どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・ウェストミンスター憲章
・ルール占領
・ヴァイマル憲法
・ドーズ案
・ロカルノ条約
・ポワンカレ
・ブリアン
・エーベルト
・シュトレーゼマン
・ヒンデンブルク
・第一次大戦で敗北したドイツは、ドーズ案で経済復興がなされ、ロカルノ条約で国際社会への復帰を果たした
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、
- イギリス
- フランス
- ドイツ
- 東欧諸国
の順に、第一次大戦後のようすをみていきましょう。
目次
第一次世界大戦後のヨーロッパ① ─ イギリス

イギリスについては、大戦後の被害から大英帝国の再編がなさせれます。
まず植民地&保護国では、強制的に兵士を徴収したり、重税をかしたことで、独立機運が高まり、対応に追われます。
また統治下にあったアイルランドでも独立運動がもりあがり「アイルランド自由国」として認めることになります。
当初はアルスター地方は除外されていましたが、のちにエールとして完全に独立を果たします。
世界各地のイギリス植民地で独立の動きが高まるなかで、イギリスは「イギリス帝国主義」とよばれる植民地の代表者を集めた会議を開きます。
そこではイギリス王朝への忠誠のもと、自治領にたいして本国と対等の権利を与えることが決まります。
これによりイギリス連邦が成立し、さらにウェストミンスター憲章が制定され、各国の権利が法律として保障されます。
一連のできごとから、植民地国への自治がだんだん認められることになります。
いっぽう国内では、選挙法が改正され、市民が参政権を獲得していきます。
第4回選挙法改正では、21歳以上の男性と、30歳以上の女性に参政権が与えられます。
第5回選挙法改正では、21歳以上の男女に参政権が与えられます。これによりイギリスでは普通選挙が完成されます。
くわえて政党では、市民層支持者の多い、労働党が躍進します。
背景には経済不振が原因で、資本家支持者の多かった自由党の衰退がありました。
党首のマクドナルドは、自由党と手をむすんだうえで、第一次労働党内閣を成立させます。
外交面では、労働党ということで、ソ連を国家として認めています。
第一次世界大戦後のヨーロッパ② ─ フランス

大戦後のフランスは、深刻な財政難に陥ります。
その要因は、
・ロシア滅亡による債権の回収ができなかったこと
・アメリカとイギリスへの戦債がふくれあがったこと
などがあげられます。
そのため、ときの首相クレマンソーは、それにたいしては干渉戦争を始め、ドイツにたいしては強硬外交で、できるだけ賠償金や領地をもぎとろうとします。
つづくポアンカレ内閣も、クレマンソー同様、ドイツにたいして強硬外交でのぞみます。
彼はベルギーを誘ったうえで、戦後処理条約にはないルール地方の占領を始めます(ルール占領)。そのさいの口実は、ドイツが賠償金の支払いをしていない、というものでした。
しかしこれは、国際的な非難を浴びて、約2年の侵略戦争を終えて、軍を撤退させます。さらにフランス国内からも批判の声が上がり、ポアンカレ内閣は失脚します。
かわって政権をになったのは左派連合でした。かれらは強調外交を展開し、外相のブリアンはソ連を国家として承認します。
さらにルール地方からの軍撤退を正式に決め、ロカルノ条約をむすんだうえで、国際協調路線をとることを世界各国にむけてアピールします。
第一次世界大戦後のヨーロッパ③ ─ ドイツ

