ロシアの絶対王政 ─ ロマノフ朝・ペテルブルグ・イヴァン4世(雷帝)・ピュートル1世(大帝)・エカチェリーナ

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ロシアの絶対王政について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ロマノフ朝
・ペテルブルク
・ネルチンスク条約
・北方戦争
重要人物
・イヴァン3世
・イヴァン4世(雷帝)
・ピュートル1世(大帝)
・カール12世
ポイント
・ロマノフ朝のピュートル1世は、北方戦争でスウェーデンを相手に勝利し、バルト海の覇権をにぎった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

ロシアの絶対王政は、モスクワ大公国で基盤がつくられ、ロマノフ朝で華ひらきます。

以下、その経緯をみていきます。

ロシアの絶対王政① ─ モスクワ大公国

イヴァン4世(雷帝)

モスクワ大公国は、モンゴル人がおさめていたキプチャク=ハン国から独立してつくられた国です。

イヴァン3世のときに、彼が最後のビザンツ皇帝の姪と結婚し「ツァーリ(皇帝)」の称号を名のるようになります。

つづくイヴァン4世は、おおやけにツァーリの称号をつかい、諸外国にたいして、

ロシアは[ローマ帝国 → ビザンツ帝国]を継承する第三の帝国である

と宣言します。

彼は「雷帝」とあだ名されるだけあって、積極的にロシアの国づくりをおこないました。

まずは農奴制を強化して、国富を高めていきます。

つぎにシベリアを占領したコサック首長のイェルマークに、獲得した領地を献上させ、ロシアの領地を広げます。

ちなみにコサックとは、ロシア東南の辺境地に移住した人たちをさします。農奴制の圧迫を逃れながら、独立性のつよい戦士グループをつくっていました。

ロシアの絶対王政② ─ ロマノフ朝

ピュートル1世

ロシア大公国の公家が断絶し、代わってミハイル=ロマノフが、全国会議の承認をへて、ツァーリに即位します。

ここから約300年にわたるロマノフ朝がスタートします。

ミハイルはそれまでと同じく農奴制を強化し、西欧とのつながりがうすいために北方内陸で独自の世界をつくりあげていきます。

そんななか、コサック主導のステンカ=ラージンの乱がおこります。約1年にわたり戦闘はつづけられ、ロマノフ朝はなんとか農民反乱を鎮圧して、コサック首長を処刑します。

その後もロシア各地で反乱はおこり、ロシアにとって農奴制をどう管理するかが、統治運営のカギとなっていきます。

皇帝ピュートル1世

ロマノフ朝が創始後、約70年経ってあらわれたのがピュートル1世です。彼こそがロマノフ朝の礎(いしずえ)をきずいた立役者でした。

内政にかんしては、西ヨーロッパに見習って近代化をはかり、

・官僚制の実施
・重商主義にもとづく経済政策
・工業を主体とした産業の育成
・常備軍の設置&編制
・新都ペテルブルクの建設

などをつぎつぎおこない、富国強兵をおしすすめます。

また、知的好奇心にあふれる彼は、皇帝みずからオランダやイギリスを視察し、先進的な技術や制度を、積極的にロシア国内に導入していきます。

いっぽう外交については、ネルチンスク条約をむすび、中国の清朝との国境を定めます(ピュートル亡きあとは、キャフタ条約をむすび、外モンゴル/シベリアとの国境を確認します)。

また、南方のオスマン帝国とはたびたび争い、いったんはアゾフ海を奪うことに成功しています。

さらに、西方のスウェーデンとも戦争をおこし、デンマーク&ポーランドと協力したうえで、スウェーデン君主カール12世を打ちまかしています。

約20年にわたる戦いは「北方戦争」とよばれ、勝利のあとニスタット条約をむすび、以後ロシアはバルト海の覇権をにぎることになります。

東方にむけては、探検家ベーリングを派遣して、海峡の存在を確認させます(この海峡こそが、いまのベーリング海峡です)。

さらにピュートル1世は探索を継続させ、カムチャッカにまで足をのばしています。

女帝エカチェリーナ

ピュートル1世の退位から約40年後、女帝エカチェリーナが即位します。彼女もまた、ピュートル1世以上に、ロシアの発展に大きく貢献しました。

いっぱんに「啓蒙専制君主」とよばれたエカチェリーナは、内政にかんしては、市民の力を底上げする近代化政策を実施します。

とはいえ、フリードリヒ2世(ドイツ)やヨーゼフ2世(オーストリア)と同じく、啓蒙専制君主による〝上からの改革〟は、なかなかうまくいきません。

農奴制を解体しようとしたことで、かえって「プルチャカの農民反乱」のような大規模な民衆反乱をひきおこしてしまいます。

そのため民主化改革をあきらめた彼女は、なかば反動に転じて、ロシア伝統の農奴制を強化します。くわえて、土地地主である貴族の特権をみとめ、かれらにロシア各地の統治を任せることにします。

たしかにイギリスやフランスのように市民意識は高まりせんでしたが、皇帝や地元貴族が工業化をおしすすめることで、経済分野にかぎりロシアの近代化は達成されていきます。

いっぽう外交については、つぎのような同盟関係をむすび、征服活動をおこないました。

・ポーランド分割への参加
・武装中立同盟の提案
・クリム=ハン国の併合
・オホーツク海への海軍進出

なお、オホーツク海への軍事派遣をきっかけに、軍事司令官ラクスマンが日本の根室を訪れています。

おわりに

ロシアの絶対王政についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ロマノフ朝
・ペテルブルク
・ネルチンスク条約
・北方戦争
重要人物
・イヴァン3世
・イヴァン4世(雷帝)
・ピュートル1世(大帝)
・カール12世
ポイント
・ロマノフ朝のピュートル1世は、北方戦争でスウェーデンを相手に勝利し、バルト海の覇権をにぎった

この記事が、ロシアの絶対王政を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。