どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。
大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。
社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。
働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。
日本の雇用が変化していますね。
ここ10年で、世界経済のしくみも大きく変わってきました。
グローバル化は、ますます進んで、だれもじかに「市場」に向きあう世の中になってきました。
会社も組織も、あなたひとりの人生を守ってくれません。
ひとりひとりが、「マーケット」に乗りだし、モノ&サービスを提供し、収益を得る方法を考えないといけません。
大きな視点で、「市場とは何か?」を思考する必要もあります。
そんなとき、つぎの本が目につきました。
著者は、オーストリア出身の経済学者。
経済思想家でもあり、1974年には「ノーベル経済学賞」を受賞しています。
本書は、1948年に出版されました。
論文集のカタチですが、いまでは古典に位置して、かれの主著になっています。
(政府介入の利点を説く「ケインズ主義」が主流のなか)「市場」「マーケット」の機能を、ポジティブに捉えなおす内容になっています。
いま世界では、いたるところで「市場化」がすすんでいます。
あらためて「マーケット」の役割&長所を考えるには、最適な1冊となっています。
目次
F.A.ハイエク『個人主義と経済秩序』の概要
目次はこんなかんじです。
2 経済学と知識
3 社会科学にとっての事実
4 社会における知識の利用
5 競争の意味
6 「自由」企業と競争的秩序
7 社会主義計算(1)問題の性質と歴史
8 社会主義計算(2)論争の状況(一九三五年)
9 社会主義計算(3)競争的「解決」
10 商品準備通貨制度
11 リカード効果
12 国家間連峰主義の経済的諸条件
1章で、「個人主義」の思想について。市場がまわるには、個人主義の考えが不可欠。
しかし当時の状況では、〝ほころび〟はじめている点を指摘します。個人主義の本質を問いなおします。
2章〜4章では、経済における「情報」「知識」の役割&機能について考えます。
いまのインターネット経済を、予見している内容になっています。
5章〜6章では、経済における競争の意味。
社会主義では「競争=悪」ですが、マーケットにおいて、競争がどのような利点をもたらすのかを考察します。
7章〜9章で、当時まだ権威のあった「社会主義」について。
10章〜12章で、リカードの「比較優位説」をベースにして、国家間の貿易(国際貿易)についてのべていきます。
読み方としては、1章の「個人主義」の考えにふれたあとで、興味あるテーマを個別にみていけばいいと思います。
2章からは順番に読んでいかなくてもオーケーです。
わたしは、マーケットにおける「知識」「競争」の役割を考えてみたかったので、[1章 → 2章 → 4章 → 5章]ので読んでいきました。
F.A.ハイエク『個人主義と経済秩序』で気になったトコ
以下、引用をのせつつ、気になった箇所についてコメントしていきます。
個人主義の態度とは?
マーケットを動かすには「人間の利己心」は欠かせません。
「個人主義」は利己心を肯定しますが、その考えはさまざまで、誤解されているフシもあります。
そこで「個人主義」から導かれる「2つの考え」をのべます。
① 自発的なグループを尊重する
個人主義の立場は、一方に意図的に組織された国家をおき、他方に個人をおいて、これらのみを実在とみなし、他のすべての中間的な形成物や結合体を、〔……〕社会的交流の非強制的な慣習を、人間社会の秩序ある活動を維持するうえでの本質的要素であると考える〔……〕。(027)
ポイントは、「中間的な形成物や結合体」「社会的交流の非強制的な慣習」を重視する点です。
社会学でいうところの「中間集団」にあたります。
ハイエクというと、「自由なら何でもオーケー」のイメージがあります。
しかし、わりと「グループ」「コミュニティ」も尊重します。
ただ自由を肯定しているわけでありません。
自然発生的にうまれたルールを重視し、ソレにしたがうかぎりで、個人の自由を尊重します。
意外ですよね。
② 個人は、設計されたルールではなく、慣習にしたがう
慣習にはしたがう一方で、〝人工的に〟つくられた国家や組織のルールには、ギモンをいだきます。
いわゆる「設計主義」には、反対するわけですね。
