【図解】エピクロスの思想 ─ 「アタラクシア」&名言

どうも、りきぞうです。

大学のころから、哲学に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。

なかでも、エピクロスの考えには、長く親しんできました。

同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。

とはいえ、

エピクロスはどんな人?
エピクロス思想のポイントは?
かれの残した名言は?

─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。

そこで、この記事では、エピクロスの思想をみていきたいと思います。

先に結論をいうと、つぎのとおり。

りきぞう

エピクロスは、古代ギリシャ人で、ポリス崩壊後の混乱期を生きた人
「自然で必要な欲求」だけを求めれば、アタラクシア(平静な心)の域に達する ─ この状態が人生の幸福であるとした
「ある種の快を引きおこすものは、かえって、その快の何倍もの煩いを、われわれにもたらす」などの名言を残している

以下、目次にそって、[著者&背景 → ポイント → 名言]の順でみていきます。

ちなみに、以下の翻訳で読みました

引用ページも、こちらによります。

著者&背景

著者

エピクロスは、ギリシャ人で、BC.341年〜BC.270年に生きた人です。

ヘレニズム期の哲学者で、「エピクロス派」の創始者です。

現実世界の〝わずらわしさ〟から解放された状態を「快」とみます。

そのうえで、快の追求に、人生をあてるべきと説きました。

著作については、完全なかたちでは残っていません。

かれの残した手紙 or その他の著作で引用された言葉をたよるしかありません。

日本では、うえにあげた『教説と手紙』で読むことができます。

背景

エピクロスは、ほぼエピクロス(ストア派)と同時期の人です。

なので、かれもまた、アレクサンドロスの帝国支配後の世界に生きた人です。

古代ギリシャ人が誇りとするポリスが崩壊し、人びとは人生の指針を見失っていました。

そのなかで、エピクロスは自分なりの思想をつくりあげていきます。

ポイント ─ アタラクシア(平静な心)

エピクロス哲学のキーワードは、アタラクシア(平静な心)です。

カンケツにまとめると、つぎのようになります。

図解説明

人間の欲求は、

・自然で必要な欲求(食事・衣服・住居・友情など)
・自然だが不必要な欲求(豪華な食事・贅沢な装飾・大邸宅など)
・自然でもなく必要でもない欲求(名声・権力・大資本など)

に分けられる。

このなかで「自然で必要な欲求」だけを追求し、残り2つは抑えたほうが良い。

それにより、苦痛&恐怖から解放され、アタラクシア(平静な心)の域に達する。

この状態こそが、人生における幸福である。

ひとこと

エピクロスというと「快楽主義者」のイメージがあります。

けれどこれは、後世の人びとが曲解したもの。

本来は、肉体による快楽も「不快」とみなし、避けるべきと主張します。

その意味で、対立する「ストア派」と、考えが近いです。

ちがうのは、エピクロスが、幸福を人生の目的としたこと。

いっぽうストア派は、人生の目的を徳として、幸福はその結果に過ぎないと考えます。

優先順位が異なるわけですね。

名言

つぎにエピクロスの名言をあげていきます。

「快=快楽」ではない

〔……〕われわれの意味する快は、〔……〕道楽者の快でもなければ、性的な享楽のうちに存する快でもなく、〔……〕肉体においで苦しみのないことと、霊魂において乱されない(平静である)ことに、ほかならない。(p.69)

─ 『メイイケウス宛の手紙』

ポイントでみたとおり、エピクロスは「3つの欲望」のうち、「自然で必要な欲求」のみ追求せよ、と説きます。

ではエピクロスのいう「快」とは、具体的に何でしょうか。

それが、引用にあげる言葉です。

読めばわかるとおり、宴会騒ぎ or 異性との戯れなど、「快楽」ではありません。

かれのいう快とは、「快楽」ではなく「快適さ」を意味します。

エピクロスというと「快楽を追い求める」をイメージする人が多いですが、ちがいます。

むしろ、過度な快楽の追求は、のちのち「苦しみ」をもたらします。(たとえば、過剰な糖分摂取は、あとあと糖尿病につながる、など)

いずれの快も、それ自身として悪いものではない。だが、ある種の快を引きおこすものは、かえって、その快の何倍もの煩いを、われわれにもたらす。(p.77)

─ 主要教説8

いっぽう、生活を快適にするなら、適度に欲望を追い求めるのは、オーケーとします。

反対に、極端な禁欲活動は、やめたほうが良いと説きます。

質素にも限度がある。その限度を無視する人は、過度のぜいたくのために誤る人と、同じような目にあう。(p.99)

─ 断片 63

つまり、なにごとも〝ほどほど〟にして、気持ちよく過ごそう、と言っているわけです。

快適な生活をおくるには「思慮」が必要

〔……〕最大の善であるのは、思慮である。〔……〕思慮は、思慮ぶかく美しく正しく生きることなしに快く生きることもできず、快く生きることなしに〈思慮ぶかく美しく正しく生きることもできない〉と教えるのである。(p.72)

─ 断片2 29

込み入った言いまわしですが、要するに、思慮は「快適な暮らし」の前提条件になっているということです。

くわえて、ここでいう思慮とは、勉強・学習・スキルアップとはちがいます。

すこしでも生活が心地よくなるよう、まいにちの暮らしに意識的に目をむけましょう、ということ。

ちょっとでも「苦しい」「不快」と思ったら、さっさとやめて、生活がラクにならないかを考える ─ 快適に過ごすには、この思考態度が必要なわけです。

まとめ

まとめると、

りきぞう

エピクロスは、古代ギリシャ人で、ポリス崩壊後の混乱期を生きた人
「自然で必要な欲求」だけを求めれば、アタラクシア(平静な心)の域に達する ─ この状態が人生の幸福であるとした
「ある種の快を引きおこすものは、かえって、その快の何倍もの煩いを、われわれにもたらす」などの名言を残している

ぜひ、エピクロスの哲学を知るうえで、参考にしてみてください。

ではまた〜。