【図解】トマス・アクィナスの思想&名言 ─ わかりやすく説明

どうも、りきぞうです。

大学のころから、哲学に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。

トマス・アクィナスの哲学にも、ふれてきました。

同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。

とはいえ、

トマス・アクィナスはどんな人?
アクィナス哲学のポイントは?
かれの残した名言は?

─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。

そこで、この記事では、トマス・アクィナスの考えをみていきたいと思います。

先に結論をいうと、つぎのとおり。

りきぞう

アクィナスは、中世ヨーロッパの神学者・哲学者
「類比」をキーワードに、神・認識能力・善について、独自の思想を展開した
「栄光の光をより多く分有する知性ほど、より完全に神を見るだろう」などの名言を残した

以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。

ちなみに、参考にしたトマス・アクィナスの本は、こちら。

引用ページも、本書によります。

著者

トマス・アクィナスは、1225年ごろ〜1274年に生きた人です。

イタリアの神学者・哲学者です。

青年期に、先進的な修道会「ドミニコ会」に入り、学問の道にすすみました。

その後、当時、イスラム圏から流入してきた「アリストテレス哲学」にふれ、キリスト教思想との融合をはかりました。

古代ギリシャ哲学に影響をうけつつも、神学者であったことから、

哲学は、宗教の端女(=召使い)である

と、やや強い意見を述べています。

主著『神学大全』は、「神学の教科書」として書かれたといわれています。

そのため「宗教色」は少なく、論理的に読むことができます。

構成は、第一部で「神」を、第二部からは「人間」をあつかいます。

・希望
・勇気
・節制

など、身近なテーマについて考察していきます。

ポイント

さまざまな考えを示したトマス・アクィナス ─ 。

ここでは『神学大全』にスポットをあて、みていきます。

ポイントは「類比(アナロギア)」です。

カンケツにまとめると、つぎのとおり。

図解説明

類比(アナロギア)とは、神と被造物が、類似する状態をさす。

神は、純粋な本質であり、最高善である。

被造物である人間は、神そのものでなく、神に似た対象物しか認識できない

神のすがたを分有することで、最高善としての神をはじめて体得できる。

ひとこと

もともと『神学大全』は、神学者のための入門書です。

そのため、〝神(GOD)のバイアス〟がつよく、キリストを信仰していない人からすると、ややとっつきにくいです。

けれど、「神=最高善」に置きかえ、

・善のなかみ
・ひとの認識の限界

をテーマにした哲学書としてみなすと、それなりに読みやすくなります。

アクィナスの一貫した主張は、神そのもの(=神の本質 or 最高善)は、人間には認識できないということ。

「類比」を通じてのみ、はじめて神の性質がわかり、体得できると考えます。

神の本質を見るためには、見る能力の側からいうならば、何らかの類似性を必要とする。〔……〕神の本質を、そのあるがままに表現するような何らかの被造の類似性によって神の本質を見るということは不可能である。(p.18)

─ 『神学大全 Ⅱ』12 2

「類比」をキーワードに文章にあたると、ある程度、理解できるようになります。

とはいえ、むずかしい本には、まちがいありません。

くわえて『神学大全』は、分量がめちゃくちゃ多く、翻訳で全45巻もあります……。

(※ うえにあげた、中公クラシック版は「一部訳」で、第1部のみを訳出しているだけです。)

研究者でもないかぎり、すべてを読むのは不可能です。

というわけで、読むコツとしては、目次をザッとみたあとで、気になるテーマを〝つまみ読み〟すること。

いっぽう、さいきん、山本芳久による解説本『トマス・アクィナス 理性と神秘』が出ました。

本書は、中世思想というマイナーなジャンルながら『サントリー学芸賞』まで受賞しました。

こちらの本で、「人間」をテーマにした『神学大全 第2部』で、善・愛について、どのような思想を展開したのかをふれておく ─ そのうえで本文にあたるのが、ベターです。

名言

つぎに、トマス・アクィナスの名言をあげていきます。

「類似=本質」ではない

神を、天使自身のうちに反映している神の類似性によって認識するという認識の仕方は、天使の本性に適合したものである。しかしながら、何らかの被造的類似性によって神を知るということは、〔……〕神の本質を知ることではない。(p.32)

─ 『神学大全 Ⅱ』12 4

こちらも、うえのポイントのくりかえしです。

被造物であるがゆえ、能力に限界がある人間は、神そのもの(=最高善)を、じかに認識できません。

類比を通じてのみ、神の性質を体得できます。

認識するさいにポイントとなるのが「分有」という考え方です。

認識能力には限界があるものの、神の一能力を有する人間は、知性をつうじて、神(最高善)の一部を体得できる、と考えます。

神を見る能力が被造知性に適合するのは、その本性によってではなく、知性を何らかの意味で、神の形の状態にする栄光の光によるということは、〔……〕あきらかである。それゆえ、栄光の光をより多く分有する知性ほど、より完全に神を見るだろう。しかるに、より多く愛を有するほど、より多く栄光の光を分有するであろう。(p.45)

─ 『神学大全 Ⅱ』12 6

認識における2つの類似性

〔……〕各個のものが認識されるのは、そのものの類似性が認識者のうちに存在することによる。しかるにこのことは、2つの仕方でおこる。〔……〕1つは、それ自体としてであり、それは認識能力が直接に認識されうるものの類似性によって形相づけられる場合である。この場合は、認識されうるものはそれ自体のして認識される。もう1つは、認識能力が認識されうるものに似た別のあるものの形象によって形相づけられる場合である。この場合は、ものはそれ自体において認識されるのではなくて、それの類似性において認識されるといわれる。(p.61-62)

─ 『神学大全 Ⅱ』12 9

ややこしい言いまわしですが、要するに、人間の認識において、2種類の類似性が与えられている、ということ。

1つは、認識と対象が「1対1」のカンケーのとき。

そのさい、対象の類似性を、じかに認識できる。

もう1つは、2つの対象をくらべたときに類似性を認識できる、というもの。

たとえば、Aをみたときに「リンゴに似ているなぁ」と思うのが、1つ目の類似性。

A/リンゴをみて、「Aはリンゴに似ているなぁ」という思うのが、2つ目の類似性です。

これはリンゴではなく、「神」「最高善」で同じです。

どちらかの類似性から、「神」「最高善」を体得することになります。

このあたりは、はなしがややこしく、けっこう〝深い読み〟が求められています。

まとめ

まとめると、

りきぞう

アクィナスは、中世ヨーロッパの神学者・哲学者
「類比」をキーワードに、神・認識能力・善について、独自の思想を展開した
「栄光の光をより多く分有する知性ほど、より完全に神を見るだろう」などの名言を残した

ぜひ、トマス・アクィナスの哲学を知るうえで、参考にしてみてください。

ではまた〜。