どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・フランス王家
・ハプスブルク家
・カトー=カンブレジ条約
・勢力均衡
・主権国家
・国民国家
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
主権国家体制の世界史① ─ 成立の背景

主権国家体制が成立した背景には、3つの要因があげられます。
- 教皇権&皇帝権の衰退
- 王権の強化
- イタリア戦争の勃発
それぞれ、かんたんにみていきます。
教皇権&皇帝権の衰退
中世初期から中期にかけて、教皇権 or 皇帝権のどちらかが、ヨーロッパの覇権をにぎっていました。
両者はときに争いながら、ときに手を取りながら、ヨーロッパにおいて普遍的な世界を形づくっていました。
しかし中期後期になると、十字軍派遣の失敗などから教皇権&皇帝権の権威は低下し、ヨーロッパの秩序が維持できなくます。
代わって登場したのが、主権国家体制でした。
王権の強化
教皇権&皇帝権の衰退により、反比例するかたちで台頭したのが各地域の王国(王権)でした。
かれらは領土の範囲内で権力をにぎり、教皇や皇帝に代わって各地域の秩序をつくりあげていきます。
一定の領域内で権力を行使する動きが、のちの主権国家体制へつながっていきます。
イタリア戦争の勃発
王権が強まることでヨーロッパ各地の領土争いが、よりいっそう激しくなります。
そのなかでおきたのがイタリア戦争でした。
これは、
vs
ハプスブルク家
の、北部イタリア地域をめぐる争いです。
シャルル8世がイタリアに侵攻したのをきっかけに、フランソワ1世 vs カール5世の争いに発展します。
さいごは両国がカトー=カンブレジ条約をむすび、戦争は終結しました。
イタリア戦争は、約60年にわたって断続的につづき、各地に大きな被害をもたらしました。
それをうけてヨーロッパ各国は、フランス王家やハプスブルク家など、一国が強大化することに危機感をおぼえます。
そこから勢力均衡の考えがうまれ、一国独裁を避けるため、ある一定の範囲をおさめる国同士が同盟関係をむすぶようになります。
これら一連のプロセスが、主権国家体制の形成につながっていきます。
主権国家体制の世界史② ─ 特徴

背景や要因をふまえたうえで、主権国家体制の特徴をみていきましょう。
主権国家体制とは、
をさします。
かたくるしい言いまわしですが、要するに、
のことです。
ここでいう〝対等は関係〟には自由に同盟をむすび、かつ、自由に戦争をしかける意味もふくまれています。
あくまでも勢力均衡が優先され、そのためには同盟や戦争など、各国にはさまざまなオプションが用意されているかたちです。
各国のかけひきが重視されるので、主権国家体制が広まるころにはヨーロッパ各国には外交官が常設されるようになりました。
また、主権国家が秩序維持の役割を担うようになると、当然ながら、教皇&皇帝の地位は、よりいっそう下がっていくことになります。
主権国家/国民国家の比較
主権国家と似た概念として「国民国家」があります。
国民国家はフランス革命以後に広まる考えですが、混合するといけないので、それぞれの特徴をあげていきましょう。
主権国家の特色は、つぎのとおりです。
・主権は王侯に属し、家の財産として継承される
・一般民衆の国民意識はうすい
・社会階層は身分や血縁に左右される
国民国家の特徴は、つぎのとおりです。
・主権は国民に属し、選挙が実施される
・一般民衆の国民意識はつよい
・社会階層は個人の能力に左右される
ざっくりいえば、主権国家は王族が権力をにぎり、国民国家は一般民衆が権限をもつイメージです。
おわりに
主権国家体制をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・フランス王家
・ハプスブルク家
・カトー=カンブレジ条約
・勢力均衡
・主権国家
・国民国家
この記事が、主権国家体制を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




