どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・サンバルテルミの虐殺
・ナントの王令
・ブロンドの乱
・スペイン継承戦争
・ユトレヒト条約
・アンリ4世
・ルイ13世
・リシュリュー
・ルイ14世
・マゼラン
・コルベール
・ルイ15世
・王権神授説をとなえたルイ14世は常備軍を拡大して、絶対王政の最盛期をきずいた
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、フランス絶対王政のようすをみていきましょう。
目次
フランス絶対王政① ─ フランソワ1世

ヴァロワ朝のフランソワ1世は、反ハプスブルクをかかげ、イタリア戦争をおこします。
けれど長期にわたる戦いのすえ、くしくも敗れてしまいます。
さらに神聖ローマ皇帝選挙でも敗北をきっし、ハプスブルク家の覇権をゆるしてしまいます。
勢力拡大に対処するため、フランソワ1世は、ほんらい交わるはずのないオスマン帝国のスレイマン1世と同盟をむすび、ハプスブルクのカルロス1世を牽制します。
外交ではなかなかうまくいかないなか、国内では力を発揮します。
新教のユグノーを抑えながら、王権を強化し、文化面ではルネサンス運動を手厚くサポートします。
フランス絶対王政② ─ ユグノー戦争

フランソワ1世亡きあと、シャルル9世があとをひきつぎます。
しばらくユグノー勢力を抑えていた王朝でしたが、中産市民や商工業者のあいだで、ユグノー支持者が増加し、ヴァロワ朝はなかなか手に負えない状況になっていきます。
そのなかでおきたのがユグノー戦争でした。
発端
ユグノー戦争の発端は、シャルル9世の摂政をつとめていた母カトリーヌ=ド=メネシスが、ユグノーへの弾圧をゆるめ、寛容政策をとったことでした。
〝タガが外れた〟ユグノー勢力は、王朝に信仰の自由を認めてもらうため、武力でもって対抗します。
それにより大規模な戦争への発展することになりました。
展開
フランス国内で[新教 vs 旧教]の対立がはげしくなるなかで、今度は外国勢力が、それぞれのグループに肩入れします。
スペインはカトリックを、イギリスはユグノーを支援しました。もちろん両国のねらいは[新教 vs 旧教]の内紛を利用して、フランス国内を〝荒らす〟ことでした。
そのためにユグノー戦争は、フランスの内乱というより、国際戦争のようすをみせはじめます。
そのなかでおきたのがサンバルテルミの虐殺です。
これは、
です。
この事件により[新教 vs 旧教]の対立は決定的となり、しばらくのあいだフランスは内乱状態におちいります。
終結
争いが激しくなるなか、ついにヴァロワ朝のアンリ王が暗殺されます。
ここでヴァロワ朝は断絶し、さきにあげたナヴァール王アンリがフランス国王アンリ4世として即位し、ブルボン朝がスタートします。
アンリ4世は宗教対立による内乱をおさえるため、みずからが支持するユグノーをすて、カトリックに改宗します。
いっぽうでユグノー勢にむけては、信仰の自由を認めるナントの王令を発布し、双方の対立をおさえこみます。
アンリ4世の〝奇策〟によって国内の混乱はおさまり、以降フランスは国家の統一事業をおしすすめていくことになります。
…
ユグノー戦争終結後は、ブルボン朝は内政を整え、諸外国にむけても積極的な外交政策をとりつづけます。
以下、歴代の国王に沿って、ブルボン朝治世のようすをみていきしょう。
フランス絶対王政③ ─ アンリ4世

ユグノー戦争をおわらせたアンリ4世は、その勢いのまま、国家統一事業をすすめていきます。
いっぽう海外では、フランス東インド会社を創設し、カナダのケベックに植民地をたてます。
以後、カナダの東海岸は、フランスの統治下に入ります。
フランス絶対王政④ ─ ルイ13世&リシュリュー

アンリ4世をひきついだルイ13世は、王権強化のために三部会を停止して、貴族の権勢を削ごうとします。
さらに国家理性をかかげるリシュリューを宰相に登用し、国家統一をおしすすめていきます。
彼は国家に反抗する貴族階層やユグノーを抑えこみ、王権の力を高めていきます。
またパリにアカデミー=フランセーズを開設し、フランス語を基軸とした文化統合を果たしていきます。
いっぽう諸外国にたいしては、隣国ドイツでおきた三十年戦争に介入し、反ハプスブルクの立場から、ドイツの新教派を支援します。
これにより、宿敵だったハプスブルク家の勢力を抑えることができ、反対に、ヨーロッパ諸国にたいするフランスの権勢は、よりいっそう高まっていきます。
フランス絶対王政⑤ ─ ルイ14世&マゼラン

