どうも、りきぞうです。
大学のころから、哲学に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。
パスカルの哲学にも、ふれてきました。
同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。
とはいえ、
・パスカル思想のポイントは?
・かれの残した名言は?
─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。
そこで、この記事では、パスカルの考えをみていきたいと思います。
先に結論をいうと、つぎのとおり。
りきぞう
・「考える葦」「繊細の精神」「気晴らし」をキーワードに、独自の思想を展開した
・人生について「われわれのみじめなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである。しかしこれこそ、われわれのみじめさの最大のものである」などの名言を残している
以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。
…
ちなみに、参考にしたパスカルの本は、こちら。
引用ページも、本書によります。
目次
著者
パスカルは、フランス人で、1623年〜1662年に生きた人です。
数学者でもあります。
主著『パンセ』は、死後に出版されました。
なかみは、かれが生前、思いつき、書きとめたメモ書きを、遺族などがまとめものです。
体系的な論文というより、断片集・箴言集にちかいです。
本書の内容から、パスカルは「モラリスト」の思想家と言われます。
「モラリスト」とは、いわゆる〝道徳家〟のことではありません。
・世の中の慣習
・人間の生き方
など、みじかなテーマについて、わかりやすい言葉で考察していく人びとです。
1500年代〜1700年代に活躍し、モンテーニュ、ラ・ロシュフコー、ラ・ブリュイエールなどが有名です。
たとえば、同時代のパスカルが「幾何学の精神」だとすれば、パスカルは「繊細の精神」を打ち立てます。
ものごとは、数学のように「論理」のみから判断できない。
矛盾を矛盾をしたまま、直感をつかって判断するのも、理性の役割だとします。
行き過ぎた合理性に「待った」をかけたのが、パスカルの思想といえます。
ポイント ─ 「考える葦」
主著『パンセ』にしぼって、パスカルの思想をみていきます。
ポイントは、「考える葦」です。
カンケツにまとめると、つぎのとおり。
図解説明
ひとは、ひとくきの葦(=水辺に生える草)にすぎず、自然のなかでは、か弱い存在。
しかし、考える葦である。
自然界では貧弱だが、思考する点において価値がある。
いっぽう、思考できるからといって、何よりも優れているわけではない。
ひとの知識・知性・理性には限りがあり、限界を知りうるからこそ、尊敬にあたいする。

ひとこと
「考える葦〜」のたとえに、パスカルの思考態度が、つまっています。
このたとえをみると、人間は思考できるから、ほかの生物よりも優れている、と思ってしまう。
逆です。
たしかに思考は、人間固有の能力ですが、だからといって知識・知性には限りがあります。
理性の限界を自覚できるからこそ、ひとは尊敬にあたいする、というわけです。
このような態度が、いかにも「モラリスト」らしいなぁと思います。
名言
つぎに、パスカルの名言をあげていきます。
気晴らし
〔……〕人間の不幸はすべてただ1つのこと、すなわち、部屋の中に静かにとどまっていられないことに由来する〔……〕ことである。生きるために十分な財産を持つ人なら、もし彼が自分の家に喜んでとどまっていられさえすれば、なにも海や、要塞の包囲戦に出かけて行きはしないだろう。(p.100)
─ 『パンセ Ⅰ』2章 138
「考える葦」のたとえからもわかるとおり、パスカルは人間を〝ちっぽけな存在〟だとみなしました。
それというのも、[中世末期〜近世]にかけて、神の権威が、じょじょに低下したから。
・死後のゆくえ
など、それまで〝だいじな問いにたいする答え〟を示す存在がいなくなり、人間は行き場をうしなう。
もともとの性質だった〝無意味な人生〟〝退屈な人生〟があらわになり、結果、気晴らしに、ひた走る。
「考える葦」のたとえだけをみれば、パスカルは人生を肯定しているようにみえます。
けれど、ほかの断章をみると、〝ニヒリズムぎりぎりの地点〟に立っているとわかります。
このあたりは読む人により評価が変わると思います。
短い文章なので、ぜひ自分なりにチェックしてみてください。
人間は、屋根屋だろうが何だろうが、あらゆる職業に向いている。向かないのは部屋の中にじっとしていることだけ。(p.100)
─ 『パンセ Ⅰ』2章 138
人間というものは、どんなに悲しみに満ちていても、もし人がかれを何か気を紛らわすことへの引き込みに成功してくれさえすれば、そのあいだだけは幸福になれるものなのである。(p.107)
─ 『パンセ Ⅰ』2章 138
われわれのみじめなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである。しかしこれこそ、われわれのみじめさの最大のものである。(p.126)
─ 『パンセ Ⅰ』2章 165-2
人間への洞察
「考える葦」「繊細の精神」「気晴らし」のように、シンボリックな言葉があるいっぽう、個別の洞察も魅力です。
たとえば、
人間は、天使でも、獣でもない。そして、不幸なことには、天使のまねをしようと思うと、獣になってしまう。(p.254)
─ 『パンセ Ⅰ』6章 358
など。
これなどは、〝善人の暴走〟を、うまく表現しています。
「宗教による殺戮」「社会主義運動による虐殺」など、歴史をひもとけば、いくらでも同じような事例にぶつかります。
ほかにも、
ひとはたえず期待に裏切られている。ところがおかしな謙虚から、それは自分のあやまちのせいであって、〔……〕自分が誇りとしている処世術のせいではないと思っているのだ。(p.262)
─ 『パンセ Ⅰ』6章 374
など。
これなんかは「ドキッと」しますよね。
わたしたちは失敗をすると、いっけん〝謙虚〟になって、「自分が悪い」と思います。
けれど悪いのは、あなた自身ではなく、あなたが処世術として称してる「考え」のほう。
その考えにしがみついていることに気づかず、いつまでたっても手放なさない。
そのような態度は、〝謙虚〟ではなく〝おごり〟ではないか ─ パスカルは、そう問いかけます。
このあたりは、ほんとにするどい指摘ですよね。
「考える葦」にたちかえり、何度も、知識・知性・理性の限界を自覚させます。
…
こんなふうに、さまざまな知恵が記されているので、ぜひ本文にあたってみてください。
断章形式で書かれているので、さらっと目をとおせるので。
まとめ
まとめると、
りきぞう
・「考える葦」「繊細の精神」「気晴らし」をキーワードに、独自の思想を展開した
・人生について「われわれのみじめなことを慰めてくれるただ一つのものは、気を紛らわすことである。しかしこれこそ、われわれのみじめさの最大のものである」などの名言を残している
ぜひ、パスカルの哲学を知るうえで、参考にしてみてください。
ではまた〜。


