どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・3カリフ時代
・ベルベル人
・都市マラケシュ
・国土回復運動(レコンキスタ)
・西アフリカのイスラーム化
・都市グラナダ
・アルハンブラ宮殿
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
イベリアのイスラーム王朝① ─ 後ウマイヤ朝

イスラーム勢力をひきいていたウマイヤ朝が滅亡したあと、かれら一族が北アフリカをかけて逃亡し、イベリア半島に国をたてました。
ウマイヤ朝を継承したところから、この王国は後ウマイヤ朝とよばれました。
アッバース朝に代わってファーティマ朝が台頭したあとは、かれらと同じくカリフを名のります。
この時期、エジプトのカイロにもカリフを自称するファーティマ朝があらわれたことから、「3カリフ時代」とよばれます。
後ウマイヤ朝はイベリア半島に進出したあとコルドバに都をおきました。以降この都市はイスラーム文化のヨーロッパへの窓口として繁栄していきます。
本拠地バグダードから落ちのび、逃げるようにして建国した後ウマイヤ朝ですが、その後、200年以上かけて存続することになります。
最盛期はアフド=アッラフマーン3世のときで、中心都市のバグダードからコルドバに訪れたイスラーム商人は、あまりの繁栄ぶりに、度肝をぬかされたそうです。
イベリアのイスラーム王朝② ─ ムラービト朝

後ウマイヤ朝がおとろえるころ、代わりにムラービト朝が台頭してきます。
モロッコのベルベル人により建国され、教義はスンナ派を採用していました。
こちらも後ウマイヤ朝と同じく、ファーティマ朝に反抗する態度をみせます。マラケシュに都をおき、たびたびファーティマ朝の拠点であるバグダードに兵をすすめたりします。
いっぽうで、イベリア半島にも進出し、その当時、猛威をふるっていた、ヨーロッパ側の国土回復運動(レコンキスタ)に対抗します。
さらに、サハラ砂漠を縦方向にすすみ、ガーナ王国を衰退させたのち、西アフリカのイスラーム化をうながしました。
イベリアのイスラーム王朝③ ─ ムワッヒド朝

ムラービト朝のつぎに勢力をのばしたのがムワッヒド朝です。
こちらもベルベル人による王朝で、ムラービト朝を滅ぼしたあとに建国されました。
都は同じくマラケシュにおき、行政のしくみや繁栄した経済を、そのまま引き継ぐことになります。
また、ムラービト朝の外交政策をそのままに、ムワッヒド朝もイベリア半島に進出しようとします。
しかし、思った以上の成果はあげられませんでした。むしろ、よりいっそう盛り上がりをみせる国土回復運動におされ、これをきっかけに、王朝の衰退をまねくことにつながりました。
イベリアのイスラーム王朝④ ─ ナスル朝

ムワッヒド王朝に代わって勢力をのばしたのがナスル朝です。
それまでの王朝と異なり、イベリア半島にあるグラナダに都をおき、大いに繁栄します。
あまりにグラナダがさかえたので、この王朝は「グラナダ王国」とよばれたりもします。
都市の中心部にはアルハンブラ宮殿が建てられ、こちらの遺跡は現在でも観光名所になっています。
200年ほどつづいた長期王朝ですが、年を追うごとに盛り上がるみせる国土回復運動に、じょじょに圧倒されていきます。
ついには、ヨーロッパの軍勢におされ、都市グラナダが陥落し、滅亡するにいたります(1492年)。
ヨーロッパの立場からみた場合、ナスル朝の滅亡によって国土回復運動は完了します。これ以降、スペインやポルトガルをはじめ、イベリア半島から世界にむけて、いわゆる大航海時代とよばれる、海洋交易活動を開始していきます。
くしくも1492年は、コロンブスがアメリカ大陸にたどりついた年でした。
ここから世界の覇権は、イスラーム世界からヨーロッパ諸国へ移行していきます。
おわりに
イベリアのイスラーム王朝をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・3カリフ時代
・ベルベル人
・都市マラケシュ
・国土回復運動(レコンキスタ)
・西アフリカのイスラーム化
・都市グラナダ
・アルハンブラ宮殿
この記事が、イベリアのイスラーム王朝を知りたい人の参考になれば、うれしいです。
では、また。




