イギリス国教会の歴史 ─ 成立・プロテスタント・離婚・ピューリタン・カトリックとの違い【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イギリス国教会について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・首長法(国家至上法)
・統一法
重要人物
・ヘンリ8世
・エドワード6世
・メアリ1世
・エリザベス1世
ポイント
・王妃離婚問題でローマ教会から破門をうけたヘンリ8世は、国王を教会の最高首長とするイギリス国教会を設立した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

イギリス国教会の歴史① ─ 成立の背景

ヘンリ8世

イギリス国教会が成立したきっかけは、ヘンリ8世の離婚問題でした。

彼は王妃の離婚しようとしますが、ローマ教会では、正当な理由なくして離婚は認められていませんでした。

それに反発したヘンリ8世は、教会から破門をうけたのち、イギリス独自の教会をつくることにします。

これがイギリス国教会です。

ヘンリ8世はもともと、ローマ教会に反対するルターを批判し、教会からは「信仰の擁護者」と賞賛されていました。

けれど国王本人が離婚したいばかりに教会と対立し、ついには王国の影響下にある教会組織をつくってしまったわけです。

首長法(国王至上法)

さらにイギリス国教会を正当化させるため、ヘンリ8世は、首長法(国王至上法)を成立させ、

国王=教会の最高首長

であると定めます。

法の制定により、イギリスは完全にローマ教会(カトリック教会)から離脱し、宗教の権限にかんしては、すべて国王の手の中におさめます。

その後ヘンリ8世は、首長法をぞんぶんに活用(悪用)します。

たとえば、王妃との離婚に反対するトマス=モア(大法官)を処刑したり、修道会を解散し、かれらの土地財産を没収したりします。

(ただし、没収した教会財産は、国民からの支持をあつめるため、安い値段で払い下げています)

イギリス国教会の歴史② ─ 展開と影響

エリザベス1世

反カトリックとなったイギリスは、かたちのうえではプロテスタントを支持する立場にまわります。

ヘンリ8世をひきついだエドワード6世は一般祈祷書を作成したうえで、プロテスタントのカルヴァン派教義を受けいれます。

つづくメアリ1世は、ローマ教会支持のスペイン国王フェリペ2世と結婚し、カトリック復活をはかろうとします。

反カトリック派(プロテスタント派)を容赦なく処刑し、人びとのあいだから「ブラッドメアリー(血のメアリ)」とよばれました。

いっぽう、つぎに女王座に就いたエリザベス1世統一法を制定し、カルヴァン派の教義を採用したうえで、イギリス国教会の立場をはっきりと示します。

とはいえ、バランス感覚に優れた彼女はプロテスタント派には深く肩入れせず、教会の組織運営や儀式&礼拝については、カトリックのやり方を認め、そのまま採用しました。

そのためイギリス国内では、ドイツほどカトリック vs プロテスタントの対立がおこらずに、宗教戦争を避けることができました。

おわりに

イギリス国教会についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・首長法(国家至上法)
・統一法
重要人物
・ヘンリ8世
・エドワード6世
・メアリ1世
・エリザベス1世
ポイント
・王妃離婚問題でローマ教会から破門をうけたヘンリ8世は、国王を教会の最高首長とするイギリス国教会を設立した

この記事が、イギリス国教会を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。