どうも、りきぞうです。
大学のころから、世界史に親しんできました。
大学院時代は、本格的に人文書・歴史書にあたってきました。
・大事なキーワードは?
・この時代のポイントは?
きょうは、この問いに答えていきます。
答えは、つぎのとおり。
・黒死病
・独立自営農民(ヨーマン)
・ジャックリーの乱
・ワット=タイラーの乱
この記事では、つぎの本を参考にしました。
中世ヨーロッパは、荘園制と封建制の2本柱から成り立っていました。
しかし、中世も後半になると、2つの制度が崩れていきます。
以下、目次に沿って、その経緯をみていきましょう。
目次
荘園制の崩壊

荘園制とは、
をさします。
ヨーロッパでは中世前半〜中盤にかけて、うまく機能していました。けれど、つぎのできごとが段階的におきて、荘園制はじょじょに崩れていきます。
- 古典荘園から地代荘園へ転換
- 農奴の解放
- 封建反動
以下、そのプロセスをたどっていきます。
古典荘園から地代荘園へ転換
十字軍遠征をきっかけに、ヨーロッパでは商業と都市が発展し貨幣経済が広まります。
それにともない土地の領主は、貨幣取得の欲求が高まっていきます。
そこで、領主の直営地を農民保有地として貸し与え、地代(生産物地代 or 貨幣地代)を得ようと考えました。
けれどそのさい、農民に課していた賦役がネックでした。賦役があると、農民たちは自由に生産活動をおこなうことができないからです。
領主は、地代をつうじた貨幣獲得のため、農民に課していた賦役を廃止します。
農奴の解放
賦役がなくなることで、農民は自由に生産活動ができるようになりました。
また感覚のうえでも、領主への服従意識がうすれ、身分差が解消されていきます。
なかには、貨幣をたくわえる農民もあらわれ、領主以上にお金もちになる人たちまで登場します。
そこへきて、14世紀後半に黒死病(ペスト)が流行します。
たくさんの死者を出すいっぽう、農民人口が減ったことで、農業労働の希少性が増します。
結果、農民層は、ますますその地位を向上させ、領主には農奴解放金を払い、自力で生活する者たちが、たくさんあらわれます。
かれらは「独立自営農民(ヨーマン)」とよばれました。領主から土地を借りたうえで、地代料を支払いつつも、社会身分上の税負担はなくなり、自由農民として生活していくことになります。
賦役廃止から独立自営農民の誕生までを「農奴解放」の動きとして、とらえることができます。
封建反動
とはいえ、領主としても、そうかんたんに農民層の言いなりになっているわけにはいきません。
農奴解放に反対するため、農民への課税を強化しようする領主があらわれます。
いわゆる「封建反動」の動きです。
しかし、領主による課税強化は、まったく時代にそわないものでした。領主の強行策をまえに、農奴廃止をもとめる農民一揆が、ヨーロッパ各地で多発します。
代表的な農民反乱は、つぎのふたつです。
・ワット=タイラーの乱
なかでもワット=タイラーの乱による影響は大きく、指導者ジョン=ホールが発した
というセリフは、身分制度を批判する象徴的な言葉となりました。
このように、
↓
農奴解放
↓
封建反動&農民一揆
のプロセスを経て、中世ヨーロッパをささえた荘園制は崩壊することになります。
封建制の崩壊

荘園制の崩壊は、もうひとつの柱である封建制の崩壊につながりました。
封建制は、古くから土地をおさめる騎士階層から成り立っていました。しかし荘園制が崩れると、領主だった騎士もまた没落します。
さらにこのころに、東方から火砲が伝わり、兵士も傭兵を採用するなど、戦術上の変更がなされました。
これらの要因もくわわり、騎士の地位は、だんだんと低下していきます。
代わりに台頭したのが王権でした。
各地の王国は、市場の活性化をもとめる都市の人たちと協力して、地域一帯の中央集権化をはかります。
国政には、都市の富裕市民が参加し、資金を背景に、王国を動かしていきます。
それにより、いままで政治を牛耳ってきた諸侯や騎士は姿を消し、代わりに国王を中心とした資産家たちが、影響力をつよめていくことになりました。
もちろん諸侯や騎士が完全に没落したわけでなく、有力な者たちは、そのまま国王の宮廷しつかえ、廷臣化します。
領地を保持した者は、これまでと同じく農民から地代をとりたて、地主化していきます。
とはいえ、ここまでみてきたとおり、荘園制の崩壊にともなって封建制もくずれ、ヨーロッパは中世のおもかげを、じょじょに失ってゆくことになります。
おわりに
ヨーロッパの荘園制&封建制の崩壊についてみてきました。
まとめると、こんなかんじです。
・黒死病
・独立自営農民(ヨーマン)
・ジャックリーの乱
・ワット=タイラーの乱
この記事が、荘園制&封建制の崩壊を理解するさいのヒントになれば、うれしいです。
では、また。