エジプト文明の特徴 ─ 川・象形文字・太陽暦・アトン・アマルナ【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・エジプト文明の特徴についてを知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・「エジプトはナイルのたまもの」
・神聖文字
・ファラオ
・太陽神ラー
・死者の書
・ギザの三大ピラミッド
・ヒクソス
・アトン(イクナートン)
・アマルナ(都市)
・海の民
重要人物
・クフ王
・トトメス3世
・アメンポテム4世
・ツタンカーメン王
ポイント
・エジプト文明は、古王国時代 → 中王国時代 → 新王国時代と移っていった
・新王国のアメンホテプ4世はアマルナに遷都し、一神教革命をおこなった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

エジプト文明の特徴① ─ 文明のおこり

『死者の書』

いまのところ、メソポタミアが人類最古の文明とされています。それと同じくらい古いのがエジプト文明です。

古代ギリシャの歴史家ヘロトドスが「エジプトはナイルのたまもの」と表現したように、エジプト文明はナイル川の恵みによって発展しました。

統治のしくみはファラオ(現人神)による神権政治のかたちをとっていました。きほん多神教で、太陽神ラーをいちばんに祀っていました。

来世信仰がさかんで、そこから有名なミイラがつくられるようになります。ミイラとは、死してなお人はあの世において生き延びることをあらわした造形物です。

そのほか『死者の書』なども遺跡からみつかっています。これは肉体を離れた死者の霊魂が死後の楽園アルルに入るまでの道のりを描いた作品です。

こういうところからもエジプト人たちの来世信仰がうかがえます。

文字

『死者の書』を記していることからもわかるとおり、エジプト文明には、さまざまな種類の文字がありました。

ひと通りあげると、つぎのようになります。

・神聖文字
・神官文字
・民用文字

神聖文字は、おもに神殿や王の墓に刻まれたテキストです。王の勅令が刻まれた「ロゼッタストーン」も、この神聖文字で書かれています。

神官文字は、神聖文字をかんたんに表したテキストです。日本でいえば、漢字を簡略化した「ひらがな」にあたるものです。

民用文字とは、一般の人たちでつかわれていたテキストとされています。おもに、いまの紙にあたる「パピルス」に書き記されていました。

文化

文化も大きく発達していました。太陽暦もつくられていて、さらにこれは、のちのユリウス暦へとつながっていきます。

また、たびたび氾濫するナイル川を測るために、独自の

・測地術
・十進法

が発達します。

とくに十進法は、こののちギリシャへ伝わり、幾何学の発展をもたらします。

当初エジプト文明は、小さい規模の国家が乱立していました。しかしじょじょに統合がすすんでいき、B.C.3000年ごろには統一国家がうまれたとされます。

以下、学術上の年代区分にあわせ、エジプト統一国家の動きをみていきましょう。

エジプト文明の特徴② ─ 古王国時代

キザの三大ピラミッド

古王国時代とは、B.C.2700年〜2200年までの期間をさします。

このころに有名な「キザの三大ピラミッド」がつくられています。

なかでもクフ王の墓はもっとも大きく、どんな目的でつくられ墓の内部はどのようになっているのか謎につつまれています。

古王国時代ではメンフィスに都がおかれていました。

出典:『一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書』

エジプト文明の特徴③ ─ 中王国時代

ヒクソス

中王国時代とは、B.C.2100年〜1800年ころまでをさします。

この時代に入るまえ、しばらくエジプトはさまざまな勢力が乱立していました。

そこから、ふたたびエジプトの統一をはたしたのがエジプト北部(=上エジプト)テーベに拠点をきずいたグループでした。

かれらはエジプト一帯に力をのばし、中央集権化をおこなっていきます。官僚組織も整えていき、中王国時代でつくられた統治制度が、その後のエジプト文明の基盤となっていきます。

前2000年ごろ、上エジプトのテーベを本拠地とする勢力が、ふたたびエジプトを統一し、第11王朝をひらいた。ここから始まった中王国時代に、首都テーベにうつり、中央集権化と官僚組織の整備がすすんだ。(p.21)

─ 『詳説 世界史研究』

その後、北方からきたヒクソスの侵入に合い、ふたたびエジプトは分裂状態となります。ヒクソスの人たちは馬と戦車をかけあわせた兵器(=チャリオット)をもっていました。

新しい軍事技術をまえに、繁栄をほこっていたエジプト国家は敗北をきっします。

エジプト文明の歴史④ ─ 新王国

アテン崇拝のようす

新王国時代とは、B.C.1567年〜1085年までの期間をさします。

ヒクソスの侵攻に合い、エジプト一帯は混乱状態におちいっていました。

約100年のわたりヒクソスの支配下にありましたが、エジプト出自のある一勢力が、かれらを追いはらい、独立を回復します。

このときの王朝は「第17王朝」とよばれ、シリアへも遠征をおこない、鉄製技術をもつヒッタイトと抗争をくりかえします。なかでもトトメス3世は、ヒクソスが発明した軍事兵器チャリオットをたくみに利用し、外部へと勢力をのばしていきます。

その結果、北部のシリアから南部のヌピアまでを征服し、エジプトの領土はもっとも大きくなります。

アトン一神教

新王国時代の王朝では、太陽神ラーと、都市テーベの守護神アモンが結びついた「アモン=ラー信仰」がさかんになります。

またアメンポテム4世のころに、それまでテーベにあった都をアマルナへ移します。彼はアトン(イクナートン)のみを唯一の神とみなし、一神教信仰をおしすすめます。

これが世界史上はじめての「一神教革命」だとされています。

じつはこのとき、のちに『旧約聖書』を記すヘブライ人がエジプトに捕らえられていました。かれらも一神教を採用しますが、アメンポテム4世にはじまる一神教がユダヤ教のヤハウェ信仰に影響をあたえた、とされています。

ほかにもアトン一神教は写実的なアマルナ美術も開花させていきます。信仰の面だけではなく芸術面でもアメンポテムの宗教改革は大いに影響をあたえました。

しかし彼が亡くなるとアトン教は一気に衰退し、ふたたび多神教へともどってしまいます。

アメンポテム4世の改革は〝一代限り〟でおしまいとなり、ツタンカーメン王が即位したあとは一神教が二度と採用されることはありません。

「海の民」による侵略

その後エジプトは、出自不明の海の民による侵攻に合い、勢力をそがれていきます。

これ以降は、アッシリア王朝・ペルシャ帝国・アレクサンドロス王などの征服に合い、そのときどきの権力者と手をむすびながら、王朝を存続させていくことになります。

おわりに

エジプト文明についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・「エジプトはナイルのたまもの」
・神聖文字
・ファラオ
・太陽神ラー
・死者の書
・ギザの三大ピラミッド
・ヒクソス
・アトン(イクナートン)
・アマルナ(都市)
・海の民
重要人物
・クフ王
・トトメス3世
・アメンポテム4世
・ツタンカーメン王
ポイント
・エジプト文明は、古王国時代 → 中王国時代 → 新王国時代と移っていった
・新王国のアメンホテプ4世はアマルナに遷都し、一神教革命をおこなった

この記事が、エジプト文明の歴史を理解したい人の参考になれば、うれしいです。

では、また。