戦後のイランとイラク ─ 戦争・宗教・アメリカ・イラン革命・イラン=イラク戦争・湾岸戦争【世界史】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・イランとイラクについて知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・イラン革命
・イラン=イラク戦争
重要人物
・モサデグ
・ホメイニ
ポイント
・イラン革命の影響をおさえるため、イラクのサダム=フセインはイランにむけて軍事侵攻をおこなった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

戦後のイランとイラク① ─ イラン革命

ホメイニ

第二次大戦後のイランでは、石油資源を独占するイギリス系企業(アングロ=イラニアン石油会社)への反発が高まっていきます。

これをうけてイラン政府は石油国有化を宣言し、ときのモサデク首相は欧米支配からの脱却をはかろうとします。

そんななかで、イラン政府内部でも政治抗争がおこり、国王パフレヴィー2世がクーデターをおこし、モサデク政権を打ち倒します。

彼は石油利権をアメリカとヨーロッパの国際石油財団にあたえたうえで、双方に歩みよりの態度をみせます。

また中東条約機構に加盟し、親米路線をとっていきます。

イラン国内にたいしては、アメリカから支援のもと、いわゆる「開発独裁」をおこない、経済成長をおしすすめていきます。

しかし急激な経済発展に貧富の差がひろがり、反発の声が高まっていきます。

その結果、女性解放などの宗教上の不満も合わさり、「白色革命」とよばれる抵抗運動が約15年かけて展開されます。

この白色革命により国王は亡命し、パフレヴィー朝は滅亡します(イラン革命)。

かわって指導者となったホメニイは、イスラーム(シーア派)を国家原理のベースとしたうえで、イラン=イスラーム共和国を成立させます。

しかしその翌年には、革命成功を止めるため、隣国のイラクが国境問題を理由に、軍事侵攻をはじめます。

ここにイラン=イラク戦争が勃発します。

戦後のイランとイラク② ─ クウェート侵攻

サダム=フセイン

すこし時間をもどしてイラク成立の流れをみていきましょう。

第二次大戦後のイラクは王政がしかれていました。

しかしエジプトのナセルによるアラブ民族主義を背景に、民主化運動がもりあがっていきます。

その結果、指導者のカセムは王政を打ち倒し、共和政による国家を成立させます。

これら一連の動きを「イラク革命」とよびます。

その後、何度か政権がうつりかわりサダム=フセインが大統領に就任します。

彼こそがイランに軍事侵攻しイラン=イラク戦争をおこした人物です。

イラク=イラク戦争は決着がつかないまま、約8年にわたりつづけられていきます。

そのいっぽうでフセインはクルド人を虐殺し、国内での権勢を高めていきます。

そんなイラクであっても、アメリカは反イランをかかげていたので、フセインにたいして莫大は軍事支援をおこなっていました。

しかしその約3年後、イラン=イラク戦争で多額の債務におちいったイラクは、石油資源をもとめてクウェートへの侵攻を開始します(湾岸戦争)。

これに反発したアメリカは、各国による決議のもと国連軍の派遣を決定します。しかし先進国を中心とした多国籍軍は敗北し、フセインのクウェート侵攻をゆるしてしまいます。

その後アメリカは、同時多発テロの報復としてアフガンへの攻撃をはじめ、それに関連するかたちで、核保有を根拠にイラクへの攻撃を開始します。

アフガニスタンへの報復措置は認めるものの、イラクにたいしてはアメリカの単独行動であるとして、世界からたいへんな非難をあびることになります。

おわりに

戦後のイランとイラクをみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・イラン革命
・イラン=イラク戦争
・湾岸戦争
重要人物
・モサデグ
・ホメイニ
・サダム・フセイン
ポイント
・イラン革命の影響をおさえるため、イラクのサダム=フセインはイランにむけて軍事侵攻をおこなった

この記事が、イランとイラクを理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。