どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・タンネンベルクの戦い
・マルヌの戦い
・無制限潜水艦作戦
・休戦協定
・総力戦体制
・サイクス・ピコ協定
・フセイン・マクマホン協定
・バルフォア宣言
・第一次大戦は、あるゆる人や物資が動員された史上初の総力戦となった
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
第一次世界大戦① ─ 背景

バルカン問題により半島の緊張が高まるなかでサラエボ事件がおこります。
これは、
というものでした。
これにより、すでにいつ武力衝突がおきてもおかしくなかった[セルビア vs オーストリア]の戦争は決定的となります。
それだけでなく、オーストリアを擁護していたドイツと、セルビアを支援していたロシアとの争いも避けられなくなります。
さらに戦況を優位にもちこむために、ドイツがベルギーに侵犯したことでイギリスもまた参戦を表明します。
それまでの各国による同盟関係がベースとなりながら、ヨーロッパ全土をまきこむ大規模な戦争が勃発します。
これが第一次世界大戦です。
戦いの構図は、つぎのとおりです。
・ドイツ
・オーストリア
・オスマン帝国
・ブルガリア
vs
協商国(計27カ国)
・イギリス
・フランス
・ロシア(など)
第一次世界大戦② ─ 展開

第一次世界大戦は、ドイツを中心に展開されます。
地図をわかるとおり、ドイツは東西をロシアとフランスにかこまれていました。
そこで軍部は、
という作戦をとります。これを参謀総長の名まえから「シュリーフェンプラン」とよびます。
当初ドイツは、対フランスの西部戦線で勝利を果たしたあと、対ロシアの東部戦線でも打ち勝ち、戦争を終わらすことができる、と目論んでいました。
しかし戦争が始まってみると、計画どおりにはすすみません。
打ち倒すはずのフランス軍は予想の反して持ちこたえ、西部戦線ではドイツとフランスのにらみ合いがつづきます。
逆に、対ロシアの東部戦線は少ない部隊ながらも善戦し、フランス側の応援部隊がこなくても、侵攻をくいとめることができました。
こうして、西部戦線&東部戦線ともに膠着状態がつづき、大戦は長期化していくことになります。そのさい戦況打開のために用いられたのが、戦車・航空機・毒ガスなどの新型兵器でした。
それでも双方の決着はつかず、戦争は泥沼化していきます。
以上が、第一次大戦のあらましです。
以下、細かいできごとを時間軸に沿ってまとめます。
・タンネンベルクの戦い
→ ドイツがロシアと善戦し、東部戦線が膠着
1914年9月
・マルヌの戦い
→ フランスがドイツと善戦し、西部戦線が膠着
1915年4月
・イープルの戦い
→ ドイツ軍が毒ガスを使用
1915年5月
・ルシタニア号事件
→ イギリスの旅客船がドイツ潜水艦の攻撃をうけて沈没
→ 被害者のなかにアメリカ人がいたため、米国は対ドイツの姿勢を表明
・イタリアの参戦
1916年6月〜
・ソンムの戦い
→ イギリスが戦車を投入
1917年2月
・ドイツによる無制限潜水艦作戦
→ 指定航路以外の船舶は、国籍&船種を問わず、無警告で攻撃
→ 事実上イギリスの海上が封鎖されたため、貿易相手国のアメリカが対ドイツの姿勢を鮮明に
1917年3月
・ロシア革命
→ 臨時政府が大戦からの撤退を表明
1917年4月
・アメリカ参戦
1918年1月
・アメリカ大統領ウィルソンによる「十四か条の平和原則」の発表
1918年3月
・ブレスト=リトフスク条約
→ ソビエト(ロシア)とドイツの講話により、ロシアが戦線を離脱
1918年9月〜
・ブルガリア、オスマン帝国、オーストリアが降伏
1918年11月
・キール軍港での水平暴動
→ 軍部の暴政にたいして、ドイツ国内で革命が勃発
→ 君主ヴィルヘルム2世がオランダに亡命
→ 共和国となったドイツは、連合国側の休戦協定をむすぶ(第一次世界大戦の終結)
第一次世界大戦③ ─ 影響

