大航海時代のポイント ─ 人物・ガマ・コロンブス・マゼラン・トルデシリャス条約【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・大航海時代について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・香辛料
・カリカット
・マラッカ占領
・リスボン
・トルデシリャス条約
重要人物
・エンリケ
・バルトロメウ=ディアス
・ヴァスコ=ダ=ガマ
・コロンブス
・トスネカリ
・イザベル
・アメリゴ=ヴェスプッチ
・カブラル
・マゼラン
ポイント
・ポルトガルはヴァスコ=ダ=ガマにより、アジアへの東回りルートを開拓した
・コロンブスはアメリカ大陸に到達し、つづいてマゼランが世界就航を達成した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

大航海時代① ─ 航海の要因

大航海時代の帆船

大航海時代をもたらした要因は、つぎの5つです。

  • ヨーロッパ人の東方へ関心
  • オスマン進出への危機感
  • 香辛料の需要増
  • 国土回復運動の余波
  • 航海技術の向上

それぞれ、かんたんにみていきます。

ヨーロッパ人の東方への関心

まずヨーロッパ人の東方への知的関心があげられます。

マルコ=ポーロの『世界の記述』(『東方見聞録』)以来、西洋の人びとのあいだでは、東方アジアへの好奇心が高まっていました。

たとえば、黄金の国ジパングや、キリスト教王プレスター=ジョン伝説なども、そのひとつです。

オスマン進出への危機感

1453年、オスマン帝国はコンスタンティノープルに侵攻し、ビザンツ帝国を滅ぼします。

このできごとはヨーロッパ人にとっては衝撃で、アラブ人をはじめ、東方の人びとが西洋に侵食してくるような危機感をあたえました。

じっさい、オスマン侵攻により東地中海ルートがふさがれるかたちとなり、交易面でも実害をともなうものでした。

オスマン帝国の進出にたいする危機感から、ヨーロッパ諸国は新たな航海ルートを探す動機がめばえ、これが大航海時代へのつながっていきます。

香辛料

またヨーロッパ国内でも香辛料への需要が高まっていました。

背景には、肉食文化の広がりがありました(14世紀〜)。

ヨーロッパ地域では香辛料はとれないため、どうしてもインドや東南アジア諸国から輸入するしかありません。

そのためのルート開拓が、大航海時代をもたらしました。

国土回復運動

12世紀ごろから、イベリア半島を中心に国土回復運動(レコンキスタ)が展開されます。

これは

イスラーム教徒から、かつて保有していたヨーロッパ人の土地をとりもどす運動

のことです。

長期にわたる運動により、スペイン&ポルトガルはイベリア半島からイスラーム系国家を追い出し、領土奪還に成功します。

その後もレコンキスタはおさまらず、今度は海をこえて、領土獲得をねらうようになります。

国土回復運動の余波が、大航海時代をもたらしました。

航海技術の向上

大航海時代の前後に、航海技術が向上します。

具体的には、

・快速帆船の実用化
・羅針盤の改良

のふたつで、テクノロジーが進化することで遠洋航海が可能となりました。

大航海時代② ─ ポルトガルのアジア進出

パルトロメウ=ディアス

大航海に積極的だった国のひとつがポルトガルです。

航海王子エンリケの支援のもと、西アフリカ探検をおこない、つづいてヴェルデ岬に到達します。さいごはインド航路の開拓につながりました。

そのプロセスをみていくと、まずはじめにジョアン2世の命をうけたパルトロメウ=ディアスが、アフリカ大陸の南端に位置する希望峰に到達します。

つづいてヴァスコ=ダ=ガマが、ムスリム商人の援助をうけながら、アラビア海を横断し、インド西岸のカリカットに到着します。

ふたりの航海をきっかけにポルトガルは[ヨーロッパ ⇄ アジア]の交易競争に参画することになります。

その後、

セイロン到達(1505年)

インドのゴアに総監府を設置(1510年)

マラッカ占領(1511年)

モルッカ諸島で香辛料貿易の独占(1522年)

といったプロセスをたどり、アジア交易の覇権を獲得していきます。それにより都リスボンは大きく発展し、繁栄をおうかします。

いっぽうでポルトガルはアメリカ方面にも帆をひろげます。

きっかけは航海士のカブラルがインドへの航海中に嵐に遭遇し、ブラジルに漂着したことでした。

たまたまたどり着いた土地でしたが、その場所をポルトガル領と宣言し、以後開拓がすすめられていきます。

大航海時代③ ─ スペインの大陸到達&世界就航

アメリゴ=ヴェスプッチ

いっぽうスペインは、アメリカ大陸に到達します。

おもな担い手は、

・コロンブス
・アメリゴ=ヴェスプッチ

のふたりです。

はじめ、地理学者トスカネリの球体説に影響をうけたコロンブスがアジアへの西周りルート開拓に乗りだし、スペイン女王イザベルの支援のもと、航海をおこないます。

アジアへは到達できなかったものの、アメリカ大陸付近のサンサルバトル島にたどり着きます。そこで暮らす住人を「インディオ」と命名しました。

インディオの語源は「インディアス(インド人)」で、コロンブスは本人が亡くなるまで、たどり着いた場所はインドである、と思いこんでいました。

つづけてアメリゴ=ヴェスプッチが、南米大陸を探検し、そこがインドではなく、新しい大陸であることを発見します。

彼の名前をとって、新大陸は「アメリカ」とよばれることになります。

世界周航

アメリカ大陸に到達してすぐに、スペインは世界の周航を果たします。

航海士のマゼランはスペイン王室の支援をうけて、西回りルートを開拓します。

彼は大西洋をわたり、南米のマゼラン海峡を横ぎり、太平洋を横断します。マゼラン本人はフィリピン諸島で殺され亡くなりますが、彼の仲間が航海をつづけ、スペイン本国に帰還します。

これにより人類初の世界周航を達成し、地球が球体であることを証明しました。

大航海時代④ ─ 境界の取り決め

トルデシリャス条約の条文

新大陸や新航路がみつかるいっぽう、それら勢力範囲をめぐり、スペインとポルトガルが争うようになります。

そこで両国は、話し合いの場をもうけ、境界をめぐり調停交渉をはじめます。

一連のプロセスは、つぎのとおりです。

・植民地分解線の画定
・トルデシリャス条約の制定
・サラゴサ条約の制定

まず、ローマ教皇の仲介のもと、アゾレス諸島の子午線を基準に、

・西側 → スペイン保有の海域
・東側 → ポルトガル保有の海域

といったかたちで、勢力範囲の取り決めがなされました。これが「植民地分解線の画定」です。

つづけてその翌年にトルデシリャス条約がむすばれ、植民地分界線が西側に移り、ポルトガルによるブラジル領有が強化されます。

さらにその約30年後にはサラゴサ条約がむすばれ、世界周航の達成にともない、東インドでの勢力分割がなされます。

・フィリピン → スペイン領
・モルッカ諸島 → ポルトガル領

といったかたちで、取り決めがなされました。

おわりに

大航海時代をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・香辛料
・カリカット
・マラッカ占領
・リスボン
・トルデシリャス条約
重要人物
・エンリケ
・バルトロメウ=ディアス
・ヴァスコ=ダ=ガマ
・コロンブス
・トスネカリ
・イザベル
・アメリゴ=ヴェスプッチ
・カブラル
・マゼラン
ポイント
・ポルトガルはヴァスコ=ダ=ガマにより、アジアへの東回りルートを開拓した
・コロンブスはアメリカ大陸に到達し、つづいてマゼランが世界就航を達成した

この記事が、大航海時代を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。