ジェイン・オースティンの生涯 ─ 人生・作品・思想

どうも、りきぞう(@rikizoamaya)です。

大学院では、キャリア論と社会保障を研究していました。

社会人なってからは、予備校講師 → ウェブディレクター → ライターと、いろんな職業にたずさわってきました。

働き方についても、契約社員 → 正社員 → フリーランスと、ひと通り経験してきました。

働くなかで思うのは、自分の市場価値をアップするには「教養」が大切だということ。

・良いアイデアを出せる
・深くものごとを考えられる

こういう人たちは、キホン、教養を身につけています。

教養とは、なにか ─ それは、歴史と古典です。

なかでも、文学作品の古典は、王道といえます。

わたしも、計300冊以上は、読んできました。

作品にふれるのも良いですが、書いた人が、どんな人物だったのか ─ それを把握しておくと、より内容を理解できます。

きょうは、

ジェイン・オースティンの生涯

を紹介していきます。

イギリスの女性作家で、『高慢と偏見』の作者ですね。

オースティンは、近代ヨーロッパ期の人物。

1700年代・後半〜1800年代・前半、イングランドの田舎を舞台にした、小説を書きました。

メインテーマは、女性の暮らしと恋愛&結婚 ─ 。

どの作品も、「平凡な日常」しか描きません。

しかし、読み進まずにはいられないストーリー展開と、皮肉&ユーモアに満ちた文章で、読者を惹きつけます。

近代以降の小説で、プロット&文体の面で、かのじょの果たした役割は、たいへん大きい。

古典作品を読むうえで、オースティンの作品は、はずせないと思います。

いっぽう、かのじょの人物像を知っておくと、作品を理解し、より楽しむことができます。

そこで、

・オースティンの人生
・オースティンの主著

をあげて、かのじょの生涯をたどっていきます。

オースティンの人生

まずは、かのじょの人生 ─ 。

おもな出来事は、つぎの3つです。

① 牧師の次女として誕生(1775年〜)
② バースへ転居(1801年〜)
③ 執筆活動を開始(1811年〜)

カンタンにみていきます。

① 牧師の次女として誕生(1775年〜)

オースティンは、イギリスで、牧師の次女として生まれました。

幼い頃から寄宿舎に入り、文学作品にふれていました。

10代のころには、当時流行っていた、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(1774年)を読んでいた、といわれています。

また、父親がオックスフォード大学を卒業し、詩・文学に精通していました。

かれの影響を受けつつ、少女時代から、カンタンな物語も書いていました。

ノート3冊にまとめられ、いまでもそれが保存されています。

20歳のときに、のちに『分別と多感』『ノーサンガー・アビー』として出版される原稿を書きはじめています。

② バースへ転居(1801年〜)

まえに述べた、セルバンテスとちがい、オースティンの私生活には、変化・事件は起こりません。

このあたりが、かのじょの作品にも反映していますね。

父が「牧師権」を譲渡したのをキッカケに、ジェイン一家は、[スティーブントン → バース]へ引っ越します。

バースは保養地として有名ですが、約5年の生活が、のちの作品に影響をあたえます。

小説のいくつかは、バースを舞台にしていて、風景・服装・人びとの暮らしは、この場所をベースに描かれています。

いっぽう、夏に避暑でおとずれた「デボンシア」で、生涯で唯一の恋をした、とされています。

相手は、トーマス・ルフロイという人物で、かれがそう公言していたそうです。

さらに、ハリス・ビッグ=ウィザーも、プロポーズを受けましたが、「大きくて、不器用な性格」といって、断ったそうです。

断るセリフも、ジェイン作品に出てきそうな言いまわしです(笑)

父が亡くなったのち、母&姉と3人で「サウサンプトン」へ引っ越しします。

ここで穏やかに暮らし、以降、独身として生涯を過ごします。

③ 執筆活動を開始(1811年〜)

