権」が提供されたから

としています。

「市民権」とは、〝ローマ人であることの証〟でした。

コレがすべての人たちが受けとることで、「ローマ人らしさが失われた → 事実上、ローマ帝国ではなくなった」とみるからです。

よって、212年の「アントニヌス勅令」で、本書を終わらせます。

世界史の常識になれた人たちからすれば、違和感がありますが、これはこれで、ひとつの〝味〟といえます。

M.ピアード『SPQR』の詳細

以下、引用をあげつつ、気になった箇所をあげていきます。

統治システム&拡大要因

著者は、古代ローマの歴史家「ボリュビオス」の記述を高く評価します。

かれは、ギリシャ出身で、捕虜として「ローマ帝国」につれてこられました。

「捕虜」といっても、知識人で、高い階層に属していたため、わりと自由に生活したそうです。

能力をいかして、かれは、ギリシャ政治とくらべながら、ローマの統治システムを分析します。

その内容が、「いまでも十分に参考になる」と、著書はいいます。

統治が成功しているワケ

ローマの統治が成功している理由に、

王政・貴族政・民主政のバランス(=いいトコどり)

をあげています。

それぞれの政治体制のメリットをかけ合わせて、バランスよく統治に活用している、と指摘します。

たいていは、3つのどれかに〝偏り〟、統治能力が失われるのが、歴史の常(つね)です。

たとえば、こんなかんじ。

・王政 → 独裁政治
・貴族政 → 寡頭政治
・民主政 → 衆愚政治

右へシフトして、堕落しないように、ローマでは統治システムに工夫が施されている、とボリュビオスは見抜くわけです。

〔ローマの政治制度は〕王政と貴族政と民主政のいいところを組み合わせた〝混合政治〟だ。軍の最高司令官であり、元老院や民会の招集権をもち、全財務官に命令権をもつ〔……〕執政官は「王政」の要素。〔……〕財政の決定権をもつようになり、各都市への役人異動をきめ、事実上の立法府であり、ローマおよび同盟市の治安を監督していた元老院は「貴族政」の要素。〔……〕そして、市民が「民主政」の要素。(上巻・224)

成功の秘密は、執政官・元老院・市民のあいだの相互監視とパワーバランスの繊細な関係であり、そのおかげで王政・貴族政・民主政のどれかが優勢になることはなかったからだ、とポリュビオスは論じる。〔……〕たとえば、執政官は、軍を完全に支配する国王的な力をもっていたかもしれないが、そもそも市民によって選出されなければならず、軍事行動をおこすにも、その資金は元老院にたよっている。(上巻・224)

権限のバランスがうまくとれているために、ひとつの立場に偏らずに、結果、暴政に落らずに済んでいる、というわけです。

ローマ拡大の要因

いっぽうで、ボリュビオスは、バランスのとれた統治システムがあったからこそ、ローマが領土を拡大できた、と指摘しています。

権力の基盤がしっかりし、そのうえで遠征による資源・資金が、定期的に流入してくることで、豊かたになっていった、と ─ 。

『歴史』を書いていたポリュビオスが、カンナエの戦いの頃の共和政ローマの確固たる政治システムについて、長々と脱線したのは、やはりローマの持久力のことを考えていたからにちがいない。かれの大きなテーマは、古代ローマが、なぜ世界征服を成しとげたかを説明することだったが、その理由のひとつとして、政治構造の安定性と持続力をあげている。(上巻・219)

海外での戦勝は、共和政ローマそのものに重要な影響をもたらした。〔……〕前2世紀半ば、戦争で得た利益のおがけで、共和政ローマは、当時知られていたどの国より裕福になった。何百万人の人びとが、捕虜から奴隷となり、農場や鉱山、さまざまな場所で使役され、これまでにない規模で資源が開発されて、ローマの生産性と経済成長を底上げした。(上巻・211)

遠征・侵略によって、うるおう国はありますが、それは〝一時的〟です。

国内の権力バランスが崩れれば、どんなに経済が豊かでも、さいごは崩壊します。

どれかひとつの制度にかたよらず、それぞれの利点をいかして統治しているからこそ、国家が持続する、というわけです。

共和政がなくなった要因

ボリュビオスの意見をふまえれば、ローマが「共和政」から「帝政」へシフトした理由も、みえてきます。

フツーは、「帝政時代のローマ」は、〝皇帝による独裁がはじまった〟とみられがちですが、まちがいです。

むしろ、それまでの民衆よりの「共和政」に〝いきづまり〟がみえたからこそ、練りに練って、「帝政」にモデルチェンジした、とみるほうが正しい。

「共和政」の末期、つまり、カエサルが登場するまえは、この政治体制はボロボロでした。

・賄賂
・騒乱による選挙停止
・敵対候補の暗殺

などが、多発・横行し、共和政は、まともに機能していませんでした。

それでもなんとか統治システムを働かせるために、しっかりとした「皇帝」を立て、秩序をとりもどそうとしたわけです。

〔……〕共和政ローマ、最後の1世紀は、ただの地に塗られた政治抗争だけの時代ではない。〔……〕ローマ人が、自分たちの政治プロセスを、じょじょにむしばんでいる問題について真剣に考えようとし、複数の偉大な発明に至った時代でもあったのだ。(上巻・261)

