ポーランド分割の世界史 ─ なぜ・独ソ・コシューシコ【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ポーランド分割について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ヤゲウォ朝断絶
・選挙王制
・ポーランド分割
重要人物
・コシューシコ
ポイント
・ヤゲウォ朝断絶後、選挙王制がしかれ、大貴族が分裂したのをきっかけに、ポーランドの分割が始まった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ポーランド分割の世界史① ─ ヤゲウォ朝の断絶

ヤゲヴォ朝の祖(ヤドヴィガ&ヴワディスワフ)

それまで、ポーランド一帯はヤゲウォ朝がおさめていました。

しかし王朝が断絶しても、ポーランド全体を統治するような強い王家はあらわれず、各地の有力者が、みずからの権限を主張するようになります。

その後も統一王朝は登場せず選挙王制となって、シュラフタとよばれる大貴族が分立していくことになります。

このような事態が、ポーランド分割の引きがねとなりました。

ポーランド分割の世界史② ─ コシューシコの抵抗運動

コシューシコ

ポーランドの勢力が分散しているすきをついて、周辺諸国がつぎつぎに手をのばしていきます。

そのなかでついに、隣国プロセインが、ほかの国々ポーランド分割を提案します。

ほぼ侵攻するようなかたちで、周辺諸国はポーランド領内に軍隊を送りこみます。

参加したのは、

・プロセイン(フリードリヒ2世)
・ロシア(エカチェリーナ)
・オーストリア(ヨーゼフ2世)

で、いっぱんに「第一回ポーランド分割」とよばれます。

つづいて約20年後にも、ポーランド分割がなされます(第2回ポーランド分割)。

参加したのは、プロセインとロシアで、2回目はフランス革命の混乱に便乗して、なされたものでした。

そのさいポーランドにはコシューコなどの反抗指導者があらわれますが、抵抗は失敗におわります。

結果、ポーランドは半分ちかくの領土を、プロセインとロシアに奪われてしまいました。

これに気をよくしたプロセインとロシアは、その2年後に、みたびポーランド分割をおこないます(第3回ポーランド分割)。

参加したのは、第1回と同じく、

・プロセイン
・ロシア
・オーストリア

で、これによりポーランドは大半の領土を奪われます。

これによりポーランドは、かつての権勢をなくし、その後1918年になって、独立をそうやく回復します。

おわりに

ポーランド分割についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ヤゲウォ朝断絶
・選挙王制
・ポーランド分割
重要人物
・コシューシコ
ポイント
・ヤゲウォ朝断絶後、選挙王制がしかれ、大貴族が分裂したのをきっかけに、ポーランドの分割が始まった

この記事が、ポーランド分割を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。