ルイ13世をひきつぎルイ14世が即位します。
といっても、就いた当初は幼かったため、リシュリューの推薦をうけたマゼランが宰相として国家運営をおこないます。
マゼランもまた王権強化のために、さまざまな施策&対策をおこないます。
ブロンドの乱
国内では、高等法院を拠点とした貴族層の反乱ブロンドの乱がおこります。
けれどマゼランはうまく反抗を鎮圧し、これにより貴族層の力は弱まり、フランスでは絶対王政が確立します。
海外では、介入していた三十年戦争が終結し、ウェストファリ条約がむすばれます。それによりフランスは、産業の要所であるアルザス地方を獲得し、経済面でも力をつよめていきます。
内政の整備
マゼラン亡きあとは、成人したルイ14世が親政を開始します。
彼の時代がフランス絶対王政の絶頂期で、まわりからは「太陽王」と称され、みずからも「朕は国家なり」と語るまでになりました。
内政の整備にもはげみ、以下2つの政策を展開しました。
・ヴェルサイユ宮殿の造営
リシュリューが整備した常備軍を強化することで、フランス陸軍はヨーロッパ最大とうたわれるようになります。
またヴェルサイユ宮殿は、宮殿建築の模範となり、さらに宮廷でつかわれていたフランス語は、外交上の共通語になっていきたす。
経済政策
いっぽう経済政策については、財務総監コルベールのもと、重商主義政策(コルベール主義)をとりました。
・フランス東インド会社の再建
・西インド会社の設立
などにより、海外では植民地政策をおしすすめます。
その一環として、ルイジアナにマニュファクチャを設立します。
宗教政策
宗教政策では、いまだ反抗をくりかえすユグノー勢をおさえるため、アンリ4世が発布したナントの王令を廃止し、弾圧をつよめていきます。
ただしこの強権策はうまくいかず、ユグノーの国外逃亡をまねき、そのさいヒトやモノといっしょに、時計生産など国内の主要産業も海外に流れていってしまいます。
それにより、フランスではこれといった産業が育たず、近代化の遅れにつながっていきます。
外交政策
対外政策にかんしては、リシュリュー&マゼランがきずいた豊富な資金から、積極的に海外遠征をおこないます。
ルイ14世がおこした戦争は、つぎのとおりです。
・オランダ侵略戦争
・ファルツ継承戦争
・スペイン継承戦争
ファルツ継承戦争は、イギリスを相手とする植民地戦争のきっかけとなりました。
スペイン継承戦争は、スペイン=ハプスブルク家の断絶をきっかけとした争いです。
ルイ14世の孫であるフェリペ5世の即位に反対する、
・イギリス
・オランダ
・プロイセン
が手をむすび、フランスにたいして戦争をしかけます。
13年におよぶ争いの結果、フランスとヨーロッパ諸国のあいだでユトレヒト条約がむすばれます。
これにより、つぎの取り決めがなされました。
・フェリペ5世の王位継承を承認
イギリス
・(スペインから)ジブラルタル&ミノルカ島を獲得
・(フランスから)ニューファンドランド&アカディア&ハドソン湾を獲得
・スペイン植民地との奴隷供給契約権を獲得
プロイセン
・公国から王国に昇格
またユトレヒト条約の翌年に締結されたラシュタット条約では、つぎの約束がなされました。
・(スペインから)南ネーデルラント&ミラノ&ナポリ&サルディーニャを獲得
ふたつの条約内容をみてわかるとおり、スペイン継承戦争は、フランスにたいして、なんら利益をもたらしませんでした。
むしろ一連の戦争で国庫はからっぽになり、くわえて、宮廷生活の浪費&税収の低下からフランス財政はゆきづまっていきます。
フランス絶対王政⑥ ─ ルイ15世

ルイ14世をひきついだルイ15世は、父と同じく対外戦争をくりかえします。
その結果、
・七年戦争
をつうじて、フランス財政はよりいっそうひっぱくしていきます。
くわえてイギリスから海外領土を奪われ、植民地獲得競争からも一歩遅れをとることになりました。
おわりに
フランス絶対王政についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・サンバルテルミの虐殺
・ナントの王令
・ブロンドの乱
・スペイン継承戦争
・ユトレヒト条約
・アンリ4世
・ルイ13世
・リシュリュー
・ルイ14世
・マゼラン
・コルベール
・ルイ15世
・王権神授説をとなえたルイ14世は常備軍を拡大して、絶対王政の最盛期をきずいた
この記事が、フランス絶対王政を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