約5年後、兄「エドワード」のすすめで、3人は「チョートン」へ転居します。

兄の妻は裕福で、かのじょが所有するコテージへ引っ越しました。

じつは、妻は亡くしまい、資産を管理する意味で、移り住んだ、といわれています。

ジェインは、ここで本格的に執筆活動をスタートし、1811年に『マンスフィールド・パーク』を、文芸誌に寄稿します。

また、匿名で『分別と多感』を出版します。

さらに、1813年に、20歳のときに書いた「第一印象」をもとに、『高慢と偏見』を出版します。

それまでは、さして評判になることはありませんでした。

けれど、王子「ジョージ4世」が、かのじょのファンであることをキッカケに、じょじょに作品が知られていきます。

1814年には『エマ』が献呈されますが、そこから、ジェインの体調が、じょじょにわるくなっていきます。

その約3年後、1817年に、療養のためにおとずれていた「ウィンチェスター」で亡くなりました。

42歳でした。

オースティンの主著

40代で亡くなったこともあり、作品数は多くありません。

死後出版をふくめ、全部で6作です。

・『分別と多感』(1811年)
・『高慢と偏見』(1813年)
・『マンスフィールド・パーク』(1814年)
・『エマ』(1816年)
・『ノーサンガー・アビー』(1817年)
・『説得』(1818年)

どれも有名ですが、イチバン読まれているのは、『高慢と偏見』だと思います。

以下、この作品をとおして、かのじょの小説の特徴・内容・影響を述べていきます。

内容

『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』は、イギリスの田舎を舞台にした、恋愛&結婚小説です。

テーマもストーリーも〝ありきたり〟ですが、皮肉&ユーモアが効いた文章・文体で、読み手をぐいぐい引っ張っていきます。

語り口が、かなり柔らかいので、中学生以上の人なら、だれでも読めると思います。

ざっくりいえば、誤解・偏見による「すれ違いの恋」を描くだけです。

けれど、人物描写だったり、人びとの関係性だったり、するどい観察をベースに書かれる表現が、どれもすばらしい。

「美しい」というより、ちょっとイジわるで、おもしろいといったかんじです。

ポイント

おはなしもテーマもカンタンですが、『高慢と偏見』では、かなり重要なモチーフを描いています。

それは、

夢 / 現実、幻想 / 事実のジレンマ

です。

まえに、セルバンテス『ドン・キホーテ』を紹介したときに、近代以降の小説は、「夢 / 現実」の問題が、つねにカラでくる、といいました。

じつは、かんたんな日常を描きつつも、『高慢と偏見』では、この対立・問題をあつかっています。

大まかな内容は、

・イイ奴と思っていた人が、じつはイヤな奴だった
・イヤな奴と思っていた人が、じつはイイ奴だった

です。

ありがちな状況を描きながらも、ひとは〝いかに錯誤に陥りやすく〟、〝いかにまちがった思考に囚われるか〟を、ていねいに、カンケツに、描写しているわけです。

その意味では、「幻想 / 現実」の区別がつかない『ドン・キホーテ』と、おなじモチーフを描写しているといえます。

テイストはまったく異なりますが、2つの作品は、深いつながりをもっています。

また、かのじょ以降、近代を生きた小説家は、セルバンテス&オースティンと同じように、「夢 / 現実」「幻想 / 事実」の相克(ジレンマ)を、物語をとおして、描いていきます。

そこからも、『高慢と偏見』は、かなりの影響を与えたといえます。

影響

具体的には、つぎのような小説家に影響をあたえました。

・サマセット・モーム
・夏目漱石

じっさいに公言している人は少ないですが、小説を書くなら、オースティンの作品は、さけて通れないはずです。

おそらく、大学の英文科なら、かならず読まされるはずです。

(そのために、〝オースティン嫌い〟になる人も、たくさんいそうですが。。)

たとえば、英文学者でもあった夏目漱石も、文体・写実の面で、オースティンを高く評価しています。

おわりに

オースティンの生涯をみてきました。

たしかに、ほかの文豪にくらべて、かのじょの作品は、わざわざ手にとるものではない、と思いがちです。

しかし、一周まわって、じっくり読むと、文体やモチーフの面で、かなり重要な作家だとわかるはずです。

もちろん、表現・言いまわしは柔らかいので、古典文学の〝とっかかり〟としても、おすすめです。

『高慢と偏見』でも、まずは読んでいてほしいです。

よければ、参考にしてみてください。

ではまた〜。