【世界史】インドの歴史&年表 まとめ ─ ムガル帝国

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・インド「ムガル帝国」について、ざっくりとした流れを知りたい
・大事なできごとは、なに?
・重要な人物は、だれ?

きょうは、この問いに答えていきます。

先に結論をいえば、つぎのとおり。

りきぞう

・ムガル帝国の歴史については、[バーブル → アクバル → シャー=ジャハーン → アウラングゼーブ]のように、皇帝の名前をおさえると、すっきり理解できる
・大事なできごとは、「イスラム&ヒンドゥーの融和」「人頭税の廃止/復活」の2つ
・重要な人物は、「アクバル」「シャー=ジャハーン」「アウラングゼーブ」の3人

ここでは、インド「ムガル帝国」の歴史について、みていきます。

ポイントは、つぎのとおり。

  1. ① 初代皇帝「バーブル」による建国
  2. ② 3代皇帝「アクバル」による確立
  3. ③ 5代皇帝「シャー=ジャハーン」での安定
  4. ④ 6代皇帝「アウラングゼーブ」での衰退

….

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

インド「ムガル帝国」の歴史① ─ 初代皇帝「バーブル」による建国

初代皇帝「バーブル」(出典:wiki

それまで約300年間、インド一帯は「デリー=スルタン王朝」がおさめていました。

最後の王朝「ロディー朝」を倒し、ムガル帝国を樹立したのが、初代皇帝「バーブル」です。

ムガル=モンゴル

ムガルとは、「モンゴル」のことです。

すでに1500年代には、モンゴル帝国の勢いは衰えていました。

しかし、バーブル自身が、チンギス=ハンの子孫「ティムール」の家系でした

そのため、国の名まえが「ムガル」(=モンゴル)となりました

インド「ムガル帝国」の歴史② ─ 3代皇帝「アクバル」による確立

3代皇帝「アクバル」(出典:wiki

ムガル帝国の基盤を築いたのは、3代皇帝「アクバル」です。

かれが即位したときは、ムガル帝国は、北部インドを中心におさめていました

その後、インド一帯へと勢力をのばしていきます

すると、各地で反発が起こります。

というのも、当時のインドの人たちは、ヒンドゥー教徒だったからです

いっぽう、ムガル帝国の支配層は、イスラム教徒でした

2つ宗教には、宗教観&社会観の〝へだたり〟が、ありました。

・ヒンドゥー教 → 多神教&カースト
・イスラム教 → 一神教&機会平等

人頭税の廃止

そこで、アクバルは、ヒンドゥー教徒/イスラム教徒の対立をやわらげるために、人頭税を廃止します

それまでは、イスラム教徒でない人たちに、税をかけていました。

平等を実現するため、負担を軽くして、民衆のあいだを和らげる政策をとりました。

結果、帝国全体は安定 ─ 。

同時に、中央集権化も果たします。

インド「ムガル帝国」の歴史③ ─ 5代皇帝「シャー=ジャハーン」による発展

5代皇帝「シャー=ジャハーン」(出典:wiki

国が安定すると、文化も栄えます。

5代皇帝「シャー=ジャハーン」のときに、「ダージ=マハル」が建てられます。

いまではインドを代表する建物ですね。

「世界で最も美しい建築物」といわれますが、「お墓」(=墓廟)です。

シャー=ジャハーンの妻「ムムターズ=マハル」のために、建造されました。

財政の悪化

「ダージ=マハル」の色は「白」です。

シャー=ジャハーンは、その前方に、黒色の「ダージ=マハル」を建てようとしました。

これに〝待った〟をかけたのが、むすこの「アウラングゼーブ」でした。

赤字がふくらみ、財政が悪化していたからです

それでも計画を押し進める、シャー=ジャハーン ─ 。

結果、散財する父親を、監禁する措置をとります。

じつはお金の問題だけでなく、そのうらで兄弟間の権力争いがあったとされます。

財政悪化を「大義名分」にして、アウラングゼーブが、父を失脚させたのかもしれません。

インド「ムガル帝国」の歴史③ ─ 6代皇帝「アウラングゼーブ」

6代皇帝「アウラングゼーブ」(出典:wiki

アウラングゼーブの時代に、ムガル帝国の領域は最大になり、絶頂をむかえます。

南インドへの遠征も、積極的におこない、インド全体を統治することになります。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

人頭税の復活による反乱

最盛期をむかえるムガル帝国 ─ 。

けれどここからじょじょに衰退していきます。

きっかけは、ヒンドゥー教徒にたいする「人頭税の復活」です

じつは、アウラングゼーブは〝熱心なイスラム教徒〟でした

なので、イスラム教徒を優遇し、ヒンドゥー教には厳しくあたるようになります

その一環として、アクバル以来つづいていた「人頭税=シズヤ」を復活させます。

じつは、インド人の9割以上が「ヒンドゥー教徒」でした。

融和政策を放棄したことで、全国各地で反乱がおこります

西洋諸国による外圧

さらに、この時代、ヨーロッパ地域を中心に「大交易時代」に突入していました。

このころから、ヨーロッパ各国が、インド地域に進出し、植民地化していきます

まとめると、つぎのとおり。

・イギリス → ボンベイ&カルカッタ
・フランス → シャンデルナゴル

時が経つにつれて、競争は激しさを増していきます。(1700年代以降)

結果、インド民衆の帝国にたいする反発も、つよくなります

6代皇帝「アウラングゼーブ」をさかえに、ムガル帝国は、じょじょに衰退していきます。

まとめ

まとめると、

りきぞう

・ムガル帝国の歴史については、[バーブル → アクバル → シャー=ジャハーン → アウラングゼーブ]のように、皇帝の名前をおさえると、すっきり理解できる
・大事なできごとは、「イスラム&ヒンドゥーの融和」「人頭税の廃止/復活」の2つ
・重要な人物は、「アクバル」「シャー=ジャハーン」「アウラングゼーブ」の3人

といったかんじ。

この記事が、「インド「ムガル帝国」の歴史を知りたい人」の参考になれば、うれしいです。

ではまた〜。