アレクサンドロス大王とヘレニズム時代 ─ 東方遠征・特徴・始まり&終わり

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・アレクサンドロス大王とヘレニズム時代について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・カイロネイアの戦い
・コリントス同盟(ヘラス同盟)
・東方遠征
・イッソスの戦い
・都市アレクサンドリア
・ディアドコイ戦争(後継者戦争)
重要人物
・フィリッポス2世
・アレクサンドロス大王
ポイント
・アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシャ世界とオリエント世界が融合した
・大王亡きあとは、部下のあいだでディアドコイ戦争(後継者戦争)が約50年間つづく

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

マケドニア王国の台頭

フィリッポス2世

ペロポネソス戦争により各ポリスが混乱しているなか、ギリシャ北部で勢力をのばす国がありました。

マケドニア王国です。

ギリシャに隣接するものの、国名が示すとおり、民主政はとらず、王政をしいていました。

もともと資源に恵まれていることもあり経済的に豊かな地域であり、さらに馬の産地ということで騎馬兵がつくられ、軍事面でも力をつけていきます。

ときの国王フィリッポス2世は、優れた戦略家でした。現状の国力と、ポリスが衰退しているようすを見抜いた彼は、時期を見計らって、アテネに戦争をしかけます。

カイロネイアの戦いでは、自慢の騎馬兵を駆使して、アテネ・テーベの連合軍を打ちまかしました。

この勝利をきっかけに、ギリシャの各ポリスとコリントス同盟(ヘラス同盟)をむすび、(スパルタ以外の)すべての都市国家を支配します。

これにより、ギリシャの民主政は、完全に崩れることになります。

ギリシャの果てしない小国分立状態に終止符をうったのは、ポリスをつくらなかった、ギリシャ人一派である、北方のマケドニアであった。前4世紀後半、マケドニアは、フィリッポス2世のもとで軍事力をつよめ、強力に中央集権化を推しすすめることによって、急速に勢力を拡大しはじめた。(p.44)

─ 『詳説 世界史研究』

その後、フィリッポス2世は、以前から構想していたペルシャ遠征にむけて準備をおこないますが、臣下のひとりに殺され、彼のもくろみはついえることになります。

しかし王の野望をしっかりと受け継ぐ者があらわれました。

フィリッポス2世のむすこアレクサンドロス大王です。

アレクサンドロス大王の東方遠征

アレクサンドロス大王

アレクサンドロスは父親が暗殺された直後に、すぐさまマケドニア王として即位します。

まだ20歳そこそこにもかかわらず、国内の反乱をおさえ、約2年後には、父王が果たせなかった東方遠征に乗りだします。

ギリシャ世界の宿敵アケメネス朝ペルシャを倒すため、北東へ兵をすすめます。

そして、

・イッソスの戦い
・アルベルの戦い

で、ペルシャ帝国を打ち倒し、都ペルセポリスに火を放ったのち、ついに帝国を滅亡させるにいたります。

その後、ギリシャからインダス河流域にいたる広大な領土を手にしたアレクサンドロスは、オリエント流の専制君主として、まさに大王として君臨します。

領土各地に、都市アレクサンドリアをきずき、各民族の交流をうながします。

また東方遠征の途中では、エジプトにむかい、ファラオの称号を得て、みずからの威信を高めるような施策もうちました。

しかし、遠征の疲れから、アレクサンドロスは、わずか33歳でバビロンの都で亡くなります。

ディアドコイ戦争の勃発

現 アレクサンドリア

大王亡きあと、彼がおさめた領域は、一気に分裂します。

彼のもとにいた部下たちが、領地争いをくりひろげ、いわゆるディアドコイ戦争(後継者戦争)が、約50年かけてつづけられます。

争いの結果、広大な領土は、つぎのように区分けされました。

  • セレウコス朝シリア
  • アンティゴノス朝マケドニア
  • プトレマイオス朝エジプト

都市のまえに付いた王朝名は、すべて後継者戦争を勝ち抜いた軍人の名前です。

なお、学術上では、アレクサンドロス大王の没後から、プトレマイオス朝がローマ帝国により滅亡される時期までを「ヘレニズム時代」(B.C.334〜B.C.30年)とよびます。

以下、それぞれの王朝を動きをみていきましょう。

セレウコス朝シリア

セレウコス朝シリアは、おさめた領地があまりに広大できた。そのために地方での反乱がひんぱつし、内乱の抑制にほんろうされます。

じっさい、しばらくしてから西部地域において、

・バクトリア(ギリシャ系)
・パルティア(イラン系)

が独立を果たします。

アンティゴノス朝マケドニア

アレクサンドロス大王の故郷を拠点にしたアンティゴノス朝は、領土が小さいために、安定した統治をおこなうことができました。

その後、マケドニア王国として、つぎの古代ローマの時代まで、王朝は存続していきます。

プトレマイオス朝エジプト

プトレマイオス朝は、アレクサンドロスがきずいた都市アレクサンドリアが、大いに繁栄します。

エジプトという土地柄、交易がさかんとなり、経済面でも豊かになりました。また並行して文化や芸術も華ひらき、都市アレクサンドロスは、ヘレニズム世界の中心地となります。

おわりに

アレクサンドロス大王とヘレニズム時代をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・カイロネイアの戦い
・コリントス同盟(ヘラス同盟)
・東方遠征
・イッソスの戦い
・都市アレクサンドリア
・ディアドコイ戦争(後継者戦争)
重要人物
・フィリッポス2世
・アレクサンドロス大王
ポイント
・アレクサンドロス大王の東方遠征により、ギリシャ世界とオリエント世界が融合した
・大王亡きあとは、部下のあいだでディアドコイ戦争(後継者戦争)が約50年間つづく

この記事が、アレクサンドロス大王とヘレニズム時代を知りたい人の参考になれば、うれしいです。

では、また。