どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・コーサラ国
・ダルマ
・石柱碑
・第三回仏教結集
・アショーカ王
・アショーカ王はダルマ(法)にもとづく政治をおこない、仏教を積極的に保護した
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
マウリヤ朝の形成

それまでインド北部では、経済の発展に合わせて、複数の都市国家が形成されていました。なかでもマガタ国とコーサラ国が有名で、領地争いをくりかえしていました。
けっきょくマガタ国がコーサラ国を併合することになります。けれど、ガンジス川一帯を支配するような統一王朝は、なかなかあらわれませんでした。
ひとつのきっかけとなったのが、アレクサンドロス大王によるインド遠征です(B.C.4世紀後半)。
彼の軍隊が進出してきたことで、それまでバラバラに成り立ってきた都市国家が、協力関係をむすびます。
このときの団結が要因となり、インドでも統一の機運が高まってきます。
インドではじめて統一を果たしたのが、マウリヤ朝のチャンドラグプタでした。
彼は、さいこまで抵抗をつづけていたナンダ朝を滅ぼし、みずからの王朝を成立させます(B.C.317年)。都はパータリプトラにおきました。
さらに、インダス川流域に残留していたギリシャ人たちを追いはらい、西北インドを安定化させます。
マウリヤ朝の発展

マウリヤ朝は3代アショーカ王のときに最盛期をむかえます。
若いときから武勇に優れていた彼は、インド南東のカリンガ地方を征服します。それにより、インド南端をのぞく、すべてのインド地域を支配下におさめます。
しかし、カリンガ地方での残虐な武力行為に心を痛めたアショーカ王は、仏教にすがり、深く信じるようになります。
政治については、仏教のダルマ(法)にもとづく統治をおこない、インド各地に磨崖碑(まがいひ)や石柱碑を建てていきます。
また宗教についても、仏教を手厚く保護し、サーンチーという場所にストゥーパーを建設します。
仏典も整備し、アショーカ王のときには、第3回目の仏典結集がおこなわれました。
またスリランカ(セイロン)にも、むすこたちをつうしで仏教の布教をおこなわせています。
マウリヤ朝の衰退

しかし、全盛期をむかえたマウリヤ朝も、形成から約150年経つと、衰退のきざしがみられます。
広大な領地のために、軍事と官僚の維持費がかかり、財政がひっぱくしてきます。
さらに、北方のバクトリア王国からギリシャ人が、たびたび侵入し、その都度、戦争によるダメージをうけることになります。
こうして外でも内でも問題をかかえるマウリヤ朝は、じょじょに勢力を落としていくことになります(B.C.180年ごろ)。
おわりに
マウリヤ朝についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・コーサラ国
・ダルマ
・石柱碑
・第三回仏教結集
・アショーカ王
・アショーカ王はダルマ(法)にもとづく政治をおこない、仏教を積極的に保護した
この記事が、マウリヤ朝を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




