どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・李朝大越国
・チャンパー
・扶南
・真臘(カンボジア)
・アンコール朝
・アンコール=ワット
・パガン朝
・シャイレンドラ朝
この記事では、つぎの本を参考にしました。
各地域に分けて、東南アジアの国々ができたころの歴史をたどっていきます。
あつかう地域は、つぎのとおりです。
- ベトナム
- カンボジア
- タイ
- ミャンマー(ビルマ)
- スマトラ
- ジャワ
それぞれ、みていきます。
目次
東南アジアの古代史① ─ ベトナム
東南アジアの根底にはドンソン文化が流れています。
ドンソン文化は、青銅製の銅鼓や、鉄製農具を軸にきずかれています。
B.C.4世紀ころから、中国の影響をうけて形成された文化とされています。
ベトナムは、ドンソン文化がもっともさかえたところでした。ここから南東部の島々へ、ドンソン文化が普及していきます。
…
そんなベトナムは、北部/南部によって文明の色が大きく異なります。
以下、それぞれの流れをみていきます。
ベトナム北部
ベトナム北部は、その場所から、中国文化の影響を大きくうけました。そのため、儒教や漢字などがひろく普及します。
また統治においても、中国王朝が支配する時期がつづきました。
前漢の武帝は、ベトナム北部に「交趾郡」「日南郡」を設置して、南海交易をすすめます(B.C.2世紀ごろ)。
また唐王朝は、ハノイに安南都護府を設置し、こちらも海洋交易をおしすすめます(A.D.7世紀ごろ)。
しかし、11世紀ごろから、ベトナム独自の王朝もつくられていきます。
李朝大越国です。
李公蘊が建国し、都は昇竜(ハノイ)におきました。
紅河を開拓して、農業生産を向上させ、経済の底上げをはかりました。
また、ときの宋王朝を撃退して、チャンパーに何度も遠征をおくっています。
文化事業にも熱心で、儒教や仏教なども、積極的にとりいれました。
ベトナム中部
ベトナム中部は、その場所がら、インド文化の影響を大きくうけました。
さいしょにつくられた国はチャンパーです。
チャム人が後漢から独立したあとに、たてられました。
ちょうど貿易の中継地に位置していることもあって、海洋交易でたいへんさかえました。
またヒンドゥー寺院も建設し、王名や都市名は、すべてインド風に変化していきます。
きほんチャンパーという国名でつづいていきますが、中国読みでは王朝に合わせて名前が変わります。
・唐 → 環王(かんおう)
・宋〜明 → 占城(せんじょう)
名前は違いますが、すべて同じチャンパーをさしています。
そんなチャンパーですが、さいごはベトナム人の王朝である黎朝によって滅ぼされています。
そのさいにインド文化は衰退し、中国文化圏に組み込まれることになります。
東南アジアの古代史② ─ カンボジア
つづいて、カンボジアです。
カンボジアでは、つぎのふたつの国が繁栄をきずきました。
- 扶南
- 真臘
それぞれ、みていきます。
扶南
さいしょにたてられた国が扶南(ふなん)です。
メコン川下流域に、クメール人(or マレー人)によって建国されました。
東南アジアでも、いちばんさいしょの骨格で、インドとのつながりを示す建国神話も残っています。
インド&中国との海洋交易により発展し、港市のオケオからは、ローマ金貨・漢の青銅鏡・インドの神像などが出土しています。
なお、港市とは、文字どおり貿易港を中心にした町のことです。
そして港市を軸にした国を「港市国家」とよびます。
港市国家は海洋をむすぶ中継貿易や、河川をつうじて内陸部から運んだ商品の輸出によって、繁栄をきずきました。
真臘
真臘(カンボジア)は、メコン川中流域に、クメール人によってたてられました。
ヒンドゥー教が広まり、インド文化の影響を大きくうけています。
さきにあげた扶南を滅ぼし、国としての統一を果たしたますが、約150年ほど経ったのち南北に分裂します。
それをふたたびアンコール朝が統一し、真臘の繁栄をきずきました。都はアンコール=トムにおきます。
アンコール朝は国際交易ルートをにぎり、平野部で大規模な農業開発に成功しています。
12世紀前半には最盛期をむかえ、かの有名なヒンドゥー寺院アンコール=ワットを建造しています。
さいごは、タイ人の王朝であるアユタヤ朝の攻撃をうけ、滅亡します。
東南アジアの古代史③ ─ タイ
タイでは単独の王朝がたてられることはなく、ドヴァーラヴァティーとよばれる港市国家郡が、複数つくられました。
時期は、7世紀から11世紀ごろにかけてです。
どの国家も、上座部仏教の影響をうけているのが特徴です。
東南アジアの古代史④ ─ ミャンマー
ミャンマーにおけるさいしょの国家は、ビューです。
チベット=ビルマ系の人によってたてられ、イラワディ川流域でさかえました。ただし、国のかたちは単独の国家というよりも、都市連合にちかいものでした。
こちらもインド文化が広まり、上座部仏教とヒンドゥー教に大きく影響をうけています。
さいごは南詔(なんしょう)による侵攻をうけ、滅亡します。
つづいてミャンマーにきずかれたのがバカン朝です。
ビルマ人によるさいしょの統一王朝で、都はバカンにおきました。
モン人やセイロン島より上座部仏教の影響をうけ、各地に寺院が建造されます。
さいごは、元の侵攻をうけ、滅亡することになります。
東南アジアの古代史⑤ ─ スマトラ
スマトラでは、シュリーヴィジャヤがさいしょの国家となります。
スマトラ島の南部バレンバンを中心に、南シナ海とインド洋をむすぶ海洋交易でさかえました。
大乗仏教が広まり、スマトラ島に訪れた唐の仏僧である義浄は『南海寄帰内法伝』を記しています。
さいごはマジャパヒト王国によって滅ぼされてしまいました。
東南アジアの古代史⑥ ─ ジャワ
ジャワでのさいしょの王朝はシャイレンドラ朝です。
マレー人による王朝で、スマトラ&マレー半島にも進出して、領土を広げていきました。
こちらも大乗仏教が広まり、ジャワ島の中心部にはボロブドゥール遺跡が残っています。
つづいてさかえたのがクディリ朝です。
こちらはヒンドゥー教が中心で、インド文学『マハーバーラタ』をジャワ語に翻訳し、それをもとに、ワヤン(影絵芝居)なども生まれています。
おわりに
東南アジアの古代史をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・李朝大越国
・チャンパー
・扶南
・真臘(カンボジア)
・アンコール朝
・アンコール=ワット
・パガン朝
・シャイレンドラ朝
この記事が、東南アジアの古代史を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。