どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・羈縻政策
この記事では、つぎの本を参考にしました。
目次
唐と東アジア① ─ 羈縻政策&冊封体制

唐の外交政策は、
・領域外 → 冊封体制による国際秩序形成
といったかたちで〝すみ分け〟がなされていました。
冊封体制とは、
をさします。
この冊封体制は、唐以降も歴代王朝にひきつがれ、清王朝の末期までつづきました。
具体的に冊封をうけた国は、
・渤海
・南詔
などです。
中国に朝貢した国はたくさんあり、おもなところだと、
・真臘(東南アジア)
・シュリーヴィジャヤ
・日本
・琉球
・台湾
などです。
冊封&朝貢以外にも、家人の礼とよばれる、義理の親子関係に似せた同盟をむすぶ国もありました。
おもなところだと、
・ウイグル
・吐蕃
などです。
冊封国や朝貢国にくらべて、武力面で強敵なのが、家人の礼をとった諸国の特徴です。
唐と東アジア② ─ 各国とのつながり

以下、唐王朝と海外各国とのつながりをみていきましょう。
とりあげるのは、
- 南詔
- 吐蕃(チベット)
- ウイグル
- 突厥
- 渤海
- 日本
です。
南の地域から、ぐるっと時計まわりでふれていきます。
南詔
チベット=ビルマ系の南詔は、唐が吐蕃と争っているすきに、雲南にたてられました。
場所がら、唐王朝の直接支配がおよびにくいこともあり、唐は冊封をほどこし、南詔は独自の文化をきずくようになります。
吐蕃(チベット)
吐蕃は、武将のサンチェン=ガンボによって建国され、都はラサにおかれました。
唐王朝とは家人の礼をとって婚姻関係をむすび、良好はつながりを維持しました。
そのために、独自の
・チベット仏教
が発達し、インド仏教とチベットの民間信仰が融合していきました。
ウイグル
ウイグルは、東突厥を滅ぼして、たてられた国です。
「安史の乱」を鎮圧するさいには、唐王朝はかれらの力をかりました。
そのために戦乱がおさまったのちも、家人の礼をつうじて良好な関係をむすび、経済交易も活発になされました。
突厥
突厥もまた、古くから唐王朝を武力の面で支えてきました。
そのため唐とは対等な関係をむすび、国内では突厥文字の作成など、文化や芸術の面でも大いに発達します。
渤海
渤海は、ツングース系の靺鞨人である大祚栄によって建国されました。
彼は、滅んだ高句麗の遺民たちをひきいて、中国北東部に渤海をたて、周辺地域を統治下におきました。
唐からは冊封をうけて、積極的に唐の制度や文化をとりいれました。
都も、長安をモデルにした上京竜泉府がつくられました。
日本とも使節を送りあい、平安王朝からは「海東の盛国」と称されています。
朝鮮
唐王朝時代の朝鮮は、権力関係が大きく変わった時期でした。
それまでは高句麗(ツングース系民族)と百済(韓族)が半島一帯をおさめていましたが、唐と同盟関係をむすんだ新羅(韓族)が、はさみ撃ちするようなかたちで、両国を滅亡に追いやります。
そののち新羅は、協力関係にあった唐勢力も排除し、朝鮮半島の統一を果たします。都は金城におきました。
なお、このとき日本も百済復興のために、遠征軍を派遣していますが、「白村江の戦い」をはじめ、敗北をきっしています。
半島を統一した新羅は、唐から冊封をうけ、良好な関係をむすびます。
唐の制度や文化も積極的にとりいれ、律令制や郡県制などのしくみも学び、国内で実施しています。
骨品制とよばれる氏族を基盤とした身分制をとり、貴族中心の秩序形成がなされていきます。
また宗教では、仏教を手厚く保護し、仏国寺や石窟庵などが建てられました。
日本
冊封国である日本は、隋唐時代をつうじて、遣隋使&遣唐使を派遣し、良好な関係をむすびます。
朝鮮の新羅と同じく、唐の制度や文化を積極的に学び、唐にならったしくみを国内で実施しています。
律令国家体制をとり、長安をモデルにした平城京の建設もおこなっています。
また唐の影響をうけた天平文化がさかえ、平安後期からは国風文化が華ひらきます。
ただしこのころからは遣唐使が廃止され、日本独自の制度や文化が発展していくことになります。
おわりに
唐と東アジアの関係をみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・羈縻政策
この記事が、唐と東アジアの関係を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。




