【図解】ニーチェの思想&名言 ─ 「ニヒリズム」「神は死んだ」「永劫回帰」

どうも、りきぞうです。

大学のころから、哲学に親しんできました。

大学院時代は、本格的に人文書・哲学書にあたってきました。

ニーチェの哲学にも、ふれてきました。

同じように、知りたいなぁと思っている人もいるかと。

とはいえ、

ニーチェはどんな人?
ニーチェ思想のポイントは?
かれの残した名言は?

─ こんな悩み&疑問をいだく人も多いはず。

そこで、この記事では、ニーチェの考えをみていきたいと思います。

先に結論をいうと、つぎのとおり。

りきぞう

ニーチェは、近代ヨーロッパの哲学者
「ニヒリズム」「神は死んだ」「永劫回帰」をキーワードに、独自の思想を展開した
近代社会がもたらすニヒリズムについて「至高の諸価値が、その価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている」などの名言を残している

以下、目次にそって、[著者 → ポイント → 名言]の順でみていきます。

ちなみに、参考にしたニーチェの本は、こちら。

引用ページも、本書によります。

著者

ニーチェは、ドイツ人で、 1844年〜1900年に生きた人です。

主著は『道徳の系譜』『ツァラトゥストラ』『悦ばしき知識』『権力への意志』など。

中期から後期にかけて、

・永劫回帰
・神(GOD)は死んだ

など、それまでの西洋哲学の根底をゆさぶる考えを示しました。

さらに、ありふれた悲観論におちいらず、

・たのしみにみちた生の肯定
・歓喜をもたらす知への没頭

を主張します。

ニーチェというと、ネガティブなイメージがあります。

けれど、晩年になると「力への意志」「超人」のような概念を提示し、ポジティブになっていきます。

ポイント ─ 「ニヒリズム」「永劫回帰」

『権力への意志』にしぼって、ニーチェ思想について、みていきます。

ポイントは、「ニヒリズム」「神は死んだ」「永劫回帰」です。

カンケツにまとめると、つぎのとおり。

図解説明

西洋で生まれた「近代合理主義」は、科学の進歩&経済の発展をもたらした。

恩恵を享受するいっぽう、豊かさゆえに、人びとは、生きる意味・人生の指針を見失う

この状態を「ニヒリズム」とよぶ。

近代の価値観にひたる人びとにとって、それまで生き方の土台になっていた「キリスト教思想」は、なんら支えにならない。

〝神はすでに死んでいる〟。

そもそも、キリスト教思想が伝える善い/悪いは、偽善である。

「強い者を強い」とよべない弱者が作りだした〝装置〟である。

くわえて、目的 or 神の救済にむかって、時間・歴史がすすむ考え方も、あやまりである。

じっさい、時間・歴史に、進歩・前進はない。

時間・歴史は、変化をくりかえしながら、ぐるぐる回っているだけである(=永劫回帰)。

目的・進歩・神が存在しないなか、人びとは、どうふるまうのか。

ひとつは、価値の喪失をなげき、生を投げだす態度である。

これを「受動的ニヒリズム」とよぶ。

もうひとつは、既存の価値がなくなったことで、自身なりに価値を生み出す態度である。

これを「能動的ニヒリズム」とよぶ。

選択は、各個人にまかされている。

後者を選んだ者を「超人」とよぶ。

ひとこと

なぜニーチェ以降の哲学を「現代思想」「現代哲学」とよぶのか。

それは、ニーチェが、プラトンからはじまる西洋哲学の前提を〝ひっくりかえした〟からです。

プラトン〜ヘーゲルまで、西洋の哲学者は「イデア」「神」「物自体」「絶対知」と名前をかえ、

・絶対的なもの
・一元的なもの

を前提に、議論をはじめます。

ニーチェは、この発想こそ、誤りだと指摘します。

「絶対性」「一元性」を破壊したうえで、哲学をおこなうべきだ、と訴えます。

以後の哲学者は、すくなからず、ニーチェの主張をうけて、みずからの思想・哲学を展開します。

そのために、ニーチェ以後の「現代思想」「現代哲学」とよぶわけです。

名言

つぎに、ニーチェの名言をあげていきます。

ニヒリズムとは?