戦後直後、国王のヴィルヘルム2世が亡命したことで、ドイツ革命が起こります。
キール軍港の水平暴動をきっかけにはじまり、スパルタクスダウンを中心とした、ドイツ共産党が武装蜂起を決行します。
しかし、指導者のカール=リープクネヒトとローザ=ルクセンブルクが反対派から虐殺され、革命は失敗におわります。
変わって政権をになったのが社会民主党でした。初代大統領のエーベルトは、民主的なヴァイマル憲法を制定したうえでヴァイマル共和国を成立させます。
このヴァイマル憲法は「世界で最も民主的な憲法」とうたわれ、
・成年男女の普通選挙
・労働者の団結権と団体交渉権
・基本的人権の尊重
などが明記されていました。
しかしご存知のように、この憲法体制から独裁者ヒトラーがうまれます。
というのも、ヴァイマル憲法では大統領に「大統領緊急令」とよばれる非常大権が認められ、それが当人の都合で濫発されるようになったからです。
結果、議会制民主主義そのものが人びとの信用をうしない、〝耳ざわりの良い〟政策を語るヒトラーに、支持者が一気に集まったわけです。
ルール占領
外交に関しては、賠償金支払いの延長を口実とした、フランスとベルギーによるルール占領が、いちばんの争点となりました。
なんら対抗措置をとらないドイツ政府にたいして不満の声があがり、労働者は「消極的抵抗」とよばれたストライキなどを全国各地で決行していきます。
それによりドイツ市場では、とんでもないインフレがおこり、一時マルク通貨の価値は、1兆分の1にまで下がりました。
その後、(さきにみたとおり)国際的な非難をあびたフランス&ベルギーはルール地方から撤退し、占領問題は無事に解決されます。
ミュンヘン一揆
いっぽう国内で、ルール占領の混乱に乗じてミュンヘン一揆がおこります。
これは、社会民主党に反対するナチスが引き起こしたものでした。しかし放棄は失敗に終わり、扇動者であったヒトラーも投獄されます。
そのさい獄中で、みずからの半生と、今後の政治方針をまとめた『わが闘争』が口述筆記のかたちで執筆されます。
ドーズ案
ルール占領とミュンヘン一揆による混乱のあと、社会民主党のシュトレーゼマンが首相に就任します。
彼は、暴落した通貨マルクにかわり、新紙幣レンテンマルクを発行し、国内のインフレを収束させます。
さらにフランスとはドーズ案を成立させ、ルール地方からフランス軍を正式に撤退させました。
またドーズ案では、
・賠償金の支払い緩和
が約束されます。
これにより、ドイツ経済はもちなおし、産業も復興していくことになります。
ロカルノ条約
国際外交についてはロカルノ条約がむすばれ、ヴェルサイユ条約で決まった、
・フランス国境線の現状維持
が確認されます。
条約締結により、ドイツは正式に国際社会に復帰することになります。
首相のシュトレーゼマンもまた、フランスの外相ブリアンと同じく国際協調路線をとり、ロカルノ条約締結の翌年には国際連盟に加盟しています。
いっぽう、フランスとの賠償金問題ではドーズ案のあとも、
・フーヴァー=モラトリアム
・ローザンヌ会議
などをつうじて、減額 or 支払い緩和が、段階的になされていきます。
しかし世界恐慌によりドイツでも金融市場が不振におちいると、約束した賠償金の支払いができなくなります。
さいごは国際協調路線をすてたヒトラーがあらわれ、支払い義務そのものを放棄することになります。
第一次世界大戦後のヨーロッパ④ ─ 東欧諸国

大戦後の東ヨーロッパは、新興国として独立していくことになります。
しかし、
・農業不況
・議会制民主主義の不慣れ
などの問題をかかえます。
結果、どの国でも国家統合のために、過激な民族主義が噴きあがり、独裁政権が台頭していくことになります。
以下、
- ポーランド
- ハンガリー
- ユーゴスラビア
- チェコスロバキア
のようすを、かんたんにみていきましょう。
ポーランド
ポーランドでは、大戦直後にソヴィエト=ポーランド戦争がおこり、領土の拡大に成功します。
しかし国内では、少数民族ゆえに秩序がなかなか安定しません。
さいごは独立運動の指導者であるピウスツキが現政権にクーデターをおこし、国内統一のため独裁体制をしくことになります。
ハンガリー
ハンガリーではハンガリー革命がおこり、ロシア革命と連動して、ソヴィエト政権を樹立します。
しかしその直後、隣国のルーマニア軍の侵攻に合い、社会主義政党は弾圧されます。
かわって政権をになったのは、保守派のホルティで、その後ハンガリーは、権威主義的独裁体制がしかれることになります。
ユーゴスラビア
大戦後に独立を勝ちとったユーゴスラビアは、南スラブ系の少数民族が集まっていました。
それでもなんとか合意までたどりつき、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国が成立します。
その後ユーゴスラビアと名まえを変え、複合民族国家として、政治がすすんでいくことになります。
チェコスロバキア
東欧諸国のなかでも、民族の一致がしやすかったチェコスロバキアは、戦後は西ヨーロッパ式の民主化政策をすすめていきます。
また東欧では唯一の工業国ということもあり、経済も安定していきます。
おわりに
第一次世界大戦後のヨーロッパをみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ウェストミンスター憲章
・ルール占領
・ヴァイマル憲法
・ドーズ案
・ロカルノ条約
・ポワンカレ
・ブリアン
・エーベルト
・シュトレーゼマン
・ヒンデンブルク
・第一次大戦で敗北したドイツは、ドーズ案で経済復興がなされ、ロカルノ条約で国際社会への復帰を果たした
この記事が、第一次世界大戦後のヨーロッパを理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




