古代インドのアーリヤ人とは? ─ ドラヴィダ人・身分制度・インダス文明・ガンジス川

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・古代インドのアーリヤ人について知りたい
・大事なキーワード?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・『リグ=ヴェーダ』
・バラモン教
・ヴァルナ制
・バラモン/クシャトリア/ヴァイシャ/シュードラ
・カースト制
ポイント
・古代インドでは、アーリヤ人の進入によりバラモン教&ヴァルナ制が成立した

この記事では、つぎの本を参考にしました。

アーリヤ人の進出

『リグ=ヴェーダ』の写本

ドラヴィダ人によるインダス文明が衰退したのち、約300年ほど経って、アーリヤ人が中央アジアから南下してきます。

以下、年代順にみていきましょう。

B.C.1500年ごろ

さいしょアーリヤ人たちは、カイバル峠を通って、インド西北のパンシャープ地方に進出しました。

そこで農耕&放牧をおこない、さまざまな自然現象を崇拝していました。

そのような信仰からうまれたのが聖典『リグ=ヴェーダー』です。

『リグ=ヴェーダー』は、神々への賛歌集で、インドにおいて、もっとも古い文献とされています。

雷や火など自然神が崇拝され、聖火をたいて獣を犠牲にささげるなど、さまざまな祭式がとりおこなれた。祭式をとりおこなう専門の司祭たちも出現し、それらの宗教的な知識をおさめたインド最古の文献である『リグ=ヴェーダ』がうまれた。(p.72)

─ 『詳説 世界史研究』

以後、この『リグ=ヴェーダー』がもとになって、さまざまな宗教・文化・制度がつくられていきます。

B.C.1000年ごろ

パンジャーブ地方進出後、約500年経って、アーリヤ人はガンジス川流域に進入します。

これまでとのいちばんの違いは、かれらが鉄器や鉄製農具を使っていた点です。つまりアーリヤ人たちは、鉄の技術を身につけ、あつかうことができました。

当時の鉄は、最先端の技術でした。そのため、まわりの部族をつぎつぎ打ち倒し、支配していった、と考えられます。

征服活動や同盟関係をむすびながら、先住民の人たちと交流し、混じり合っていきました。

その過程でうまれたのが、

・バラモン教
・ヴァルナ制

です。

アーリヤ人によるヴァルナ制

カースト制のイラスト

以下、バラモン教にもとづくしくみヴァルナ制のなかみについて、みていきます。

ヴァルナ制とは、

「色」を意味する身分制度

のことです。

それぞれの身分は、

・バラモン(司祭)
・クシャトリア(武士 or 貴族)
・ヴァイシャ(農民 or 牧畜民 or 商人)
・シュードラ(隷属民)

4つに分かれます。

はじめのうち、4つの身分ははっきりと決められていなかった、とされています。

しかしのちに「生まれ」を意味するジャーティーとむすびつき、厳しい階級制度がしかれるようになります。

ジャーティーのしくみが浸透しているところでは、職業選択や結婚相手が、つよく制限されます。

この階級制度はカースト制度として、いまでもインドの社会に根づいています。

なお「カースト」とは、インド独自の言葉ではありません。もともとはポルトガル語の「カスタ(血統)」に由来し、さきにあげたジャーティーと合わさりながら、インド社会の基盤となっていきました。

おわりに

アーリヤ人についてみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・『リグ=ヴェーダ』
・バラモン教
・ヴァルナ制
・バラモン/クシャトリア/ヴァイシャ/シュードラ
・カースト制
ポイント
・古代インドでは、アーリヤ人の進入によりバラモン教&ヴァルナ制が成立した

この記事が、アーリヤ人を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。