どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・重要な人物は、だれ?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・アラム語/アラム文字
・シドン/ティルス
・フェニキア文字
・出エジプト
・イェルサレム
・イスラエル王国/ユダ王国
・バビロン捕囚
・ヤハウェ信仰
・メシア(救世主)
・ネプカドネザル
・キュロス2世
・アラム文字とフェニキア文字は、世界各地における文字の母体となった
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
東地中海の民族とイスラエル① ─ 海の民

B.C.1200年ごろまで、[メソポタミア〜シリア〜エジプト]にかけて、ヒッタイトとエジプト王朝が軸となって、オリエント地域の覇権をあらそっていました。
そこへ出自不明の民族海の民が乱入してきます。かれらはオリエント各地の都市を荒らしまわり、略奪のかぎりをつくします。
それによりヒッタイトは滅亡し、エジプト王朝も衰退の一途をたどります。オリエントには〝権力の空白状態〟がうまれ、不毛な時代がつづきます。
しかしじょじょに勢力をのばす集団があらわれ、小国が乱立していきます。そのなかでも、つぎの3民族が動きが目立っていました。
- アラム人
- フェニキア人
- ヘブライ人
以下、各民族の特徴をみていきます。
東地中海の民族とイスラエル② ─ アラム人

アラム人はダマスカスに拠点をきずき、内陸貿易により繁栄します。
商業にたけたアラム人は、シリアからアラビア半島一帯にかけて、さかんに交易をおこないます。
さまざまな地域に交易ネットワークを広げていったこともあり、かれらが話すアラム語は国際語として用いられることになります。
またアラム文字も東方各地の文字の母体となっていきます。
たとえば、
・ウイグル文字
・モンゴル文字
・満洲文字
は、アラム文字がルーツとされています。
東地中海の民族とイスラエル③ ─ フェニキア人

アラム人が内陸貿易で発展したいっぽうで、フェニキア人は海洋交易でさかえました。
・ティルス
とよばれる交易都市をきずき、それらを拠点に地中海一帯にかけて、商業ネットワークをつくりあげていきます。
さらに地中海沿岸に植民都市をきずき、海洋交易の覇権をにぎりました。植民都市として有名なカルタゴもこの時期にたてられています。
地中海に勢力をのばしたことあって、かれらが用いていたフェニキア文字はギリシャへと伝わりアルファベットの原型となりました。

東地中海の民族とイスラエル④ ─ ヘブライ人

ヘブライ人は、いまのパレスチナ付近で定住を開始しました。しかし、かれらの一部はエジプト遠征軍に捕らえられ、移住をよぎなくされます。
そこからしばらくして、指導者モーセがあらわれ、エジプトから抜けだすことになります。このときのエピソードが『旧約聖書』で語られる「出エジプト」です。
その後、パレスチナに戻ってきたかれらはヘブライ王国をきずきます。ダビデ王&ソロモン王のもとで繁栄をおうかし、イェルサレムに神殿を建設します。
しかしソロモン王の死後、国内では混乱がつづき、ヘブライ王国は南北へ分裂します。北にはイスラエル王国、南にはユダ王国が、それぞれきずかれます。
北のイスラエル王国は、さらにその北部で勢力をのばしていたアッシリア王国と接していました。そのため、アッシリアの侵攻に合い、ユダ王国より先に滅亡します(B.C.722年)。
いっぽう、南のユダ王国は、南方のエジプトとも良好な関係をむすび、しばらくあいだ存続します。しかしこちらも、メソポタミア南部でおこった新バビロニアの侵攻に合い、滅亡します(B.C.586年)。
そのさい、一部の民衆が、新バビロニアの王ネプカドネザルに捕まり、バビロンの地へ強制移住させられます。このできごとが『旧約聖書』でも有名なバビロン捕囚です。
移住先ではある程度の自治は認められてきたものの、ヘブライの人びとは自分たちの不遇を、宗教の視点から考えるようになりました。
そこから、
・メシア(救世主)待望
・排他的選民思想
といった考えが導かれ、ユダヤ教が誕生します。
おわりに
東地中海の民族とイスラエルについてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・アラム語/アラム文字
・シドン/ティルス
・フェニキア文字
・出エジプト
・イェルサレム
・イスラエル王国/ユダ王国
・バビロン捕囚
・ヤハウェ信仰
・メシア(救世主)
・ネプカドネザル
・キュロス2世
・アラム文字とフェニキア文字は、世界各地における文字の母体となった
この記事が、東地中海の民族とイスラエルの歴史を知りたい人の参考になれば、うれしいです。
では、また。




