どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・陶磁器(景徳鎮)
・特権商人
・メキシコ銀/日本銀
・地丁銀制
・南洋華僑
・郷紳
・清国の文化は、王朝政府によって思想統制がなされたものの、大編纂事業がおこなわれ、考証学など儒学も発展した
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
清時代の経済社会と文化① ─ 地丁銀制・郷紳
以下、
- 産業
- 商業
- 貿易
- 社会階層
の側面から、清王朝の社会状況をみていきましょう(※ 一部、明の時代も含んでいます。)。
産業
産業については、長江の下流域で桑&綿花などの商品作物がさかんに栽培されました。
また農業については、米の産地が長江の中流域にある湖広に移りました。それを表して、
と、うたわれたりもしました。
いっぽう、明時代の末期からトウモロコシ&サツマイモの栽培がなされ、生産高の向上から人口が一気に増えました。
それにともない各種産業も活発となり、
・綿織物
・茶
・陶磁器(景徳鎮)
の生産も増えるようになりました。
商業
生産性の向上にともない、商業も大きく発展します。
なかでも、政府とむすびついた特権商人の活躍は目ざましく、中国全土に影響をおよぼしました。
具体的には、
・山西商人(金融取引)
の商業活動が目立ち、かれらは全国各地に、
・公所
とよばれる中継地をもうけ、同業者&同郷者のあいだで、さかんに取り引きをおこなっていました。
ふたつの施設は、相互扶助機関の役割も果たしていました。
貿易
海外貿易については、明時代の末期・16世紀ごろから、活発になっていきます。
中国地域に、ヨーロッパ人がやってきて、さかんに取り引きをおこないます。
また、
・日本銀
が大量に流れ込んできたことで、よりいっそうモノの売買がおこなわれ、商業が発展します。
明の時代では、洪武帝以降に貿易統制(勘合貿易)をおこなっていきましたが、清の時代では、広州地域にかぎり、ヨーロッパ商船の入港をみとめ、公行とよばれる機関が輸入/輸出を管理しました。
税制
税制については、明の時代では土地税と人頭税を銀で一括でおさめる一条鞭法がとられていました。
いっぽう清の時代では、人頭税(丁銀)を、土地税(地銀)にくみこむ地丁銀制がとられました。
雍正帝のころから本格的に導入され、事実上、徴税の項目から人頭税が廃止されることになります。
社会階層
民衆のなかでは、
・佃戸(小作人)
の2つに階層が分かれていました。
地主階層は科挙官僚をたくさん輩出しました。かれら官僚は中央で勤めたあとは地元に帰り、郷紳(地方名望家)として、名をはせました。
いっぽう佃戸は、人口増大のあおりをうけて、所有する土地をうしない、貧困化していきました。
ときには抗粗運動とよばれる農業反乱をおこし、つかえている地主に、小作料の削減を要求したりしていました。
清時代の経済社会と文化② ─ 大編纂事業
以下、
- 編纂事業
- 儒学
- 文学
の側面から、清王朝の文化をみていきましょう。
編纂事業
清の文化で欠かせないのが、皇帝主導でおこなわれた大編纂事業です。
これは、思想統制のために、過去の書物をすべて調べてあげ、それら検査をもとにして、事典を整理&編纂したものです。
具体的には、つぎの3作品が制作されました。
・『古今図書集成』:雍正帝時代に完成した百科事典
・『四庫全書』:乾隆帝の命による古今図書の分類書
儒学
儒学については、実証重視の考証学が発達しました。
代表的な論者は、つぎの3人です。
・黄宗羲
・銭大昕
また清朝末期には、公羊学が流行り、儒学の祖である孔子を「改革者」とみなしたうえで、体制改革をもとめる学問が発達しました。
小説
活版印刷の普及から、本が大量につくられ、そこから小説が広く読まれるようになりました。
代表的な作品は、つぎの4つです。
・『儒林街市』
・『聊斎志異』
・『長生殿伝奇』
おわりに
清の社会と文化をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・陶磁器(景徳鎮)
・特権商人
・メキシコ銀/日本銀
・地丁銀制
・南洋華僑
・郷紳
この記事が、清の社会と文化を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。