どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・ユンカー
・オーストリア継承戦争
・七年戦争
・ポーランド分割
・啓蒙専制君主
・フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)
この記事では、つぎの本を参考にしました。
三十年戦争のあと、ドイツではプロセイン王国が権勢をつよめていきます。
以下、[形成 → 発展 → 進展]のながれで、王国のようすをみていきます。
目次
プロイセンの絶対王政① ─ 形成

プロセインは、
・ドイツ騎士団出自のプロセイン公国
が同君連合をくみ、ブランデンブルク=プロイセンを成立させたのが始まりです。
公国では重商主義政策をとり、国の経済力をつよくしていきます。
またナントの王令廃止により、フランスから亡命してきたユグノーを優遇し、産業の育成にあたらせます。
さらに、もともと住んでいた農民には賦役労働を強化し、農場領主制(グーツヘルシャフト)をしきます。
制度の実施により、西欧向けの穀物を生産するユンカー(地主貴族)が台頭し、かれら富裕層が公国の統治権をにぎります。
ユンカーたちは、軍隊組織&官僚制を強化し、よりいっそう国力を高めていきます。
プロイセンの絶対王政② ─ 発展

プロセインはスペイン継承戦争で神聖ローマ皇帝を支援し、その見返りに公国から王国への昇格をみとめられます。
ここにプロセイン王国が誕生しました。
つづいてフリードリヒ=ヴィルヘルム1世が即位すると、
・官僚制の整備
・産業の保護&育成
を積極的におこない、ヨーロッパでの権勢を高めていきます。
さらに、むすこのフリードリヒ2世(フリードリヒ大王)が即位すると、プロセインはより発展し、最盛期をむかえます。
「啓蒙専制君主」とよばれた彼は、
と称して、近代思想にもとづいた統治をおこないます。
内政にかんしては、
・重商主義政策にもどつく産業の育成
など、各個人の自由を認めながら、富国強兵策をすすめていきます。
文化政策にかんしては、ポツダムにフランス発祥のロココ様式をとったサンスーシ宮殿を建設します。
外交については、オーストリア継承戦争に介入し、オーストリアからシュレジエン地方を奪い、本国への併合に成功しています。
七年戦争では、さきに勝ちとったシュレジエン地方を確保し、イギリスからの支援のもとオーストリアの〝復讐〟をはねのけました。
さらにその約10年後には、隣国のポーランド分割を提唱し、
・ロシア
・オーストリア
で、穀倉地帯のポーランドを、それぞれ支配下におさめます。
プロイセンの絶対王政③ ─ 進展

繁栄をみせるプロセイン王国ですが、大きな課題もありました。
もともとプロセインがおさめる東欧では、西欧にくらべて近代化と経済発展がおくれ、市民階級も育っていませんでした。
そのため、さきにあげた「啓蒙専制主義」をとり、啓蒙思想のもとで、いまだ劣った農民の〝改善〟をおこない、国力の向上をねらいました。
貴族層の政治力&経済力を削ぐいっぽう、国王の権力を高め、君主が直接、農民を指導する改革が志向されました。
とはいえ、君主が〝上から〟手をつける改革は、たんに王の権勢をつよめるだけで、市民意識は育たず、絶対王政化をすすめるだけでした。
たしかに、よき君主が国王に就けば発展しますが、できのわるいリーダーがトップになれば、プロセインはいつでも道をあやまる可能性がありました。
じっさい、名君とされるフリードリヒ2世のときでも、むちゃな戦争をくりかえし、民衆の暮らしは決して恵まれているとは言えませんでした。
〝下からの〟市民階級の育成が、今後の課題になっていきます。
おわりに
プロイセンの絶対王政についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・ユンカー
・オーストリア継承戦争
・七年戦争
・ポーランド分割
・啓蒙専制君主
・フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)
この記事が、三十年戦争を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




