ノルマン人の移動 ─ 征服・特徴・建てた国・デーン人との違い

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・ノルマン人の大移動について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・ヴァイキング
・ノヴゴロド国
・キエフ公国
・ノルマンディー公国
・両シチリア王国
・ノルマン=コンクエスト
重要人物
・領主ロロ
・アルフレッド大王
・クヌート
・ノルマンディー公ウィリアム
ポイント
・ノルマン人の領主ロロは、西フランク王によってノルマンディー公に封ぜられた
・ノルマンディー公ウィリアムの征服により、イングランドには強い王権のノルマン朝がつくられた

この記事では、つぎの本を参考にしました。

以下、目次に沿って、みていきます。

ノルマン人の特徴

ヴァイキングの想像図

ノルマン人は、スカンディナヴィア半島やユトランド半島に住んでいました。

もともとかれらはゲルマン人で、北方で生活していたところから「ノルマン人(北の人)」とよばれるようになりました。

また「ヴァイキング(入江の人)」ともよばれていました。

ノルマン人は、

・デーン人
・ノール人
・スウェード人

に分かれ、3つの部族から成り立っていまました。

かれらは、狩猟・漁業・海上交易で暮らしていました。ときには海賊となって、まわりの国々から恐れられていました。

ノルマン人の大移動

ヴァイキング船(出典:wiki

その後、ノルマン人は、ヴァイキング船をつかい、海と河川をつうじて、ヨーロッパ各地に進出します(8世紀後半ごろ)。

侵入していった地域は、つぎのとおりです。

・ロシア
・北欧
・北米
・南イタリア
・北フランス

それぞれのようすを、みていきます。

ロシア

ロシアには、ノルマン人の一部族スウェード人が、ドニエプル川&ヴァルガ川をつたって進出します。

そのなかでルーシー族(ルス族)のリューリクが、ノヴゴロド国をたてます。

かれらはその地で東スラブ人を支配します。

また、この「ルーシー」が、いまの「ロシア」の語源となっています。

リューリクが亡くなったあとは、ルーシー族の一派が南下して、キエフ公国をたてます。

これ以降、ドニエプル川周辺は、スラブ化がすすんでいきます。

北欧

ノルマン人は北欧にも進出します。さきにあげた分岐した部族が、それぞれの国をたてていきます。

・デーン人 → デンマーク王国
・ノール人 → ノルウェー王国
・スウェード人 → スウェーデン王国

みてわかるとおり、いまの北欧三国は、このときに形成されました。

北米

そのなかでもノール人は、アイスランド → グリーンランドへと進出しました。

さらに驚きなのは、A.D.1000年頃に、かれらの一部が、北米にも到達した可能性がある点です。

証拠はありませんが、事実だとしたら、コロンブスのアメリカ大陸発見をはじめ、世界史の記述はだいぶ変わるはずです。

南イタリア&シチリア

バルト海からジブラルタル海峡を通り抜けて、ノルマン人は、南イタリア&シチリアにも進出します。

ノルマンディー公国の騎士が兵をすすめ、南イタリアとシチリアを征服します。

ルッジェーロ2世のときには、両シチリア王国(ノルマン=シチリア王国)まで建国しています。

北フランス

北フランス地域は、バルト海に面していることもあり、古くからデーン人の侵入が、たひたびくりかえされていました。

ついには征服をはたした領主ロロは、西フランク国王からノルマンディー公に封じられて、セーヌ川の下流域に、ノルマンディー公国をたてます(911年)。

このノルマンディー公国が、ドーバー海峡のこえたイングランドの地に、王朝をきずくことになります。

イングランドの形成

ノルマンディー公ウィリアム(出典:wiki

イングランドの地には、もともとケルト人が住んでいました(B.C.6世紀)。

その後、カエサルによる侵入、ローマの属州化、ハドリアヌス帝による長城建設など、帝国側から、さまざまな圧力をうけることになります。

ゲルマン人の移動後

イングランドの地も、ゲルマン人移動の影響を大きくうけました。

まず、ゲルマン系のアングロ=サクソン人やシェード人が進出し、七王国をたてます(5世紀ごろ)。

つづいて、ウェセックス王エグバートが、地域一帯の混乱をおさめ、イングランド王国を樹立します。

名まえからわかるとおり、これが「イングランド」の大もとになっています。

しかしこののち、ノルマン系のデーン人による侵入がたびたびおこり、秩序が乱れていきます。

そんなデーン人を打ち倒したのが、アルフレッド大王でした。彼はイングランドでは名君として知られ、武力だけなく、芸術や学芸も積極的に保護しました。

しかしその約100年後、ふたたびノルマン系の一派が進出していきます。

とくに、デンマーク王クヌートの侵攻は激しく、イングランドの抵抗もむなしく、征服をゆるしてしまいます。

クヌートは、イングランドだけでなく、ノルウェーも支配して、エリア一帯に北海帝国(デーン王朝)をきずきました。

ただしクヌートが亡くなると、帝国は崩壊し、その間にふたたび、アングロ=サクソン王家が復活しています。

ノルマン朝の成立

とはいえ、このアングロ=サクソン王家の統治も一時的で、今度は、ドーバー海峡を越えた先にあるノルマンディー公国が、進出してきます。

ときの君主であるノルマンディー公ウィリアムは、イングランド上陸後、ヘースティングの戦いで、アングロ=サクソン王家に勝利します。

彼はウィリアム1世として即位し、ノルマン朝を成立させます。

王朝をたてたのち、アングロ=サクソン系貴族の土地を没収しました。そのうえで、イングランド一帯に封建制度をしき、みずからの王権を強化しました。

なお、学術上、ノルマンディー公ウィリアムによるこれら一連の征服活動を「ノルマン=コンクエスト」とよんでいます。

おわりに

ノルマン人の大移動についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・ヴァイキング
・ノヴゴロド国
・キエフ公国
・ノルマンディー公国
・両シチリア王国
・ノルマン=コンクエスト
重要人物
・領主ロロ
・アルフレッド大王
・クヌート
・ノルマンディー公ウィリアム
ポイント
・ノルマン人の領主ロロは、西フランク王によってノルマンディー公に封ぜられた
・ノルマンディー公ウィリアムの征服により、イングランドには強い王権のノルマン朝がつくられた

この記事が、ノルマン人を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。