これは〝目からウロコ〟の見解ですね。

世界史の教科書だけを読んでいたら、知れなかった指摘です。

初代皇帝「アウグストゥス」のナゾ

「帝政」シフトのキッカケをつくったのはカエサルです。

あとをつぐかたちで、初代皇帝に「アウグストゥス」が即位しました。

すぐれた政治家ですが、著書によれば、とてもナゾの多い人物です。

アウグストゥスの「メディア」戦略

まちがいなくいえるのは、統治能力は、バツグンということです。

独裁的・強権的というより、(良くも悪くも)民衆全体の動きをよく把握していました。

どうすれば、かれら / かのじょたちを、コントロールできるか、わかっていたわけです。

たとえば、かれは、街のいたるところに、〝みずからの肖像画〟を掲げました。

さらに、皿や小物などにも、自分の顔を描かせたといいます。

こうすることで、みじかに「皇帝の存在」を感じさせて、民衆のキモチをおさえていました。

これは、いまでいう「メディア戦略」で、武力・暴力ではなく、意識のうえで支配していたわけです。

アウグストゥスは、その姿が見えていても、実際にはそこにいなかった。そしてそれが、かれの秘密のひとつだったのだ。アウグストゥスの最も重要かつ後世にまで残った改革のひとつは、ローマ世界を自分の肖像であふれさせたことだ。(下巻・086)

人びとのポケットでカチャカチャ音をたてている小銭には、かれの顔が刻印され、広場や神殿には大理石やブロンズの巨大な彫像がたち、ミニチュアサイズのそれは、指輪や宝石、食器に彫りこまれたり、浮き彫りにされたりした。これほど大規模に、この手の宣伝キャンペーンがおこなわれたことは、かつてなかった。(下巻・086)

「紙」すら普及していなかった時代に、こんな戦略をとっていたなんて、かなり驚きですよね。

くわえてスゴいのは、みずからの似顔絵&肖像画を、生涯にわたり〝一貫させた〟こと。

じぶんが年老いても、これらの画像は、若いままだったそうです。

こうすることで、民衆の心のなかに、〝永遠の皇帝〟をとどまりつづけることになる ─ こんな効果をねらいました。

恐れ入りますね(笑)

人物像はナゾ

すばらしい統治能力を発揮したアウグストゥスですが、じつは、本人の性格・人物像は、よくわかっていないそうです。

感情の激しさだったり、女ぐせの悪さだったり、くわしいことは、さっぱりだそうです。

さらにいえば、まわりにどんな参謀(ブレーン)がいたのかもわかっていない。

うえにあげた政策の数々、どんなふうにして提案され、実行されるに至ったのかも不明のよう。

〔……〕人間としての皇帝は、最後まで謎だらけだった。友人たちに囲まれて、息を引きとる直前、リヴィアの長いキスが終わると、アウグストゥスは、ギリシャ喜劇から、いかにもかれらしい、こんな意味ありげな引用を口にした ─ 「もしわたしが、自分の役を演じてきったなら、どうか拍手してくれ」。(下巻・119)

そんなアウグストゥスにたいして、著者は、やや〝くだけた表現〟で記述します。

かれは長年、いったいどんな役を演じてきたのだろうと、そこにいた多くの人びとは、疑問に思っただろう。そして、本物のアウグストゥスはいったいどこに? だれがセリフを書いていたのか? アウグストゥスは、いったいどうやって、こんなに大胆に古代ローマの政治地図を書きかえることができたのか? どうやって40年以上も、意のままにやってこれたのか? だれがそれを助けていたのか? すべてが謎だった。(下巻・119)

たとえば、かれの(あるいはリヴィアの)公式イメージを定めたのはだれか? 軍制改革や、新年金制度について、だれとどんな話し合いがおこなわれたのか? だれに暗殺されるでもなく、ここまで生き延びてこられたのは、単純に運が良かったから?(下巻・119-120)

以後の皇帝は、多かれ少なかれ、アウグストゥスがつくったルールにそって統治していきました。

その意味では、ローマ帝国のなかでも最重要人物ですが、くわしいところは、わかっていません。

ここがローマ史の魅力でもあり、研究に値するトコなんでしょうね。

おわりに

常識をくつがえす見解のオンパレードで、「なるほどー」と思いながら、ページをめくっていました。

学者さんということで、遠回りな表現が多いですが、そこをガマンすれば、かなり楽しめる本です。

いまのところ、ローマ史を知るには、1,2を争う作品ではないでしょうか。

よければチェックしてみてください。

ではまた〜。