百年戦争&薔薇戦争 ─ 原因・勝者・ジャンヌダルク【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・百年戦争とバラ戦争について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・フランドル地方
・ヴァロワ朝
・ランカスター家
・ヨーク家
・テューダー朝
・星室庁裁判所
重要人物
・エドワード3世
・エドワード黒太子
・ジャンヌ=ダルク
・シャルル7世
・ヘンリ7世
ポイント
・フランスは百年戦争で、イギリスはバラ戦争をつうじて、王国への権力が集中するようになった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

中世も後半にさしかかり、イギリスもフランスも王朝に権力が集中してきます。

そのなかでおきたのが、百年戦争とバラ戦争でした。

どちらも王権強化に大きな影響をあたえました。

以下、目次に沿って、両戦争の経緯をたどっていきます。

百年戦争の勃発

クレシーの戦い(出典:wiki

百年戦争は、イギリスとフランスのあいだにおきた争いです。

といっても、両国が白黒に分かれて、火花をちらした、と単純にいえないのが、百年戦争のむずかしいところです。

以下、[背景 → 展開 → 影響]の流れでみていきます。

背景

百年戦争勃発の要因は、つぎの3つです。

・フランス王家カペー朝の断絶
・フランドル地方の争奪
・ギエンヌ地方の争奪

そもそものきっかけは、フランス王家カペー朝の断絶でした。

フランスではカペー朝が途絶えたあとに、ヴァロワ朝フィリップ6世が即位します。

これに「待った」をかけたのが、イギリスをおさめていたエドワード3世でした。

彼もまたカペー朝の家系で、自分もフランス王家をひきつぐ資格がある、と主張します。

この王位継承権をめぐり、イギリスとフランスのあいだで対立がおき、これが百年戦争へとつながっていきます。

とはいえ、エドワード3世は、フランス王権獲得だけが争いの目的ではありませんでした。

本当のねらいは、フランス北東部にあるフランドル地方を奪うことでした。この地は羊毛産業がさかんで、多くの製品をイギリスに輸出していました。

フランドル地方に手をのばすフランスに対抗するため、エドワード3世は王位継承を口実に、戦争をしかけたわけです。

そのほか、ワインの産地で有名なギエンヌ地方の領地争いも、両国対立のひきがねとなりました。

つまり3点をまとめると、

利権獲得を目的とした王位継承争い

というのが、百年戦争の実態です。

展開

つづいて、百年戦争の展開をみていきます。

この争いは、前半/後半に分けられます。

前半では、

・クレシーの戦い
・ポワティエの戦い

の2つが大規模な争いとなりました。

どちらもエドワード黒太子がひきいる「長弓隊(ちょうきゅうたい)」が活躍し、イギリスの圧勝におわります。

しかしイギリス勝利でおさまらず、クレシーの戦いのあとに、黒死病(ペスト)が発生します。

そのために、両国の戦いは一時中断され、決着はつぎの世紀にもちこされます。

また中断しているあいだでも、戦費にともなう課税が民衆にのしかかり、イギリス&フランスともに国内で反乱がおきています。

国内のゴタゴタもあって、両国の争いは、いったん中止となりました。

百年戦争の後半に活躍したのが、有名なジャンヌ=ダルクでした。

彼女はイギリス兵にかこまれたオルレアンを解き、フランス軍反撃のきっかけをあたえます。

オルレアン包囲の解除により、生き延びた皇太子がシャルル7世として即位し、カレーを除く領土をイギリスから奪還します。

ジャンヌ=ダルクの奮闘もあって、フランスはもとの領地をとりもどし、後半戦は勝利におわります。

影響

百年戦争はフランス勝利で終結するものの、国内の諸侯や騎士の階層は、没落していくことになります。

戦費が重なったことにくわえ、百年戦争の舞台がフランス本国でおこなわれたからです。

しかし皮肉なことに、地方で権勢をふるっていた諸侯や騎士が衰退することで、代わりにフランス王権が強化され、台頭します。

また百年戦争で活躍したシャルル7世は、国内の大商人と手を組んで、財政の立て直しをはかり、さらには常備軍までを設置します。

このように百年戦争は、フランス王権の強化につながりました。

薔薇戦争の勃発

ランカスター家の紋章(出典:wiki

いっぽう、百年戦争敗北の責任をめぐり、イギリス国内でおきたのがバラ戦争でした。

じつはイギリスでは、百年戦争の間に、それまでのプランタジネット朝が断絶しました。

それにともない、そこから分かれた

・ランカスター家
・ヨーク家

の両家が台頭し、王位継承をめぐって争うことになりました。

ランカスター家は赤いバラを、ヨーク家は白いバラを家紋としていたことから、両家の争いはバラ戦争とよばれるようになりました。

結果はランカスター家の勝利におわり、ヘンリ7世が即位して、イギリスではテューダー朝がスタートします。

またイギリス国内でも、フランスと同じく、たびかさなる戦争から貴族が没落し、代わって王権が強化されます。

勢力をのばす王朝に反抗する貴族をつぎつぎに処罰し、よりいっそう国内の中央集権化をはかります。

なお、ヘンリ7世のつぎに即位したヘンリ8世は星室庁裁判所を設立しています。

これは王権直属の裁判所であり、その名はウェストミスター宮殿に設けられた「星の間」に由来します。

ただし裁判所自体は、王権に有利な判決ばかりを出すことから人びとの反発をうけて、1641年の長期議会により廃止されています。

ともあれヘンリ8世のときに、イギリスは王権の強化がよりいっそうすすみ、彼はのちの絶対王政の基盤をつくることになりました。

このようにバラ戦争は、イギリスにおいて、国王へ権力が集中するきっかけとなりました。

おわりに

フランス王権の拡大についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・カペー朝
・アルビジョワ派
・三部会
ポイント
・フランスではカペー朝以来、王権が強化されるいっぽう、フィリップ4世のころには民衆議会にあたる三部会を招集している

この記事が、フランス王権を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。