名誉革命とイギリス議会政治 ─ 原因・ピューリタン革命・権利章典・ロック【簡単に解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・名誉革命について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・王政復古
・審査法
・人身保護法
・トーリー党 vs ホイッグ党
・権利の宣言
・権利の章典
・大ブリテン王国
・議院内閣制
・政党政治
・イングランド銀行
重要人物
・チャールズ2世
・ジェームズ2世
・メアリ2世
・ウィリアム3世
・アン女王
・ジョージ1世
・ウォルポール
ポイント
・名誉革命によりメアリ2世とウィリアム3世が即位し、イギリスでは立憲王政がはじまった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

名誉革命とイギリス議会政治① ─ チャールズ2世

チャールズ2世

クロムウェルの死後、彼の独裁政治や神権政治への不満が高まり、イギリスは追放した国王をよびもどし王政復古を実現させます。

このときの国王がチャールズ2世でした。彼はチャールズ1世の子で、フランスに亡命していました。

王政復古とはいえ、ブレダ宣言で議会の協調を約束します。しかしチャールズ2世の周辺は、絶対王政とカトリックの復活をもくろみ、しだいに議会と対立を深めるようになります。

しばらくして審査法が制定され、イギリス国教会の信徒でない者は公職に就けなくなります。

いっぽうで人身保護法を制定し、不当逮捕や投獄を禁止し、市民の自由を保障します。

こうみるとチャールズ2世は、絶対王政を目指しながらも、市民の代表である議会と折り合いをつけながら政治をおこなっていた、とわかります。

また議会内部では、いまの政党につながるような団体がつくられます。

トーリー党ホイッグ党で、どちらも貴族やジェントリが中心メンバーでした。

各政党の特徴は、つぎのとおりです。

トーリー党:
・王権を擁護
・イギリス国教会を支持
・ジェントリの利益を優先
・のちの保守党につながる
ホイッグ党:
・議会を擁護
・国教徒以外の人にも配慮
・商工業者の利益を優先
・のちの自由党につながる

[トーリー党 vs ホイッグ党]は政党政治の起源とされ、両グループは論戦をくりかえしながら、それぞれの支持者にとって有利な法律をつくり、政策をおこなっていきます。

名誉革命とイギリス議会政治② ─ ジェームズ2世

ジェームズ2世

チャールズ2世のあと、ジェームズ2世が即位します。

彼はチャールズ2世とは異なり、宗教政策をおしすすめ、カトリックを復活させます。

あまりに強権的な態度に、しびれをきらした議会は、ジェームズ2世の長男が誕生したの機会に、トーリー党&ホイッグ党による協力のもと、王位の廃位を宣言します。

さらに議会は、長女メアリ(メアリ2世)と、夫のオランダ総督オラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)をむかえて、共同統治者のかたちで、イギリスの国王&女王にすえます。

いっぽうジェームズ2世はフランスに亡命し、正式に国王の廃位が決まりました。

これら一連のできごとを「名誉革命」とよびます。

名誉革命とイギリス議会政治③ ─ メアリ2世&ウィリアム3世

メアリ2世とウィリアム3世

ふたりは議会が提出した権利の宣言を受け入れて、イギリスの共同統治者として正式に即位します。

さらに議会は権利の章典を制定します。

これにより、国民の自由と財産権がしっかりと法に明記され、議会主権にもとづく立憲王政が確立します。

なお、オランダ総督であったウィリアム3世が即位したことで、イギリスとオランダの関係は修復されます。さらに両国ともにプロテスタント支持の立場をとっていたため、カトリック支持のフランス(ルイ14世)と対立を深めていくことになりました。

名誉革命とイギリス議会政治④ ─ アン女王

アン女王

つづいてアン女王が即位すると、イギリスは宿敵だったスコットランドと合併し大ブリテン王国を成立させます。

その後、アイルランドも併合し、ここにイングランドを母体とする大英帝国の基礎がきずかれました。

名誉革命とイギリス議会政治⑤ ─ ハノーヴァー朝

ウォルポール

アン女王の死により、それまでつづいてきたステュアート朝が断絶します。

代わって、ドイツのハノーヴァー選帝侯がまねかれてジョージ1世として即位します。ここからハノーヴァー朝がスタートします。

いっぽう、もともとドイツ人であるジョージ1世は英語がしゃべれず、さらに政治にたいしても無関心でした。

そのために議会の権勢がつよくなり、イギリスでは議会政治が発展していくことになります。そのさい議会を主導していたのがウォルポール内閣でした。

ウォルポールは、

内閣は、国王ではなく議会にたいして責任を負う

との考えをしめし、ここに責任内閣制が成立します。

さらに、王位については、

国王は君臨すれども統治せず

との原則がうまれ、それにより議会の多数派が内閣を組織する政党政治が確立しました。

いまの議会政治につながる原型が誕生したわけですが、当時はまだ課題も多くありました。

いちばんのネックは、参政権がジェントリ層に限られていた点です。

イギリス国民の大半は選挙権をもたず、くわえて秘密投票でもなかったため、議員の当選は、投票者の人間関係や商業上の利害関係に大きく左右されました。

とはいえ議会政治が発展することで、(国王ではなく)市民に有利な政策がすすめられていきます。なかでも大きな影響をあたえたのが、財政整備の一環でおこなれたイングランド銀行の創設です。

これにより、政府の発行する国債をイングランド銀行がひきうけ、対外戦争をするさいの財政基盤が安定します。

国債発行により国民への増税も回避され、結果、浮いたお金で消費や投資をおこない、イギリス経済はより成長していくことになります。

おわりに

名誉革命とイギリス議会政治についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・王政復古
・審査法
・人身保護法
・トーリー党 vs ホイッグ党
・権利の宣言
・権利の章典
・大ブリテン王国
・議院内閣制
・政党政治
・イングランド銀行
重要人物
・チャールズ2世
・ジェームズ2世
・メアリ2世
・ウィリアム3世
・アン女王
・ジョージ1世
・ウォルポール
ポイント
・名誉革命によりメアリ2世とウィリアム3世が即位し、イギリスでは立憲王政がはじまった

この記事が、名誉革命とイギリス議会政治を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。