第一次大戦は、
・外交関係
・民族運動
の面で、さまざま影響をあたえました。
経済体制にかんしては、自由主義的な経済政策から国家介入による統制経済が、大勢をしめるようになります。
それにより、社会保障のしくみが整ういっぽう、徴兵制など国民が軍事にかかわる機会が、よりいっそう増えていくようになります。
外交関係については、
・ドイツ
・オーストリア
・オスマン
など帝国は崩壊をむかえます。
また戦いの場所となったヨーロッパ全体の地位は下がり、欧州中心主義の考えや、それにともなう進歩主義によるものの見方にも陰りがみえはじめます。
かわって台頭したのが、
・世界初の社会主義国であるソ連
です。
この時点では世界全体をリードするほどではありませんが、第一次大戦をきっかけに両国の地位は向上していくことになります。
第一次世界大戦④ ─ 特徴

さいごに、第一次世界大戦の特徴をみていきましょう。
ポイントはつぎの3点です。
- 総力戦体制の確立
- 新兵器の導入
- 秘密条約の横行&廃止
それぞれ、かんたんにふれていきます。
総力戦体制の確立
第一次世界大戦では戦争の規模が拡大したことで、機関銃をつかう塹壕戦がおこわなれました。
それにより兵たんや物資が不足し、各国は国内のすべての経済力を戦争に投入することになります。
これが「総力戦体制」とよばれるものです。
具体的な特徴は、つぎの3つです。
・女性労働力の動員
・植民地資源の動員
イギリスではロイドジョージ内閣が、フランスでクレマンソー内閣が軍部独裁をおこない、挙国一致体制をしきます。これにより軍事工業が優先され、国内の産業構造が大きく変わることになります。
また男性が戦地に派遣されることで、国内の労働者が不足することになります。
そこでとられたのが女性労働力の動員で、それまで男性がしていた仕事を女性がおこなうようになりました。いっけん彼女たちをこき使ったようにみえますが、このときの動員が女性の社会進出をうながしました。
それでも兵力&物資が不足したため、各国は植民地としていたアジアやアフリカ地域から現地の人びとを派遣させます。その数は300万人にのぼった、といわれます。
またイギリスは、インド植民地から兵士を動員するさい、かれら現地人に自治を約束しました。これが民族意識の高揚をもたらし、インド経済の成長につながりました。
そのため大戦後のインドでは、ナショナリズムと経済発展が合わさることで、民族独立運動がもりあがり、イギリスの植民地統治はよりいっそう難しくなっていきます。
新兵器の導入
さきにみたとおり、膠着状態からドイツをはじめ戦争参加国は、新兵器を導入するようになります。
おもなところだと、つぎの4つです。
・戦車
・航空機
・潜水艦
ただし、第一次大戦時点では、どの兵器も技術的には未熟で、戦争を終わらせるほどの〝殺傷力〟はありませんでした。
新兵器が本格的に導入されるのは、つぎの第二次大戦以降です。
秘密条約の横行&廃止
秘密条約とは、
のことです。
具体的には、大戦前後には2つの秘密条約がむすばれました。
・サイクス・ピコ協定
ロンドン秘密条約では、イギリスがイタリアにたいして戦争協力の見返りとして「未回収のイタリア」とよばれるオーストリア領の獲得を密かに約束します。
サイクス・ピコ協定では、
・フランス
・ロシア
のあいだで、西アジアの分割があらかじめ取り決められます。
そのときイギリスは、オスマン帝国内のアラブ人を味方につけるため、民族運動の指導者を相手にフセイン・マクマホン条約をむすびました。
これはシリア南部の土地に、かれらの独立国建設を約束するものでした。
しかしイギリスはその翌年に、金融支援をうけるため、ユダヤ人を相手にかれらの居住区建設を認めます(バルフォア宣言)。
こうしてイギリスは、パレスチナのアラブ人とユダヤ人の双方と約束し、いわゆる「二枚舌外交」によって、ふたつの〝民族〟から利益を引き出そうとします。
このときの密約がきっかけとなって、アラブ人とユダヤ人は領土をめぐって争うようになり、いまのパレスチナ問題をもたらすことになります。
おわりに
第一次世界大戦をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・タンネンベルクの戦い
・マルヌの戦い
・無制限潜水艦作戦
・休戦協定
・総力戦体制
・サイクス・ピコ協定
・フセイン・マクマホン協定
・バルフォア宣言
・第一次大戦は、あるゆる人や物資が動員された史上初の総力戦となった
この記事が、第一次世界大戦を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。
 
                






