インドとパキスタン ─ 国境・戦争・紛争・核実験・核戦争・分離独立・カシミール地方【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・インドとパキスタンについて知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・インド連邦/パキスタン
・セイロン独立(スリランカ)
・平和五原則
・原子爆弾実験
重要人物
・ネルー
ポイント
・第二次大戦後、インド連邦/パキスタンが分離独立し、両国はカシミール地方で国境争いをくりかえした

この記事では、つぎの本を参考にしました。

インドとパキスタン① ─ カシミール帰属問題

ムスリム連盟委員会(1937年)

第二次大戦後のインドは、いまだイギリスがおさめていました。

そんななかで、

国民議会派(ヒンドゥー教)
vs
インド=ムスリム連盟(イスラーム教)

の対立が鮮明となっていきます。

事態をみたイギリスは、両グループが団結し英国政府に反旗をひるがえさいよう、両者の分断をはかります。

インド独立法を成立させると、

・インド連邦(ヒンドゥー教)
・パキスタン(イスラーム教)

に分離したうえで、それぞれ独立させます。

これにより反イギリスの大勢は回避できましたが、[インド vs パキスタン]の対立は、より激しさを増していきます。

その結果、カシミール地方の帰属問題をきっかけに両国のあいたで戦争が勃発します(第一次インド=パキスタン戦争)。

当時カシミール地方の住民はイスラーム信者が多数をしめていました。けれどその土地の藩主はヒンドゥー教徒だったので、インドへの帰属をもとめます。

これが住民たちの反感を買い、争いの火種となりました(なお、現在もカシミール地方は[インド vs パキスタン]が激しく対立する場所となっています)。

戦争の結果、インド&パキスタンの双方で多数の難民を発生させてしまいます。

さらにそれまでイギリスからのインド独立を指導してきたガンディーも、過激なヒンドゥー教徒により暗殺されてしまいます。

また戦争によりセイロンが独立を果たし、のちにスリランカへと名まえを変えます。

インドとパキスタン② ─ 原子爆弾実験

インド=パキスタン戦争による難民

インド=パキスタン戦争が終結した翌年、パキスタンを分離独立させたまま、インド連邦共和国が成立します。首相には、独立運動の指導者であるネルーが就任しました。

インド憲法を制定したうえで、民主制を規定し、共和政を採用しました(ただし、インドに深く根づくカースト制は否定するものの、その伝統はいまでも残っています)。

外交にかんしてはネルー平和五原則を発表し、アメリカとソ連による東西対立にまきこまれないよう中立の立場をとります。

また領土問題では、国境をめぐり中国と争うものの(中印国境紛争)、ポルトガルからゴアを接収し、約400年ぶりに領土を回復します。

いっぽうパキスタンとの対立はつづき、

・第二次インド=パキスタン戦争(1965年)
・第三次インド=パキスタン戦争(1971年)

というように計2回の戦争をおこしています。

その過程で、旧東パキスタンが独立し、バングラデシュを成立させています。

いまでも争いはつづき、インドが原子爆弾の実験に成功すると、対抗してパキスタンを核爆弾を保有します。

現在、両国のあいだで核戦争が勃発しないか、国連をはじめ世界各国は警戒のまなざしをおくっています。

おわりに

インドとパキスタンをみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・インド連邦/パキスタン
・セイロン独立(スリランカ)
・平和五原則
・原子爆弾実験
重要人物
・ネルー
ポイント
・第二次大戦後、インド連邦/パキスタンが分離独立し、両国はカシミール地方で国境争いをくりかえした

この記事が、インドとパキスタン理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。