ウイグルの歴史 ─ マニ教・イスラーム・新疆・安史の乱・ソグド人・トルキスタン【簡単に解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ウイグルの歴史について知りたい
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・マニ教
・安史の乱
・ソグド人
・トルキスタン
ポイント
・おもにマニ教を信奉したウイグルは、安史の乱で唐を支援し「絹馬貿易」とよばれる東西交易で発展した
・ウイグルが滅亡したあと、トルコ人は中央アジアに定住し、かれらが暮らした場所は「トルキスタン」とよばれるようになっていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、[形成 → 発展 → 衰退 → 影響]の流れに沿って、ウイグルの歴史をみていきます。

ウイグルの歴史① ─ 形成

ウイグルの可汗

ウイグルは、[モンゴル草原〜西部中国]にかけて活動した遊牧民です。同じくトルコ系の突厥に属し、はじめは9部族の1つでした。

その後、突厥の衰退をきっかけに独立を果たします。王を意味する「可汗」と名のり、ウイグルを
建国します(中国では「回鶻(かいこつ)」と表記されます)。

その後、モンゴル高原一帯を統一し、遊牧国家として領土を拡大していきます。

そのさい、ソグド人などのアーリア系の民族文化を吸収しながら、点在するオアシス都市を拠点に定住生活をはじめるようになります。

安史の乱

当時の中国は、唐が地域一帯をおさめていました。

ソグド人と突厥系の混血である安禄山が、唐王朝に反旗をひるがえし安史の乱が勃発します。

窮地におちいった皇帝の粛宗は、ウイグルに援軍をもとめます。これに応じたウイグルは、唐軍と協力して、安禄山の軍勢に奪われた長安をとりもどします。

このときの貢献から、ウイグルは唐王朝と対等な関係をむすび、外交を有利にはこびます。

ウイグルの歴史② ─ 発展

ソグド人の壁画

いっぽうモンゴル高原をはじめとする遊牧地域では、それまで権勢をほこってきた突厥をおさえ、中央ユーラシアの覇権をにぎるようになります。

(突厥と同じように)ソグド人とは商業関係をきずき、またチベットを統治下におく吐蕃にも進出します。

それまで吐蕃は、約50年にわたってウイグル&唐王朝と争っていましたが、最終的には三者間で三国同盟をむすびます。

絹馬貿易

ウイグルが中央ユーラシアをおさめたことで、東西交易も活発になっていきます。

ウイグルからは、

・馬
・農具

などが輸出され、

唐からは、

・金銀器
・ガラス製品
・真珠
・珊瑚

といった奢侈品が輸入されます。

その結果、チベット高原〜中国西部の秩序が保たれ、よりいっそう東西の交易をうながしていきます。

そのさい貿易の担い手は、おもにソグド人で、取り引きした商品から、このときの交易は「絹馬貿易」とよばれました。

絹馬貿易が発達したことで、唐の首都である長安には、つねに1000人以上のソグド人商人が滞在していた、といわれています。

ウイグルの歴史③ ─ 衰退

ウイグルの貴族

領土をひろげ、繁栄をほこるウイグルでしたが、キルギス(トルコ系)から攻撃をうけることで、その勢いに陰りがみえはじめます。

時を経るごとに、国内の統一もむずかしくなり、さいごは分裂状態におちいります。

そのようすをまとめると、つぎのようになります。

・西方 → カラ=ハン朝
・西南 → セルジューク朝
・南方 → 天山ウイグル王国
・東方 → 甘州ウイグル王国

これ以外の勢力も、西方に向かい、天山山脈のほとりに西ウイグル王国を建国します。都を焉耆(えんぎ)におき、トゥルファン盆地にかけて定住農耕生活をおくります。

そのさいウイグル文字を作成し、高いレベルの学術&芸術作品を生み出しながら、文化の面で周辺地域に影響をあたえていきます。

ウイグルの歴史④ ─ 影響

マニ教を信奉するウイグルの人びと

ウイグルが分裂し、それぞれの勢力が分散しながら移動をくりかえしたことで、中央アジアではトルコ化がすすんでいきます。

かれらが移り住み、定住した地域を「トルキスタン」とよび、これがいまのトルキスタンのルーツとなります。

できた当時のトルキスタン地域は、おもに東西ふたつのグループに分かれていました。

東トルキスタンはタクラマカン砂漠一帯(パミール高原の東)を、西トルキスタンはシル川&アム川に挟まれた地域(パミール高原の西)をおさめていました。

しかしその後、トルキスタン一帯は[西遼(カラ=キタイ) → モンゴル帝国]の流れで、つぎつぎ乗っ取られていきます。

モンゴル帝国が支配したあとはチャガタイ=ハン国が成立し、そのさいトルキスタン人のイスラム化が進みました。

18世紀中期には、東トルキスタンは清国の統治下に入り、中華人民共和国が成立したあともウイグル地区として支配をうけています。

現在は、新疆ウイグルの問題として、たびたびニュースとなっています。

いっぽう、ウイグルを滅ぼしたキルギスですが、その統治は長くつづきませんでした。100年の経たないうちに、東方からやってきたタタール族の侵略をうけ、その土地から追放されます。

キルギスを滅ぼしたタタールもまた、は、東方で勃興した契丹(キタイ)の侵攻をうけ、かれらの属国となります。

以降、中央ユーラシア&中国北西部は、

・契丹
・西夏
・女真

がおさめ、覇権争いをくりひろげていくことになります。

おわりに

ウイグルの歴史をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・マニ教
・安史の乱
・ソグド人
・トルキスタン
ポイント
・おもにマニ教を信奉したウイグルは、安史の乱で唐を支援し「絹馬貿易」とよばれる東西交易で発展した
・ウイグルが滅亡したあと、トルコ人は中央アジアのオアシス都市で定住を始めた

この記事が、ウイグルを理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。