三十年戦争 ─ ドイツ・影響・人口・皇帝・宗教戦争【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・三十年戦争について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ベーメン
・ウェストファリア条約
・主権国家体制
重要人物
・グスタフ=アドルフ
・ヴァレンシュタイン
・リシュリュー
ポイント
・三十年戦争後のウェストファリア条約で主権国家体制が確立し、ドイツの神聖ローマ帝国は分裂状態におちいる

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ルターの宗教改革にともない、カトリック/プロテスタントの対立は、激しさを増していきます。

かれらの争いが頂点に達したのが、ドイツでおきた三十年戦争でした。

以下、[背景 → 展開 → 影響]の流れで、みていきます。

三十年戦争① ─ 背景

ベーメン新教徒の反乱

宗教改革運動が高まるなか、神聖ローマ帝国はプロテスタント側に譲歩し、アウグスブルグの和議をむすんだうえで寛容政策を実施します。

しかしこの態度は裏目でました。気をよくしたプロテスタントは、より権利を主張するようになり、結果、新教 vs 旧教な対立はさらに深まっていきます。

そんななか、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国)のカトリック強制にたいして、ベーメンの新教徒たちが反乱をおこします。

これが三十年戦争の発端となりました。

三十年戦争② ─ 展開

グスタフ=アドルフ

大まかな流れは、つぎのとおりです。

・デンマーク戦争

・スウェーデン戦争

・フランスによるドイツ介入

以下、それぞれかんたんにみていきます。

デンマーク戦争

ベーメンでの新教反乱後、[カトリック vs プロテスタント]の対立は、北欧のデンマークを刺激します。

ルター派のデンマーク王クリスチャン4世は、同じくプロテスタント支持のイギリス&オランダから資金援助をうけ、ドイツに介入します。

この争いを「デンマーク戦争」とよびます。

しかし軍事力不足から、デンマークの介入は失敗に終わり、カトリック側に敗れてしまいます。

スウェーデン戦争

つづけて刺激したのが、スウェーデンでした。

こちらも、ルター派のスウェーデン王グスタフ=アドルフがドイツに介入します。

デンマークとは異なり、軍事規律の整ったスウェーデン軍はカトリック側の軍隊にたいして連戦連勝を果たします。

しかし[カトリック vs プロテスタント]の対立はなかなかおさまらず、グスタフ=アドルフはそのまま戦死してしまいます。

また、カトリック側(神聖ローマ帝国皇帝側)の傭兵隊長ヴァレンシュタインもスウェーデン軍に善戦し、侵攻をくいとめます。

けれどヴァレンシュタインは、権力掌握の疑惑を皇帝からもたれ、部下たちの手で暗殺させられてしまいます。

彼がいなくなったことで、カトリック側の勢力はそがれ、以後[新教 vs 旧教]の対立は、混迷を深めていきます。

フランスによるドイツ介入

ほんらいフランスはカトリック支持していたので、ドイツにたいしては旧教側を支援するのが〝筋〟でした。

しかし、ときの宰相リシュリューは外交センスに優れていて、フランスの国益にになるよう、あえて新教側に軍事支援をおこないます。

彼のねらいは、カトリック側のハプスブルク家を混乱させ、フランスの権勢を高めることにありました。

結果、ハプスブルク家は打撃をうけ、リシュリューの思わくどおり、フランス王家はその後のヨーロッパ政治を動かしていくことになります。

三十年戦争③ ─ 影響

ウェストファリア条約の締結

以上の展開を経て、停戦協定ウェストファリア条約が、ようやくむすばれます。

条約締結によりドイツでの[カトリック vs プロテスタント]の対立は、ひとまず収束にむかいます。

またこのウェストファリア条約は、国際政治上たいへん重要なものでした。ヨーロッパ史上初の国際条約であり、以降、西ヨーロッパの国々では主権国家体制が形づくられていくからです。

いっぽう主権国家体制が整ったことで、帝国によるヨーロッパ統治はむずかしくなります。そのためウェストファリア条約は「神聖ローマ帝国の死亡診断書」なんてよばれたりもします。

条約内容

条約の内容は、つぎのとおりです。

・カルヴァン派の公認
・ドイツの領邦&都市の主権承認
・フランスへのアルザス地方の割譲
・スウェーデンへの西ポルメルン(北ドイツ)の割譲
・スイス&オランダの国家承認

ドイツでは領邦&都市に主権があたえられたことで、領邦国家や自治都市は、なかば独立国家のようなかたちになっていきます。

そのために、以降のドイツはなかなか国の統一が果たされず、近代国家として一歩出遅れることになります。

またスウェーデンは、北ドイツ・ポルメルン地方の割譲をうけたにより、バルト海の覇権をにぎることができ、「バルト帝国」として、その地位をきずいていきます。

ドイツの荒廃

そのほか、ウェストファリア条約の締結以外にも、三十年戦争はヨーロッパにさまざまな影響をおよぼしました。

具体的には、つぎの3点です。

・領邦国家にともなう神聖ローマ帝国の解体&名目化
・ハプスブルク家の衰退
・傭兵による国土荒廃

なかでも傭兵による〝土地荒らし〟は深刻で、国土が荒廃したことでドイツは経済面でも社会面でも、その進歩がぐっと遅れていくことになります。

おわりに

三十年戦争についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ベーメン
・ウェストファリア条約
・主権国家体制
重要人物
・グスタフ=アドルフ
・ヴァレンシュタイン
・リシュリュー
ポイント
・三十年戦争後のウェストファリア条約で主権国家体制が確立し、ドイツの神聖ローマ帝国は分裂状態におちいる

この記事が、三十年戦争を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。