【図解】ヘーゲルの思想&名言 ─ 「弁証法」「絶対精神」

どうも、りきぞうです。

大学のころから、哲学に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。

ヘーゲルの哲学にも、ふれてきました。

同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。

とはいえ、

ヘーゲルはどんな人?
ヘーゲル思想のポイントは?
かれの残した名言は?

─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。

そこで、この記事では、ヘーゲルの考えをみていきたいと思います。

先に結論をいうと、つぎのとおり。

りきぞう

ヘーゲルは、近代ヨーロッパの哲学者
「弁証法」「絶対精神」をキーワードに、独自の哲学を展開した
絶対精神について「いかにしてそれぞれの王国の組織を完遂したか、という消息にほかならない」などの名言を残している

以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。

ちなみに、参考にしたヘーゲルの本は、こちら。

引用ページも、本書によります。

著者

ヘーゲルは、ドイツ人で、1770年〜1831年に生きた人です。

主著は『精神現象学』。

ヘーゲル中期の作品です。

テーマは、認識と精神。

弁証法という思考形式をつかいながら、意識の発展・進歩をたどります。

絶対精神をめざし、いかにして「物そのもの」を認識できるかについて記述していきます。

ポイント ─ 「弁証法」「絶対精神」

主著『精神現象学』にしぼって、ヘーゲルの思想をみていきます。

ポイントは、「弁証法」「絶対精神」です。

カンケツにまとめると、つぎのとおり。

図解説明

精神は、外部と主観的/客観的に作用しながら、発展していく。

成長し尽くした結果、精神は、外側に対象物がない「絶対精神」にいたる。

人間の歴史も、単なる意識からはじまり、「絶対精神」にむかう過程、といえる。

そのプロセスを、弁証法という手法で記述していく。

弁証法とは、矛盾した事柄を、統合することによって、より高い次元へ議論をすすめる思考方法をさす。

1つの主張(=テーゼ)があれば、それに反対する主張(=アンチテーゼ)があらわれる。

反対意見を否定せず、良いトコを取り入れ、統合すれば、高い次元の知を獲得できる。

この過程をくりかえすことで、精神は、絶対的な真理(=絶対知)を手にできる。

絶対知を獲得した精神が、「絶対精神」である。

ひとこと

抽象度は高く、一回読んだだけではチンプンカンプンかもです。

とはいえ、「意識」を主人公とした「歴史物語」とみれば、なんとか読みすすめることができます。

じしつ本書は、成長物語である、ゲーテ 『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』を哲学的にとらえなおした、といわれています。

さいしょは苦痛かもですが、〝ノってくると〟けっこうおもしろい作品です。

名言

つぎに、ヘーゲルの名言をあげていきます。

弁証法の動き

〔……〕弁証法的な運動を、意識は自分自身にそくして、みずからの知にかんしても、その対象をめぐっても遂行する。この運動が、そこから意識にとって新たな真の対象が出現するかぎり、ほんらい経験とよばれるものにほかならない。(上巻 p.150)

─ 『精神現象学』序論

意識&精神は、[主張 → 反対 → 統合]のプロセスをくりかえし、発展していきます。

そのさい、精神にとって「反対となるもの」は、外側にあるとは、かぎりません

「みずからの知」にかんしても、〝闘いを挑む〟ことになります。

たとえば、新しい意見にふれ、もっていた考え方を変えるとき。

『精神現象学』では、自身における〝思い込みの解消〟〝知識の刷新〟も、弁証法の動きとして、とらえます。

そして、修正・更新のプロセスを、ヘーゲルは「経験」とよぶわけです。

この視点は、ユニークで、おもしろいですよね。

弁証法というのは、かならずしも外部の意見・考えを変える運動ではありません。

みずからの知識・意見を変える動きでもあり、一連のプロセスが「経験」なわけです。

「成長とは何か」を考えるうえで、参考になるはなしでは、ないでしょうか。

絶対知とは?

精神のこの最終的な形態 ─ その精神とはつまり、みずからの完全な真なる内容に、同時に「自己」の形式を与え、そのことで自分の概念を実現するとともに、自身はその実現のただなかで、みずからの概念のうちに止まっているような精神である ─ が絶対知な知である。(下巻 p.571)

─ 『精神現象学』Ⅷ 絶対知

意識・精神は、弁証法の流れにそって、発展していきます。

そのさい、目標となるのが「絶対知」です。

では「絶対知」とは、なにを意味し、どういう状態をさすのか。

それが、ここにあげた引用です。

はい、読んでも、チンプンカンプンです(笑)

ただひとつわかるのは、絶対知の状態では、弁証法の動きが、いっさい〝止まって〟います。

そうです、じつは『精神現象学』のみどころは、結論ではなく、過程にあるのです。

答えが重要なのではなく、そこにいたる〝道のり〟が大事なわけです。

なので、最終部をみただけでも、『精神現象学』のおもしろさはわからず、そこだけを目をとおしても、呪文をとなえているようにしかみえないわけです。

ここがヘーゲル思想の〝やっかいなトコ〟であり、かつ、魅力だったりします。

さいしょはしんどいですが、ある程度『精神現象学』の世界にふれれば、じょじょに慣れ、意識・精神の動きの〝とりこ〟になっていく。

そしてさいごに、精神が〝たどってきた道〟をふりかえることで、達成感・満足感を得られる

ラストではなく、プロセスに注目すると、ヘーゲル哲学が、とっつきやすくなるはずです。

〔……〕目標は絶対的な知であり、いいかえれば、みずからを精神として知る精神である。このような精神が、その〔目標にむかう〕途上で、さまざまな精神の想い出を手にしている。くだんの精神が内化しているものとは〔……〕精神のさまざまが、〔……〕どのようなものであり、いかにしてそれぞれの王国の組織を完遂したか、という消息にほかならない。(下巻 p.590)

─ 『精神現象学』Ⅷ 絶対知

まとめ

まとめると、

りきぞう

ヘーゲルは、近代ヨーロッパの哲学者
「弁証法」「絶対精神」をキーワードに、独自の哲学を展開した
絶対精神について「いかにしてそれぞれの王国の組織を完遂したか、という消息にほかならない」などの名言を残している

ぜひ、ヘーゲルの思想を知るうえで、参考にしてみてください。

ではまた〜。