五代十国時代と宋王朝 ─ 文治主義・澶淵の盟・新法・王安石【わかりやすく解説】

どうも、りきぞうです。

大学のころから、世界史に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。

・五代十国と宋王朝の成立について知りたい
・大事なキーワード&人物は?
・この時代のポイントは?

きょうは、この問いに答えていきます。

答えは、つぎのとおり。

キーワード
・文治主義
・澶淵の盟
・新法
・青苗法
・均輸法
・市易法
・募役法
・保甲法
・保馬法
・新法党 vs 旧法党
重要人物
・朱全忠
・趙匡胤
・王安石
ポイント
・文治主義をとった宋王朝は、科挙を完成させ、君主独裁体制を確立した
・宋代の中期以降は、財政難におちいり、宰相の王安石が「新法」もよばれる一連の改革をおこなった

この記事では、つぎの本を参考にしました。

五代十国時代

節度使 安禄山

それまで華北一帯をおさめていた唐王朝を、節度使の朱全忠が滅ぼして、後梁を建国します。

しかし後梁王朝による統治は安定せず、以後、

・後唐(突厥系)

・後晋(突厥系)

・後漢(突厥系)

・後周

と、おさめる王朝がころころ変わります。

学術上、後梁〜後周までを「五代」とよびます。

どの王朝も、都は開封におきました。

華北の政治が混乱するいっぽう、華中&華南もたいへん乱れていました。

こちらは10以上の国々が入り乱れ、覇権争いをくりひろげていました。

かれらを総称して「十国」とよび、華北の状況を合わせて、この時期を「五代十国時代」とよびます。

五代十国の君主&建国者は、ほとんどが節度使(藩鎮)の出身であり、武力がものをいう武断政治をおこないました。

いっぱんに、[唐王朝末期〜五代十国時代]までは、中国史上3度目の分裂期とされます(1度目は春秋戦国時代、2度目は魏晋南北朝時代)。

門閥に支えられた貴族が没落し、新たに力をつけた地主層が佃戸(貧しい小作人)をつかって、経済力を高めていきました。

宋王朝の成立

五代十国による混乱のなか、後周の節度使だった趙匡胤が、みずからの国をたてます。

これが宋王朝です。都はこれまでどおり開封におきました。

建国の約20年後、ひさしぶりに中華統一を果たします。

内政

統一に合わせて、宋王朝は内政の整備にとりかかります。

その特色は、つぎの2点です。

・文治主義
・科挙の強化

まず、それまで強い権限をにぎっていた節度使を削減&廃止して、皇帝に権力が集まるよう促します。

できるだけ武力によらず、交渉や法律での統治をめざしました。この方針を文治主義とよびます。

合わせて科挙を強化し、官僚試験に合格しないと官吏になれないしくみに切り替えました。

これにより家柄を重視する、門閥貴族の復興がおさえられ、〝頭の良し悪し〟が出世を左右するように変わっていきました。

しばらくしてからは殿試を設置して、皇帝自身が科挙の最終試問をおこなうまでになります。

以上のように、宋王朝の内政については、武力よりも、文書能力がたいへん重視されました。

外交政策

文治主義や科挙強化の方針からもわかるととおり、外交政策については、なるべく軍事遠征はおこなわず、交渉や金銭でもって解決する流れをとります。

具体的には、北方の強国である遼(キタイ)とは「澶淵の盟」とよばれる同盟関係をむすび、「宋=兄/遼=弟」としたうえで、年に一度、宋から遼へ銀&絹を送ることを約束します。

財政難

ただし、宋は経済が豊かで、文治主義や経済交渉で国を維持していたものの、じょじょに、

・官僚の増大
・外国送金の巨額化

が問題となっていき、宋王朝は財政難におちいります。

そこで、ときの皇帝&宰相が、つぎにあげる財政改革をおこないます。

財政改革 ─ 「新法」の実施

なかでも6代皇帝の神宗が宰相に登用した王安石が、さまざまな改革を実行しました。

彼のおこなった政策は「新法」とよばれ、既得権力者をおびやかすくらいの過激な富国強兵策でした。

具体的には、富国策については、つぎの4つを実施しました。

・青苗法:貧農への低利融資
・均輸法:物資流通&物価安定の促進
・市易法:中小商業者への低利融資
・募役法:労役から銀納税への切り替え

また、強兵策については、つぎの2つを実施しました。

・保甲法:兵農一致による軍兵の削減
・保馬法:軍馬飼育の促進

これら富国強兵政策をみてわかるとおり、貧しい農民や中小商業者は保護&優遇されるいっぽう、それまで既得権で〝甘い汁を吸っていた〟地主や商人は、不利な立場に追いやられます。

結果、両者のあいだで利権争いがおこり、さらに王朝内部でも、

改革派 王安石
vs
保守派 司馬光

の対立が激化します。

ふたつの派閥は、

新法党
vs
旧法党

といったかたちで、党派争いに発展します。

けっきょく王安石による財政改革は中途半端なものにおわり、根本的な解決をできないまま、宋王朝はつぎの時代をむかえます。

おわりに

五代十国と宋王朝の成立をみてきました。

まとめると、こんなかんじです。

キーワード
・文治主義
・澶淵の盟
・新法
・青苗法
・均輸法
・市易法
・募役法
・保甲法
・保馬法
・新法党 vs 旧法党
重要人物
・朱全忠
・趙匡胤
・王安石
ポイント
・文治主義をとった宋王朝は、科挙を完成させ、君主独裁体制を確立した
・宋代の中期以降は、財政難におちいり、宰相の王安石が「新法」もよばれる一連の改革をおこなった

この記事が、五代十国と宋王朝を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。

では、また。