【図解】セネカの哲学 ─ ポイント&名言

どうも、りきぞうです。

大学のころから、哲学に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。

なかでも、セネカの考えには、長く親しんできました。

同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。

とはいえ、

セネカはどんな人?
セネカ哲学のポイントは?
かれの残した名言は?

─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。

そこで、この記事では、セネカの考えをみていきたいと思います。

先に結論をいうと、つぎのとおり。

りきぞう

セネカは、古代ローマの哲学者で、皇帝「ネロ」のブレーンだった人
「閑暇(かんか)」をすすめ、人生を満たす術を説いた
「その人は、長く生きていたのではない。たんに長く存在していただけなのだ」などの名言を残している

以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。

ちなみに、参考にしたセネカの本は、こちら。

引用ページも、本書によります。

著者について

セネカは、帝国ローマ期の、BC.1年ごろ〜AD.65年に生きた人です。

ローマの政治家・哲学者です。

ローマ皇帝「ネロ」の家庭教師でもあり、参謀としてローマ政治を支えました。

エッセイのほか、悲劇なども残しています。

学術的には「ストア派」とされます。

ポイント ─ 閑暇(かんか)

さまざまな考えを示したセネカ ─ 。

ここでは、よく読まれている『人生の短さについて』にスポットをあて、みていきます。

ポイントは「閑暇(かんか)」です。

カンケツにまとめると、つぎのとおり。

図解説明

人生を満たすには、多忙を避けつつ、「閑暇(かんか)」(=ゆとり)を確保することである。

では、ゆとりある時間のなかで、 なにをすべきか ─ 。

それは、知を味わうこと。

むかしの作品にふれたり、これまでの歴史を知る。

なぜ、古典を読んだり、過去のできごとを把握するのが良いのか?

それは、自分の時代だけなく、ほかの時代も味わえるから。

自分が生きる時代に、ほかの時代を付け加えることができるため。

それにより、みずからの人生を充実させることができる。

ひとこと

『人生の短さについて』は、セネカ中期の作品です。

セネカの親戚「パウリヌス」に宛てたメッセージという設定で書かれています。

激務だった彼にたいして、「人生の時間をムダにしないように」と説得します。

手紙をとおして

・時間の流れ
・人生の味わい方

などについて、説明&アドバイス ─ 。

読み手はパウリヌスの立場になり、セネカの考えを聞くかたちになります。

トシを重ねるほど、人生は短いと感じる。

そのなかで、どのように人生を満たせば良いのか?

それは、歴史を知り、偉人たちの知識・知恵にふれること。

自分の行動・経験だけでは、この世で知れることは、たかがしれている。

過去の歴史&古典作品にふれることで、自分の人生に、ほかの時代をつけくわえる ─ 。

それにより、人生を充実させるよう、説きます。

かなり納得できますね。

名言

つぎにセネカの名言をあげていきます。

閑暇のマイナス面

自分の閑暇を嫌悪し、なにもすることがないと不平を言う人たちの感情や、他人の成功に対する激しい嫉妬心が生まれてくる。というのも、不毛な怠惰が妬みを増長させ、彼らは、自分が成功できなかったというだけで、すべての人の破滅を欲するようになるからだ。(no.2036)

─ 『心の安定について』2

人生を満たすには、多忙をしりぞけ、閑暇をとるよう、すすめます。

けれど、閑暇にもネガティブな側面があります。

それは、〝ヒマであるがゆえの嫉妬〟です。

なまじ時間があるばかりに、じょじょに怠けてしまう。

それにともない、他人の行動が気になり、成功者 or 有名人にたいして妬みの気持ちをいだいてしまう。

人生の充実には閑暇=ゆとりが必要だが、空虚にさせる副作用もあると、注意をうながします。

読書のコツ

多数の作家によって道に迷うより、少数の作家に身をまかせたほうが、はるかによい。(no.2330)

─ 『心の安定について』5

書物は十分に買う必要があるが、しかし一冊たりとも飾りにしてはならない。(no.2339)

─ 『心の安定について』5

人生を満たすには、過去の歴史&古典作品にふれることを、すすめます。

そのさいのコツが、この言葉です。

なにより、作家の数は、数人にしぼることをアドバイスします。

というのも、いろんな作家にふれると、情報が混乱し、あなたのなかで考えがまとまらないからです。

何も得られないことになり、結局、人生を浪費することになります。

そのため、本を買うにしても、積読はダメです。

読んだ気になっているだけでは、人生は充実しないからです。

このあたりは、いまのような情報過多時代では、ますます当てはまる意見ですね。

孤独と交流のバランス

われわれは、これら二つのもの ─ すなわち孤独と交わり ─ をうまくつなぎ合わせて、交互に入れ替えるべきだ。孤独は、人間を恋しがる気持ちをかきたて、交わりは、自分を恋しがる気持ちをかきたてる。こうして、一方が他方を癒す薬になってくれるだろう。つまり、孤独が群集への嫌悪を癒し、群集が孤独の倦怠を癒してくれるわけだ(no.2671)

─ 『心の安定について』10

人生を満たすには、過去の英知にふれることが必要 ─ 。

いっぽうで、その作業におちいり〝孤独になりすぎる〟ことにも、注意をうながします。

もちろん、歴史&作品に向き合うには孤独は不可欠です。

けれど、適度な交流がないと、おしゃべりしている人たちを〝おバカな群衆〟とみなすようになってしまう。

〝妙なエリート意識〟が生まれてしまうわけです。

「わたしだけが優れている」と勘違いしないためにも、ほどほどの関わりは必要です。

それがまた孤独の価値を高め、英知にふれる意味を、より確かなものにしてくれます。

セネカは、どこまでリアリストで、バランス力にすぐれています。

まとめ

まとめると、

りきぞう

セネカは、古代ローマの哲学者で、皇帝「ネロ」のブレーンだった人
「閑暇(かんか)」をすすめ、人生を満たす術を説いた
「その人は、長く生きていたのではない。たんに長く存在していただけなのだ」といった名言を残している

ぜひ、セネカの哲学を知るうえで、参考にしてみてください。

ではまた〜。