宗教改革の歴史 ─ 影響・支持した人・ルネサンス・ドイツ・原因・カトリック【簡単に解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・宗教改革について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・贖宥状
・九十五カ条の論題
・ドイツ農民戦争
・シュマルカルデン同盟
・アウグスブルグの和議
重要人物
・レオ10世
・マルティン=ルター
・カール5世
・ミュンツァー
ポイント
・ルターは教会による贖宥状販売を批判して、聖書第一主義と信仰義認説を主張した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

宗教改革の歴史① ─ 勃発の要因

ウィクリフ

宗教改革といえばルターですが、彼が登場するまえから、教会にたいする批判は高まっていました。

なかでもウィクリフとフスによる教会改革運動は、たいへん規模の大きいものでした。

またルネサンス期には人文主義者が活躍し、ポッカチオやエラスムスをはじめ、さまざまな作家&思想家が、古典研究をつうじて教会の教えを批判していました。

かれらは聖書そのものを重視し、信者にたいして原始キリスト教への復帰を訴えました。

いっぽうで、神聖ローマ帝国の権威が低下し、ドイツ国内の諸侯や商業都市が皇帝からの自立を求めるようになります。

このように、

・教会改革運動
・人文主義者の活動
・神聖ローマ帝国の権威衰退

などの要因が重なり、宗教改革運動がもりあがりをみせるようになります。

宗教改革の歴史② ─ ルターの登場

マルティン=ルター

宗教改革の気運が高まるなか、ドイツにあらわれたのがマルティン=ルターでした。

贖宥状の販売

彼はローマ教皇レオ10世贖宥状を販売したことに憤慨し、教会のあり方を徹底的に批判しました。

贖宥状とは喜捨(教会からの施し)のひとつです。ローマ教会は、贖宥状を購入すれば罪の免除が約束される、とうたっていました。

じっさいは金融業でさかえたメディチ家出身のレオ10世が、サン=ピエトロ大聖堂の建設費用を捻出するために販売されたものでした。

九十五カ条の論題

ローマ教会の不正な〝売り込み〟に憤りをおぼえたルターは、勤めていたヴィッテンベルク大学で九十五カ条の論題を提示し、贖宥状の販売をはじめ、教会の体制を批判しました。

もともと大学構内で示された意見書にすぎなかったものが、活版印刷の普及もあって、ヨーロッパ各地に広がっていきます。

ルターはその影響力を利用して、『論題』にひきつづき『キリスト者の自由』を出版します。

そこではキリスト教本来の考えが示され、

・聖書第一主義
・信仰のみによる救済
・万人司祭主義

の3点が主張されました。

教会への非難を恐れた教皇は、ルターを破門にしたうえで、ときの神聖ローマ帝国皇帝カール5世のもとヴォルムス帝国議会をひらき、彼をイタリアに呼びつけます。

議会では論説の撤回が求められますが、ルターは教会の要求を拒み、いったん〝法の外〟におかれます。

宗教改革者フスと同じように、ルターは火刑に処されそうになりますが、ザクセン選帝侯フリードリヒの保護により、なんとか処刑をまぬがれます。

ルターは、ザクセン侯の住むヴァルトブルク城に移され、そこでドイツ語訳の『新約聖書』を完成させます。これには、教会を通してではなく、じかに聖書にあたり、キリストの教えを学ぶねらいがありました。

その後、カール5世は帝国会議でルター派を承認しますが、ふたたび議会において反対にまわります。

この態度に反抗したルター派諸侯とドイツ市民が抗議文を提出します。

抗議文はラテン語で「protestatio」とよばれ、ここからプロテスタントという言葉がうまれました。

宗教改革の歴史③ ─ ドイツ農民戦争と皇帝 vs 諸侯の対立

ドイツ農民戦争のようす

ルターの宗教改革は、ドイツ国内にさまざまな影響をあたえました。

おもなできごとは、つぎの2つです。

  • ドイツ農民戦争
  • 皇帝 vs 諸侯の対立

それぞれ、かんたんにみていきます。

ドイツ農民戦争

ドイツ農民戦争は西南ドイツ地方の農民がおこした争いです。かれらはルターの影響をうけていました。

再洗礼派ミュンツァーによる指導のもと、民衆たちは急進化し、農奴制の廃止をうったえました。

はじめうちはルターも支持していましたが、あまりに過激だったため、じょじょに不快感を示します。のちに農民たちは諸侯からの弾圧をうけますが、この強権行使をルターは認めています。

なお、諸侯のなかでもルターに賛同する人たちもあらわれ、かれらは領邦教会制により皇帝&教皇からの自立をはかろうとします。

皇帝 vs 諸侯の対立

ルターの宗教改革は、それまでもつづいていた皇帝 vs ドイツ諸侯の対立を、よりいっそう激しくさせました。

当時、皇帝のカール5世は、イタリア戦争でフランス国王のフランソワ1世に敗れ、また、オスマン帝国の君主スレイマン1世の圧力に苦しめられていました。

そのすきをついてドイツ諸侯たちは、ルター支持を口実にシュマルカルダン同盟を結成し、皇帝一派に戦いをいどみます。

この争いを「シュマルカルデン戦争」とよび、学術上、ヨーロッパ初の宗教戦争とされています。

反対派の攻勢にどうしようなくなった皇帝は妥協に転じ、アウグスブルグの和議をむすびます。

和約の内容は、

・ルター派のみ公認(カルヴァン派は非公認)
・カトリック派 or ルター派の宗教選択権は、各地の諸侯が有する(個人はもたない)

といったものでした。

アウグスブルグの和議によりルター派の領内では領邦教会制がとられ、プロテスタント派が広まっていきます。

いっぽうで、全国各地でカトリック vs プロテスタントの対立がおき、ドイツ国内は分裂状態となります。これが、ドロ沼の三〇年戦争をひきおこすことになります。

なお、ルター派はドイツ北部へ広まり、さらには北欧へと拡大していきました。

おわりに

宗教改革についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・贖宥状
・九十五カ条の論題
・ドイツ農民戦争
・シュマルカルデン同盟
・アウグスブルグの和議
重要人物
・レオ10世
・マルティン=ルター
・カール5世
・ミュンツァー
ポイント
・ルターは教会による贖宥状販売を批判して、聖書第一主義と信仰義認説を主張した

この記事が、宗教改革を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。