東アフリカ&西アフリカのイスラーム王朝 ─ クシュ王国・アクスム王国・ガーナ王国・マリ王国・ソンガイ王国

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・アフリカのイスラーム王朝について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ダウ船
・スワヒリ語
・ジンバブエ
・サハラ縦断交易
・都市トンブクトゥ
重要人物
・マンサ=ムーサ王
ポイント
・アフリカ東部では、ムスリム商人が港を行き来することで、イスラーム化がすすんでいった
・アフリカ西部では、ムラービト朝の侵攻をきっかけに、イスラーム文化が広まっていった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

東アフリカのイスラーム王朝① ─ クシュ王国

メロエのビラミッド

まず、イスラームが普及するまえの東アフリカ方面について、みていきましょう。

アフリカの歴史は古く、すでにB.C.10世紀ごろには国家がつくられています。

さいしょの王国が、黒人によるクシュ王国です。

ナイル川上流にたてられ、エジプトを支配しました(B.C.8世紀ごろ)。

帝国になるまえのアッシリアにも侵攻します。けれど、大きな成果をあげられず、ナイル上流に後退しています。

その後、メロエに都を移して、ここからメロエ王国とよばれるようになります。王国では製鉄技術が発達し、エジプトをはじめ、さまざま地域に輸出されていきます。

東アフリカのイスラーム王朝② ─ アクスム王国

アクスムの支柱

つぎに台頭したのがアクスム王国(紀元前後〜12世紀ごろ)です。

セム語系のアクスム人によってつくられ、メロエ王国の南東に位置するエチオピアに拠点をかまえていました。

当初はメロエ王国と並存していたものの、対立が激しくなり、ついには王国を滅亡させるにいたります(4世紀ごろ)。

その後、北部からキリスト教が伝わり、じょじょに普及していきました。

東アフリカのイスラーム王朝③ ─ ダウ船

タンザニアのダウ船

東部アフリカには、10世紀ごろにイスラーム教が伝わります。

きっかけは、ムスリム商人による海洋交易でした。

10世紀以降、沿岸部の海港都市で、インド洋交易がさかんになります。具体的には、

・マリンディ
・モンサバ
・ザンジバル
・キルワ

などの都市です。

ムスリム商人はダウ船をたくみにあつかい、象牙・金・奴隷などを取り引きしました。

このときにイスラーム教も本格的に伝えられました。

また、イスラームの普及にともない、もともと語られていたハンドゥー語にアラビア語を導入したスワヒリ語が一般化します。

スワヒリ語は、アフリカ地域の商業用語として広く用いられるようになります。

いっぽう沿岸部だけでなく、内陸部においてもイスラーム化がすすんでいきます。

ザンベジ川の流域に、モノモタバ王国がたてられていました。この王国では、11世紀以降、ムスリム商人と黄金の取り引きをおこない、繁栄をおうかしていました。

沿岸部の同じく、このときの交易によりイスラーム教が伝わり、普及していくことになります。

現在ジンバブエにある石造遺跡が、モノモタバ王国の発展ぶりをぞんぶんに示しています。

西アフリカのイスラーム王朝① ─ ガーナ王国

サハラの岩塩

つづいて、西アフリカ方面をみていきましょう。

イスラーム化以前、西部アフリカではガーナ王国が権勢をふるっていました(7世紀〜13世紀半ばごろ)。

ニジェール川の流域に拠点をかまえ、黒人によってたてられました。

サハラで取れる岩塩と、ギニアで採掘される黄金を交換して、王国は大いに発展しました。

このあいだの取り引きはサハラ縦断交易とよばれています。

しかし北方から、ベルベル人がたてたムラービト朝の侵攻に合い、あえなく崩壊します。

ムラービト朝は、スンナ派のイスラーム王朝でした。この侵略と滅亡をきっかけに、西部アフリカにイスラーム教が普及していきます。

西アフリカのイスラーム王朝② ─ マリ王国

マリ王国 マンサ=ムーア帝(出典:wiki

イスラーム化がすすんでしばらくしたあと、ガーナ王国の南方に、黒人によるイスラーム王朝がたてられます。

マンディンゴ人が建国したマリ王国です。

経済については、それ以前の王朝と同じく、サハラ縦断交易によって繁栄します。

いっぽう、イスラーム王朝であることから、支配層はムスリムとなり、イスラームの教えにもとづいた統治がおこわれました。

マンサ=ムーサ王にいたっては、メッカへ巡礼の旅に出ています(14世紀前半)。

西アフリカのイスラーム王朝③ ─ ソンガイ王国

現 トンブクトゥ市街

マリ王国は、200年以上つづいた長期王朝でした。けれど、王国の西方で台頭したソンガイ王国によって倒されてしまいます。

ソンガイ王国もまた、黒人によるイスラーム王朝でした。

これまた歴代の王朝と同じく、サハラ縦断交易で繁栄しました。

そのために、拠点となった都市トンブクトゥは「黄金の都」とよばれ、経済はもちろんのこと、文化や芸術もたいへん発達しました。

16世紀には、黒人初といわれる大学まで創設しています。

おわりに

アフリカのイスラーム王朝についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ダウ船
・スワヒリ語
・ジンバブエ
・サハラ縦断交易
・都市トンブクトゥ
重要人物
・マンサ=ムーサ王
ポイント
・アフリカ東部では、ムスリム商人が港を行き来することで、イスラーム化がすすんでいった
・アフリカ西部では、ムラービト朝の侵攻をきっかけに、イスラーム文化が広まっていった

この記事が、アフリカのイスラーム王朝を知りたい人の参考になれば、うれしいです。

では、また。