南インド王朝の歴史 ─ 海の道・季節風貿易・サータヴァーハナ朝・チョーラ朝

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・南インドの王朝について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ドラヴィダ系
・サータヴァーハナ朝
・季節風貿易
・チョーラ朝
ポイント
・南インドのドラヴィダ系王朝は、ローマ帝国などと季節風貿易を利用して、繁栄をきずいた

この記事では、つぎの本を参考にしました。

B.C.3世紀から、13世紀ごろまでの南インドの王朝をみていきましょう。

南インドは、デカン地方/南端部に分かれています。

各エリアの王朝をたどっていきます。

デカン地方 ─ サータヴァーハナ朝

サータヴァーハナ朝 初期の彫刻

北インドでクシャーナ朝が成立していたころ、デカン高原のあたりではサータヴァーハナ朝がさかえていました(B.C.1世紀からA.D.3世紀ころ)。

サータヴァーハナ朝は、ドラヴィダ系の民族によってたてられた王朝です。

北インドの文化を積極的にとりいれ、南インドにバラモン教や仏教の文化を根づかせました。

また、海洋交易にかんしては、ローマ帝国と季節風貿易をさかんにおこない、繁栄をきずきました。

そのさいインドからは香辛料&綿織物をおくり、ローマから金貨を獲得しました。

おもしろいことに、このときの交易状況が、ギリシャ人によって書かれた『エリュトゥラー海案内記』に記されています。

インド人をふくめ、ときの商人たちが、インド洋の季節風を利用して、[インド⇄アラビア]ルートを行き来し、さかんに取り引きしていたようすが描かれています。

2000年以上まえから、両大陸のあいだで交易がなされていた事実は、けっこう驚きです。

インド南端部 ─ チョーラ朝

チョーラ朝の通貨

インド南端部でも、古くから王朝がつくられていました。

まずはチョーラ朝です。

ドラヴィダ系の民族によってたてられた王朝で、タミル語を話していました。

スリランカを征服したあと、東西交易の覇権をもとめて、シュリーヴィジャヤ地域に何度も遠征隊をおくました。

チョーラ朝は、カーヴェリ川・デルタ流域において、ダムや用水路網などの灌漑施設〔中略〕の建造によって安定した農産物を実現し、交易活動も活発におこなった。(p.79)

─ 『詳説 世界史研究』

B.C.3世紀〜A.D.4世紀のあいだにさかえ、いったんここで衰退します。しかし、ふたたびもりかえし、9世紀〜13世紀のあいだに繁栄をおうかしました。

最盛期である10〜11世紀にかけては、スリランカや東南アジアに軍事遠征をおこない、北宋まで商人使節を派遣したことが知られている。(p.79)

─ 『詳説 世界史研究』

いっぽうチョーラ朝のさらに南端にも、パーンディヤ朝がおこりました。

B.C.3世紀からA.D.14世紀までつづいた長期王朝で、建国当初は、ローマ帝国との交易によってさかえました。

のちに、イスラーム系王朝の南部侵攻に対抗して、西アジアから馬などを輸入しています。

外交&交易ともに、たいへん優れた王朝だったようです。

おわりに

南インドの王朝についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ドラヴィダ系
・サータヴァーハナ朝
・季節風貿易
・チョーラ朝
ポイント
・南インドのドラヴィダ系王朝は、ローマ帝国などと季節風貿易を利用して、繁栄をきずいた

この記事が、南インドの王朝を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。