どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なできごとは、なに?
・重要な人物は、だれ?
きょうは、この問いに答えていきます。
先に結論をいえば、つぎのとおり。
りきぞう
・大事なできごとは、「ガンダーラ美術の発展」「ヒンドゥー教の成立」「二大叙事詩の成立」の3つ
・重要な人物は、「アショーカ王」「ナーガールジュナ」「玄奘」の3人
「古代インド」とは、BC.2500年〜AD.500年ごろの「インド地域」をさします。
そのなかでも、インドが統一したあとの流れを、みていきます。
王朝の流れをたどると、すっきり理解できます。
- ① マウリヤ朝
- ② クシャーナ朝&サーターヴァナ朝
- ③ グプタ朝
- ④ ヴァルダナ朝
….
この記事では、つぎの本を参考にしました。
以下、目次に沿って、みていきます。
目次
古代インドの統一① ─ マウリヤ朝

それまでインドは、都市国家がバラバラに乱立していました。
そのなか、「マウリヤ朝」が統一をはたします。(BC.300年代)
キッカケは、「アレクサンドロス大王の東方遠征」です。(BC.330年〜BC.326年)
ギリシャ北部に拠点をかまえる「マケドニア国」が、インダス川まで進出してきました。
危機感をいだいた各国は、同盟・併合することで、1つにまとまっていきます。
チャンドラグプタ王&アショーカ王
統合するなか、能力を発揮したのが「チャンドラグプタ」でした。
マガタ国をおさめる「ナンダ朝」を倒し、「マウリヤ朝」を建国します。
その後、あとついだ、3代「アショーカ王」は、インド全域を支配 ─ 。
統一をはたします。
宗教面では、「仏教」の支援・保護します。
仏教の倫理「ダルマ」を教えの軸にすえ、地区ごとに「石柱碑」を建てていきます。
古代インドの統一② ─ クシャーナ朝&サータヴァーハナ朝

マウリヤ朝が衰退したあと、インドの北側/南側で、別々の王朝が、統治することになります。
つぎのとおりです。
- インド北部 → クシャーナ朝
- インド南部 → サータヴァーハナ朝
それぞれ、カンタンにみていきます。
クシャーナ朝(北部)
マウリヤ朝が衰退したあと、北部インドを統治したのが、「クシャーナ朝」でした。(100年代〜200年代ごろ)
イラン系民族によって建てられ、マウリヤ朝と同じように、仏教を保護しました。
クシャーナ朝がおさめる領域には、「シルクロード」が通り、東西交易の要所となります。
それにともない、王朝自体も発展していきます。
当時、西側を「ローマ帝国」、東側を「後漢」がおさめていました。
そこから、ギリシア・ローマ文化、ペルシア文化、中国文化が融合するかたちで「ガンダーラ美術」が開花しました。
文化面でも、大きく栄えます。
また、カルシカ王の時代には、「ナーガールジュナ」が登場 ─ 。
かれは、中国&日本の仏教のベースである「大乗仏教」の創設者となります。
サータヴァーハナ朝(南部)
いっぽう、インド南側は、「サータヴァーハナ朝」が統治しました。
インド洋に面した地域をおさめていました。
そのため、東西交易の中継地として、大いに盛えるようになりました。
とくに、西側の「ローマ帝国」と、東南アジア方面との交易を積極的におこないます。
しかし、時が経つにつれて、隣国「ササン朝ペルシア」の侵略を、ひんぱんに受けるようになります。
それにより、じょじょに衰退していきます。
古代インドの統一③ ─ グプタ朝

「クシャーナ朝」「サータヴァーナ朝」が崩壊したあと、インドの統一を果たしたのが、「グプタ朝」でした。
ヒンドゥー教の成立
この時期、「ヒンドゥー教」が、発展・拡大します。
もともと、紀元前からインド全体にひろまっていました。
グプタ朝時代、人びとのあいだに、普及するようになります。
聖典『ヴェーダ』をルーツとして「バラモン教」に、「ジャイナ教」「仏教」の教えをミックスしたのが「ヒンドゥー教」です。
キホン「多神教」です。
代表的な神さまは、つぎの「三神」です。
・ヴィシュヌ=宇宙維持の神
・シヴァ=破壊&創造の神
なんとくなく、聞いたことのある名まえですね。
ちなみに、ヒンドゥー教では、「お釈迦さま=ブッダ」も、数ある神さまの1つです。
なので、仏教徒もまた、ヒンドゥー教徒となります。
もちろん、このあたりには、反発・対立はありますが。
『マハーバーラタ』&『ラーマーヤナ』の成立
ヒンドゥー教のもと、インド文化の軸になる「二大叙事詩」が生まれます。
・『ラーマーヤナ』
の2つです。
『マハーバーラタ』は、「偉大なバラータ国」という意味で、いまのインドの正式名称にもなっています。
いっぽうの『ラーマーヤナ』は、物語色がつよく、王子「ラーマ」の運命をえがく英雄譚です。
どちらも、現在のインド文化に、深く根付いています。
『マヌ法典』の成立
さらに、ヒンドゥー教の法典である『マヌ法典』が確立します。
「カースト制」を軸に、婚姻・財産などの規則が、こまかく記されています。
いまでも、この聖典が、ヒンドゥー教徒の生活規範・生活習慣のベースになっています。
古代インドの統一④ ─ ヴァルダナ朝

他民族の侵入によって、グプタ朝は、崩壊します。(550年代・中頃)
その後、インドをおさめたのが、「ヴァルダナ朝」です。(600年代)
「ハルシャ=ヴァルダナ」が統一を果たしました。
けれど、わずか1代しかもたず、長くは続きませんでした。
玄奘の来訪
このとき、中国地域(=唐)から「玄奘」が訪れます。
かれは、いまでも有名な「三蔵法師」です。
本場の仏教を学ぶため、過酷な旅をのりこえて、やってきました。
・『律蔵』=釈迦の教え
・『論蔵』=経典の解釈
この3つの体系(=蔵)を学び、唐に伝承したために、「三蔵法師」とよばれています。
まとめ
まとめると、
りきぞう
・大事なできごとは、「ガンダーラ美術の発展」「ヒンドゥー教の成立」「二大叙事詩の成立」の3つ
・重要な人物は、「アショーカ王」「ナーガールジュナ」「玄奘」の3人
といったかんじ。
この記事が、「古代インド統一の流れを知りたい人」の参考になれば、うれしいです。
ではまた〜。


