人生100年時代 ─ 心配するだけムダです。

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、社会学をベースに、キャリア論や社会保障について研究していました。

いまでも、経済や仕事をテーマにした本を、月10冊くらいのペースで読んでいます。

経済ニュースもチェックしているんですが、さいきん「人生100年時代」にかんする話題がよくあがっていますね。

キッカケは、L.グラットンさんたちの本が出てからでしょうか。

ベストセラーになり、すこしまえにはコミック化もされました(笑)

この本を読んでなくても、寿命が100歳まで伸びるのは明らか。これまでの生き方の転換を求められています。

文字どおり、「ライフ・シフト」です。

この流れをうけて、社会のしくみにギモンをもったり、みずからの人生設計に悩む人も多いと思います。

とはいえ、個人的には「将来設計」を考えても「ムダかなぁ」と思っています。

理由はシンプルで、先のことなんて、わからないからです。

きょうはこのテーマにふれていきます。

こまかく将来設計をしている人、先行きが不安で悩んでいる人のヒントになればうれしいです。

「人生100年時代」は、考えてもムダ

100年後を予測するなんて意味がありません。

くりかえせば、100年後を予測するなんて、できないからです。

じじつ、いまと100年前をくらべてみればわかります。

当時の視点から、いまの変化を予想できた人はいるんでしょうか。

とりあえず、つぎの3つに絞ってみます。

  1. ① 平均寿命
  2. ② 年金制度
  3. ③ 医療技術

どれも「人生100年時代」を考えるうえでカギとなる要素です。

100年前をふりかえるまえに、なぜこらら3つが重要とされるのか考えてみます。

① 平均寿命

寿命については、100年ばかりか120年とも言われていますが、とにかくいまよりも長くなるのは確実です。

なので、人生 or 制度設計の面で問題になってるわけです。

「これまでの常識が通用しませんよ」と。

② 年金制度

寿命が伸びれば、とうぜんカラダが動かなくなったときの保障のあり方が問題になります。

とくにお金にカンケーする年金に焦点があたり、関心をあつめるわけです。

「若いのに年金のことなんか心配するな」なんて非難する人がいます。

しかし、彼 / 彼女たちは、年金制度を問題しているというよりも、「100歳まで生きるとして、そのときの社会保障はどうなっているか」について関心があるわけです。

「年金がもらえる / もらえない」といった小さな問題ではなく、もうすこし視野の広い視点にたって、年金制度をながめています。

③ 医療技術

情報 or 医療技術の発達で、これまで人類が経験したことないくらい生きられるとされています。

希望と不安、どちらの感情も抱かせますが、AI や ゲノム編集の進化が、生活や寿命に影響をあたえるため、つねに関心をよんでいます。

100年前とくらべてみる

では、むかしといまをくらべてみましょう。

「人生100年時代」では、うえの3つはキーとなる要素ですが、100年前はどうだったのか。

調べてみると、こんなかんじです。

いま100年前
平均寿命男 : 81.25, 女: 87.32男 : 42.06, 女: 43.26
年金受給者全国民一部の軍人 or 会社員
医療技術外科手術、遺伝子治療薬物治療


パッとみるだけでも、おどろきませんか。

お世辞にも100年前は恵まれた環境ではありません。そんな時代に、いまの変化をどれくらい人が予想できたのか ─ 。

カンタンですが、ひとつひとつみていきます。

① 平均寿命

1920年代には、近代化が進んだとはいえ、男女ともに50歳を超えることはありませんでした。

50歳を超えるのは、戦後復興が始まった1947年。

そこから食料事情が安定化し、医療制度が行きわたるについて、平均寿命が一気に伸びていきます。

戦争などの影響で、若くして命を落とすケースもありますが、キホン100年前は「人生わずか50年」です。

国民全員が、100歳まで生きるなんて、夢物語ですね。

② 年金受給者

日本で最初の年金は、1875年にできた軍人さん向けのものです。

ようやく1923年に、公務員さん向けの年金がつくられます(「恩給法」)。

いまのように、国民全員が年金をもらうしくみは、1959年に法律で制定されました。

というわけで、100年前には年金はないに等しい ─ 。

当時の人たちが、「2000万円、足りない」と不安がっている人をみたら、なんて思うでしょうね……。

③ 医療技術

一概にいえませんが、20世紀の医療は、薬物が中心でした。

医療技術のレベルが上がり、いまのような外科手術がおこなわれるようになったのは、戦後からです。

薬物治療といっても、いまのような高水準のものではありません。

1900年以降は、結核が猛威をふるっていましたが、さいしょのワクチンが開発されたのは、1927年です。

それまでは不治の病でした。

100年前をみてわかるのは……。

この3つの項目からみても、100年後を予測できないとわかりますよね。

なので、わたしは「人生100年時代」を考えるのはムダだと思うんです。

マーケティングの一環で、「人生100年時代」を〝フック〟にして、自社製品を広告したりするのはいいと思います。

たとえば、生命保険など。

とはいえ、個人レベルでみたときに「人生設計はどうしようか」なんて考えるのは、時間のムダではないかなぁと。

「人生100年時代」への振るまい方

となれば、「人生100年時代」が叫ばれている世の中で、どんなふうに振るまえばいいんでしょうか。

わたしは、いまある制度や技術をできるかぎり使って、最大限の成果をあげるのがベターじゃないかなぁと思います。

そもそも予測した状況がおとずれたとして、そのときになってみたら、また同じように未来に希望いだく or ムダに不安がったりするはず。

生産性のないコトに時間を費やすより、目のまえの現実を楽しんだほうが充実しますよ。

まとめ

「人生100年時代」についてのべてきました。

希望を抱くしても、不安を感じるにしても、どうせ当たりやしないので、目のまえのコトに取り組みましょう。

現在の積み重ねが、未来をつくっていくわけですからね。

万事塞翁が馬──。

なにが起きても、コツコツやっていくだけです。

ではまたー。