ニヒリズムとは何を意味するのか? 至高の諸価値が、その価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている。(上巻 p.22)

─ 『権力への意志』「ヨーロッパのニヒリズム Ⅰ」 「ニヒリズム」 2

ニヒリズムを、このように定義します。

わかりやすいですね。

ただし、ポイントであげましたが、なぜ近代合理主義が「ニヒリズム」をもたらしたのか ─ ニーチェは、そこまではっきり述べていません。

のちの学者さんだったり、近代社会の〝負の側面〟を感じた人が、「ニヒリズム」にいたるプロセスを語った感は、否めません。

とはいえ、まさにいま近代社会に生きるわたしたちが、ニーチェのいう「ニヒリズム状態」に共感をおぼえるわけです。

その意味では、近代合理主義の先に「ニヒリズム」がまちうけているのは、確かだと思います。

2種類のニヒリズム

ニヒリズムとは、出来そこないの者どもが、もはやいかなる慰めをもたないということの症候である。すなわち〔……〕道徳から放たれて、「わが身をささげる」根拠をもはやもたないということの症候であり〔……〕かれら自身もまた、権力を意欲するということの症候である。(上巻 p.74)

─ 『権力への意志』「ヨーロッパのニヒリズム Ⅰ」 「ニヒリズム」 55

こちらもポイントでみたとおり、ニヒリズムの状態におちいると、価値の喪失と、みずからの力を隠していた状況が、あきらかになります。

ひとは、意志を、目標の意欲を、おのれ自身に目標をあたえる冒険を、回避したかったのである。(上巻 p.36)

─ 『権力への意志』「ヨーロッパのニヒリズム Ⅰ」 「ニヒリズム」 36

それらの事態を目のまえにして、2つの態度を選択することになります。

・「もはや根拠がない」となげき、生を投げだす態度
・自身の権力(=力)をうながし、新たな価値をつくりあげる態度

です。

前者が「受動的ニヒリズム」、後者が「能動的ニヒリズム」です。

おもしろいのは、ニーチェは「能動的ニヒリズム」の選択をすすめていない点です。

というのも、だれかに「これだ!」と言われて行動するのは、他者の価値に〝すがる〟態度であり、「能動的ニヒリズム」とは、いえないからです。

このあたりの逆説が、いかにもニーチェらしいです。

ニーチェ本人に言われなくても、〝やってしまう〟のが、「能動的ニヒリズム」の状態であり、自身の「力」にまかせて行動する or できる者です。

内面からわきあがる「力への意志」に合わせて、行動するか/しないかは、当人の〝勝手〟です。

ニヒリズムをまえにして、やる/やらないは、すべてあなたにかかっているわけです。

すべての「目的」「目標」「意味」は、すべての生起に内属しているただ1つの意志、すなわち、権力への意志の表現形式であり、変形であるにすぎない。〔……〕すべての価値評価は、このただ1つの意志に奉仕している帰結であり、そうした狭隘な遠近法であるにすぎない。価値評価のはたらき自身が、この権力への意志にすぎないのである。(下巻 p.196-197)

─ 『権力への意志』33

まとめ

まとめると、

りきぞう

ニーチェは、近代ヨーロッパの哲学者
「ニヒリズム」「神は死んだ」「永劫回帰」をキーワードに、独自の思想を展開した
近代社会がもたらすニヒリズムについて「至高の諸価値が、その価値を剥奪されるということ。目標が欠けている。「何のために?」への答えが欠けている」などの名言を残している

ぜひ、ニーチェの思想を知るうえで、参考にしてみてください。

ではまた〜。