個人は社会過程に参加するに当たって、つねにすすんで変化に適応し、知的設計の結果として生まれたものでない慣習にも、〔……〕すすんでしたがう用意がなければならない〔……〕。(027)
この2点が、「個人主義」の態度・姿勢であるとします。
そして、人間がアタマ(=合理性)で考えたものでなく、知識を利用して成しとげた偉業なり成果を、なにより敬うとします。
真の個人主義の根本的な態度は、〔……〕個人の知性を〔……〕越えるような偉大なことを、人類が達成してきたその過程に〔……〕謙遜な態度である、ということ(038)
市場における「知識」の役割
「知識」というと、アカデミックで〝権威のある〟情報をイメージします。
しかし、そうではありません。
市場においては、先端的で、高度な情報より、身近なのに、まだ有効活用されていない知識のほうが、重要になります。
あらゆる職業において、〔……〕人びとについての知識、地域の状態についての知識、また特殊な事情なについての知識が、いかに貴重な資源であるかを思いだせば、それだけで足りるだろう。(113-114)
たとえば、古びたキカイであっても、マーケットのニーズにあわせて、モノ&サービスを供給する知識や知恵のほうが、有効です。
最新鋭のキカイを操作できる知識よりも、価値があります。
完全に利用されていない機械や、より良く利用されうるような、ある人の技能の存在を知って、これらを利用すること〔……〕供給の中断にあたって、取り出して使用できる余剰の在庫について知っていることは〔……〕社会的に非常に有用である。(114)
とはいえ、経済学者などアカデミックの人たちは、〝知識を利用して、新しい需要を掘りおこす行為〟を軽視するきらいがあります。
この種の知識が〔……〕軽蔑をもってみられること、そして、この知識を活かして、理論的もしくは技術的な知識を〔……〕備えたよりも優位に立つ人は、まるで尊敬に値しない〔……〕かのごとく思われていることは、奇妙な事実である。(114)
すこし憤慨してますね(笑)
市場の役割=不完全な知識の有効活用
というよりも、市場では、先端技術であったり、最新鋭のテクノロジーを追求することに、それほど意味はありません。
それは、大学や研究機関など、アカデミー(学術)の役目です。
マーケットでは、独占されていない知識(=不完全な知識)を組み合わせて、モノやサービスをつくりだし、交換することに価値があります。
ポイントは、独占されていない知識(=不完全な知識)という点。
ひとりひとりが〝一部の〟情報をもって向かい合い、その不完全な知識をベースに、モノやサービスを交換する──この行為をうながし、その場を提供するのが、市場であるとします。
反対に、すべての情報を知っている「単独者」が、市場に参加しても、ひとりでモノ&サービスを提供するだけになります。
そこに価値は生まれません。
なので、突きつけると、市場とは、部分的(=不完全な)知識を交換しあって、〝いっぽうが知らない情報〟を提供しなう場所ということになります。
このコトを、本書の「解説」で、猪木武徳さん(経済学者)が説明してくれています。
真の経済問題は、〔……〕人びとの頭の中に散らばって存在するローカルな知識や技能、あるいはそれらを獲得する機械を、いかに効率よく利用するかという点にある。(381)
社会に存在する知識や技能は、単一の主体がその全体を「事実」として把握し、所有しているわけではないから、それらをどう利用するかが、「資源利用と富の創造」のための、根本的な経済問題になる。(381)
市場競争は、人びとが知識を獲得し、交換しつつ、富を創造していくプロセスとして捉えることができる。(381)
たいへんわかりやすい解説です。
知らないことを、知った時点で、価値が発生する──。
そのためには、市場にあつまるメンバーは「すべての情報を知っていてはならない」。
すべて知っていては、知識をおぎなう行為ができず、価値がうまれないから。
ややフクザツですが、おもしろい考察ですよね。
おわりに
本書では、そのほかにも「社会主義批判」だったり、市場経済における「競争」の意味などについて、のべています。
「個人主義」の考えをベースに、さまざまなテーマをあつかっています。
「利己心」に抵抗がある人でも、市場化する世界においては、かれの考えは、読んでおいて損はありません。
とくに、知識と市場のカンケーについては、いまのインターネット経済を理解するうえでは、とても有効です。
論文口調で、読みにくいトコもありますが、アイデア自体はすばらしいです。
よければチェックしてみてください。
ではまた〜。

